阿井景子という女流作家に『龍馬の妻』という作品がある。むろん坂本龍馬の妻おりょうの物語である。昭和54年3月学藝書林より刊行されているが、私の所有しているのは集英社文庫版である。阿井氏は「おりょう追跡ーあとがきにかえて」で、おりょうさんの戸籍上の年齢を問題視していた。
おりょうさんは明治8年7月2日に西村松兵衛の妻ツルとして入籍、そこで戸籍が作られているわけだが、嘉永3年6月6日生まれとなっていて弘化3年生まれの松兵衛より5才年下となっている。実際は逆に5才年上だったから、阿井氏はこう書くのである。
「りょう女は自分の年齢を夫に十歳もさば(注:傍点が打ってある)を読んだことになる。一歳や二歳ならともかくも、十歳もさばを読まなければならない状況とは何んだったろうか」
これを読んだとき、私はああこの作家はおりょうの伝記作家としての資格はないと思ったものだ。
松兵衛とおりょうは、おりょうが寺田屋の養女時代からの知り合いだという事実関係をおさえていれば、こんなことにこだわる必要はないのである。松兵衛はおりょうの実年齢は、とっくの昔から知っていた。
作家は、おりょうが自分の年齢を偽って男をたぶらかしかねない女だという予断をもっているから、こんな馬鹿なことを書くのである。松兵衛が建立に賛助人となったおりょうさんの墓碑はちゃんと正しい没年齢が刻まれているではないか。
最近、おりょうさんに関する良い本が刊行された。鈴木かほる『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』(新人物往来社)である。ところがちょっと気になる個所があった。鈴木氏は書いている。
「…戸籍は、実年齢より9歳若く届けられていたことがわかる。当時は、今のように出生証明書というものはなく、年齢を偽って申告することも可能だった。お龍は『京美人』であったというから見た目年齢で届けたのであろう」
これは阿井景子と同じ轍を踏んでいるではないか。
明治4年の戸籍法に基づいて、戸籍調査が行われたわけだが、届け出は、新設された戸長に戸主が出生死去出入を必ず届けることになっていた。松兵衛が届けているのだ。おりょうさんが勝手に届けるわけはないのである。 ちょっと想像すればわかるではないか。
松兵衛はまず自分の生年月日を口頭で届け、妻については、「6月6日生まれですが、私とは五つ違いで…」とでも言ったのである。で、聞くほうが勝手に女房だから、五つ年下と判断して、嘉永の年号を割り出せば、結果としては9歳(10歳)の年齢差になってしまうのだ。
いわゆる壬申戸籍は、たぶんこういう間違いがほかにも数多くあると思われる。
おりょうさんは明治8年7月2日に西村松兵衛の妻ツルとして入籍、そこで戸籍が作られているわけだが、嘉永3年6月6日生まれとなっていて弘化3年生まれの松兵衛より5才年下となっている。実際は逆に5才年上だったから、阿井氏はこう書くのである。
「りょう女は自分の年齢を夫に十歳もさば(注:傍点が打ってある)を読んだことになる。一歳や二歳ならともかくも、十歳もさばを読まなければならない状況とは何んだったろうか」
これを読んだとき、私はああこの作家はおりょうの伝記作家としての資格はないと思ったものだ。
松兵衛とおりょうは、おりょうが寺田屋の養女時代からの知り合いだという事実関係をおさえていれば、こんなことにこだわる必要はないのである。松兵衛はおりょうの実年齢は、とっくの昔から知っていた。
作家は、おりょうが自分の年齢を偽って男をたぶらかしかねない女だという予断をもっているから、こんな馬鹿なことを書くのである。松兵衛が建立に賛助人となったおりょうさんの墓碑はちゃんと正しい没年齢が刻まれているではないか。
最近、おりょうさんに関する良い本が刊行された。鈴木かほる『史料が語る坂本龍馬の妻お龍』(新人物往来社)である。ところがちょっと気になる個所があった。鈴木氏は書いている。
「…戸籍は、実年齢より9歳若く届けられていたことがわかる。当時は、今のように出生証明書というものはなく、年齢を偽って申告することも可能だった。お龍は『京美人』であったというから見た目年齢で届けたのであろう」
これは阿井景子と同じ轍を踏んでいるではないか。
明治4年の戸籍法に基づいて、戸籍調査が行われたわけだが、届け出は、新設された戸長に戸主が出生死去出入を必ず届けることになっていた。松兵衛が届けているのだ。おりょうさんが勝手に届けるわけはないのである。 ちょっと想像すればわかるではないか。
松兵衛はまず自分の生年月日を口頭で届け、妻については、「6月6日生まれですが、私とは五つ違いで…」とでも言ったのである。で、聞くほうが勝手に女房だから、五つ年下と判断して、嘉永の年号を割り出せば、結果としては9歳(10歳)の年齢差になってしまうのだ。
いわゆる壬申戸籍は、たぶんこういう間違いがほかにも数多くあると思われる。