小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

石川啄木殺人事件 ①

2005-01-31 21:18:50 | 小説
 石川啄木と北村透谷の死に際について、それぞれ短編に仕立てたいという思いをずっと抱いたまま構想がまとまっていない。それはそれとして、さしあたって、啄木である。以前に「啄木は殺人者か」というエッセイを書いて、そのエッセイはある紙卸商の社長がとても気に入ってくれた。その社長の会社が今日、自己破産した。その事実を知ったとき、ふと啄木のことが胸をよぎった。以下に「啄木は殺人者か」の原稿を再現してみたくなった。



 明治38年5月、日本中は日露戦争の勝利に酔っていた。その月の晦日は大安で、岩手県盛岡では、ある華燭の典が用意されていた。新郎19歳、新婦18歳。男が中学時代からの相思相愛の仲だった。ところが式は新郎抜きだった。新郎が姿をみせなかったからである。いったい、男の身の上に何が起こったのか。男は何を考えていたのか。男には結婚相手とは別に愛人がいて、その愛人に自殺されて結婚式をためらったという説がある。いや、愛人は自殺未遂だったという説がある。

  三年前そのかの夕べ死ににきと いつはる人を猶ににくまず

 男は3年後にこんな歌を作っている。なるほど、そんな事情を反映した歌のようにも思われる。男の名は石川啄木、26歳で若死にした天才歌人だ。
 井上ひさしが啄木に冠された「不名誉きわまりない異名」の数々を集めている。〈嘘つき〉〈借金王〉〈生活破綻者〉〈漁色家〉〈忘恩の徒〉さらに〈貧乏を売り物にした偽善者〉〈度し難い感傷家〉これでも一部だが、さすがに〈殺人者〉という言葉はない。ところが啄木が女を殺しているのではないかと推理した小説がある。日下圭介『啄木が殺した女』(祥伝社)である。平成3年に書き下ろされたこの小説は、読者にもしかしたら啄木はほんとに殺人者ではなかったのかと思い込ませる、すぐれた仕掛けになっている。日下圭介の小説が啄木を告発する検事調書とするならば、弁護側の反論がなければ片手落ちというものである。弁護されてしかるべきである。その役目を買ってみようではないか。