小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

山形明郷『卑弥呼の正体』(三五館)を読む

2010-06-06 21:52:38 | 読書
 日本の古代史に、のめり込んでいた時期があった。古代史以外は目に入らぬような深いとらわれの時期が10年以上はあったと思う。その反動で、意識的に古代史から遠ざかって、最近にまで及んでいた。
 だから1995年の山形明郷著『邪馬台国論争・終結宣言』の存在を知らなかった。その当時、読んでおくべきだったと、いまほぞを噛んでいる。『卑弥呼の正体』は同書の最終改訂版なのである。惜しむべきことに山形氏は昨年お亡くなりになっている。
 邪馬台国論争はもう袋小路で、にっちもさっちもいかないと思い込んでいたが、さにあらず、山形氏の本に私は衝撃をうけ、目から鱗が落ちた。
 古代の朝鮮は朝鮮半島にあったのではない、遼東半島にあったという事実をつきつけられて、愕然とした、と言っても大げさではない。
 山形氏は言う。「十四世紀の後半に勃興した朝鮮と、古代の朝鮮を混同して語ると、北東アジア史解釈上大きな誤解が生じる。すなわち『朝鮮』の名称があるからといって、古の朝鮮をも現在の半島内の存在と見なしてしまうと、種々様々な弊害が生じる。しかも、その弊害がいわゆる『倭人伝』の解釈上にも影響を与え、現在の朝鮮半島の古代史像を奇妙に歪曲する結果となり、これが『虚構史観』発生の端緒となる」
 まさに、邪馬台国問題は根本的なところで見直しが可能だったのであった。倭人伝=日本古伝ではないのである。
 この本には鬼気迫るものがあるが、中国「正史」24史と清史稿48冊529巻を含め、総数289冊3668巻に加え、これらの注釈本や地理系文献を収集し、その史料の博捜ぶりのただならぬ情念の炎に、文章が焼かれているからである。文字通り熱いのである。
 おそらく在野の研究者である山形氏は、古代史探求にたくさんのものを犠牲にされたに違いない。憶測をたくましくすれば、氏の家庭生活の修羅場が覗けるのだ。なぜだろう、なぜ日本の古代史は、こんなに人を虜にして、のめりこませてしまうのだろう。


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5 コメント

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山形明郷氏に敬意を表します (豊田瑞樹)
2011-06-29 21:34:49
邪馬台国は朝鮮半島にあった、日本にあったのではない―という結論に、驚嘆しました。そして、再読しました。再再読しました。
私には、中国の正史を読み解く力も時間も情熱もないのですが、山形氏の読み方が正しいとすれば、その論理に穴はないように思えました。
この仮説が多くの人に知られ、正史の1つ1つがチェックされることを期待します。
ただ、その作業は、アカデミズムの住人には辛く耐え難い作業になるのだろうと思われます。学者人生や師弟関係を壊してしまうかもしれません。辛いですね。
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ようこそ (鏡川伊一郎)
2011-07-01 10:28:31
豊田様、コメントをお寄せいただき有難うございました。山形氏にはもっと長生きしていただきたかったですね。その論考の後継者でアグレッシブな人がいるといいのですが…
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初めまして (北信のガス袋)
2012-11-05 22:02:02
山形さんから20年間も教えを受けたお弟子、飯山一郎さんがいます。
これぐらいアグレッシブな人っているでしょうか?っていうぐらい激しい方です。
もう既にご存知でらっしゃるかもしれませんけど、3.11の放射能事故以来、特に有名になられましたから。
http://grnba.com/iiyama/

ちょうどここ何日か前から、「卑弥呼の正体」のタネ本公開を開始されました。
http://grnba.web.fc2.com/bbs_b/1-1himiko.pdf
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お礼 (鏡川伊一郎)
2012-11-06 06:06:12
北信のガス袋さん、コメントありがとうございました。その方のことは存じ上げておりませんでした。山形さんの原稿はゆっくり読まさせていただきます。
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山形明郷論には大きな穴が (高木)
2012-11-16 21:41:27
山形明郷氏の論は紀元前の古朝鮮までは正しい。だが、その後の話はでたらめである。特に、西暦一から二世紀頃の遼東半島は燕国が支配(ここに倭国が存在しえない)し韓族もいた。その後、韓族は一部は朝鮮半島に移っている。また、この時期は楽浪郡も朝鮮半島に植民地的に存在したことを隠している。三世紀には朝鮮半島に帯方郡を公孫氏が置いた。
 山形明郷氏は全く朝鮮半島の一、二、三世紀の三百年を述べないでいる。
 四世紀以降の新羅や百済などに話をとばしている。三世紀までに三韓が成立したのは遼東半島の韓族が移り朝鮮半島の原住民を支配した結果である。それ故、人種が高麗人系と倭人系なのである。古朝鮮を論じるのでなく、馬韓と辰韓、弁韓の成立過程を述べない彼の説は、意味が無いと言える。まやかし論となる。
 前半の克明さに騙されてはいけない。
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