坂本龍馬は文久2年7月に大坂で樋口真吉と会い、金一両を貰っている。文久2年といえば、龍馬脱藩の年であり、江戸をめざした旅の途中で、一両という路銀の獲得はずいぶんとありがたかったはずである。金を贈った樋口真吉はむろん土佐藩士であり、龍馬より20歳年上だった。龍馬とひどく歳の離れた兄の権平に近い年齢だったから、龍馬にとっては甘えられる人物だったのであろう。
ところが、その人物樋口真吉の生涯は、これまであまり知られていなかった。南寿吉著『龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝』(有限会社テラ発行)は、だから樋口真吉の人となりをはじめて紹介する本となっている。
おしえられるところが多く、有益な読書になったが、読み物風になりすぎて評伝としての骨格が薄らいだのは残念だった。史料などはなるべく原文で提示してほしかったと思うのは私だけだろうか。
樋口真吉の日記「日新録」の龍馬暗殺当日の該当部分が写真で紹介されているが、本文の内容と比べるとけげんな感じがする。しかし昨年12月8日に共同通信社が配信した樋口の日記の写真とは内容が合致していそうだ。樋口には慶応3年11月15日のことを記述した日記がふたつあるのか。ひとつには「坂本竜馬」と書いてあり、もうひとつには「才谷梅太郎」と書いてある。このあたりの経緯というか事情がよくのみこめない。
「日新録」の写真では、15日の記述は5行しかないが、これでは事件の詳細は記述しようがなさそうである。けれどもニュースに添付された写真では5行以上あり、たしかに詳しく書かれているようである。著者はあきらかにこちらの内容を述べているのだ。
ついでにいえば望月清平の維新以後の消息不明なことを、著者は龍馬の手紙に関連付けて推測しているが、これはちょっと私には納得しがたいことだった。
とはいえ、龍馬に関係した人物でありながら、その生涯の概要の不明だった人物のことをおしえられるのは愉しくもあり、かつ有り難いことである。著者の労に拍手をおくりたい。
ところが、その人物樋口真吉の生涯は、これまであまり知られていなかった。南寿吉著『龍馬を見抜いた男 樋口真吉伝』(有限会社テラ発行)は、だから樋口真吉の人となりをはじめて紹介する本となっている。
おしえられるところが多く、有益な読書になったが、読み物風になりすぎて評伝としての骨格が薄らいだのは残念だった。史料などはなるべく原文で提示してほしかったと思うのは私だけだろうか。
樋口真吉の日記「日新録」の龍馬暗殺当日の該当部分が写真で紹介されているが、本文の内容と比べるとけげんな感じがする。しかし昨年12月8日に共同通信社が配信した樋口の日記の写真とは内容が合致していそうだ。樋口には慶応3年11月15日のことを記述した日記がふたつあるのか。ひとつには「坂本竜馬」と書いてあり、もうひとつには「才谷梅太郎」と書いてある。このあたりの経緯というか事情がよくのみこめない。
「日新録」の写真では、15日の記述は5行しかないが、これでは事件の詳細は記述しようがなさそうである。けれどもニュースに添付された写真では5行以上あり、たしかに詳しく書かれているようである。著者はあきらかにこちらの内容を述べているのだ。
ついでにいえば望月清平の維新以後の消息不明なことを、著者は龍馬の手紙に関連付けて推測しているが、これはちょっと私には納得しがたいことだった。
とはいえ、龍馬に関係した人物でありながら、その生涯の概要の不明だった人物のことをおしえられるのは愉しくもあり、かつ有り難いことである。著者の労に拍手をおくりたい。