小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

船中八策の謎  2

2010-05-24 14:50:12 | 小説
 いや、両者の日付というのは正確な言い方ではない。いわゆる「船中八策」には日付はない。ないけれども前掲の『坂本龍馬海援隊始末』で、坂崎紫瀾は6月の成文とみなしたのである。これに対し、「新政府綱領八策」(松浦氏の「八義」)には「慶応丁卯十一月」という日付があり、「坂本直柔」という龍馬のサインのあるものが現存する。6月に後藤に提示したレジメが、なぜ11月という5ヶ月後の日付になっているのか。この謎については、あとで述べる。
 問題は、いわゆる「船中八策」のほうである。これが活字になって初めて紹介されたのは、大正元年の瑞山会編『維新土佐勤王史』であった。同書はこれを龍馬の八策とは違うというニュアンスで引用していた。「すこぶるその字句を修飾せるのみならず、末尾に建白体の文字を加えあり」として、成文の時期にも疑問を投げかけていたのである。坂崎紫瀾の紹介した「船中八策」についても、当の編纂者である岩崎鏡川が、「新政府綱領八策」の「粉本ならんか」と疑義を呈していた。
 松浦玲氏は『坂本龍馬』の「補注」で、こう書いている。
「いわゆる『船中八策』には龍馬自筆本はもちろん、長岡謙吉の自筆本も、長岡本を直接に写したとの保証がある写本も、存在しない。そのため、いま知られている形のものが何時できあがったのか実は全く不明である」
 写本が存在しないのは、明治になって誰かが作文したものという疑いが濃厚である。その誰かについては、『維新土佐勤王史』にも関係した坂崎紫瀾ではないかと、私は勘ぐってきたけれど、確証はない。
 ちなみに司馬遼太郎が『竜馬がゆく』で、長岡健吉に書きとらせるのは、このいわゆる「船中八策」のほうであった。それにしても、「いわゆる」とか「俗に言う」とかの形容詞をつける場合の「船中八策」は、「新政府綱領八策」でないほうのこの「八策」であるわけだが、「船中八策」というネーミングのインパクトの強さが、話を混乱させるのである。もとより船中八策というタイトルの文書があったわけではない。
「夕顔」船中で、龍馬が後藤に提示した「知恵」は、口述されたものであり、現存する龍馬自筆の文書は、大政奉還後の新政府のあり方の骨子を示したレジメにすぎなかった。しかし、これを「船中八策」と呼ぶしかないのである。
 ではなぜ文書に11月という日付があるのか。それは作成日ではなく筆写日だとしたのは菊地明氏の卓見である。龍馬自筆のものは二通現存するのだが、コピー機のない当時、おそらく龍馬は何通か、これを筆写したのである。11月にだ。
 ところで松浦玲氏は菊地説に異を唱えて、「新政府綱領八策」は「11月に龍馬が必要あって自筆したもの」と判断されているが、私はご両人とも正しいと思っている。
 つまり「八義」部分は6月時点のレジメ、それをそのまま筆写し、文言を付け加えて11月に文書化したと考えればよいのである。
 11月の文書の主眼は、付言のほうにあった。すなわち「諸侯会盟の日を待って」
三文字伏字の盟主を選ぶという、例の文言である。龍馬の暗殺犯をじゅうぶんに刺激したと思われる、あの文書である。
 言うまでもなく、11月は龍馬が暗殺された月である。(この稿終る) 

船中八策の謎  1

2010-05-23 14:06:36 | 小説
 高知の司牡丹酒造の「船中八策」という酒が、龍馬イヤーの今年、大ブレイクしているらしい。つくづくネーミングというのは大切なものだと思う。これが「新政府綱領八策」だったら、いかほどのインパクトがあったであろうか。
 しかし、「船中八策」というのは実は「新政府綱領八策」のことであったのだ。
「船中八策」については、たとえば『国史大辞典』(吉川弘文館)にも項目があって、龍馬が「起草させた公議政体論にもとずく国家構想」と解説している。ただし、これが船中八策だと明記されたものはない。
 慶応3年6月9日、龍馬は後藤象二郎の求めによって、土佐藩船「夕顔」に後藤と同乗、長崎を発った。京都の政局打開のため、後藤は山内容堂に呼び寄せられていたのであって、船中で後藤は龍馬の知恵を借りたかったのである。
 大政奉還とその後の国家のあり方を、八項目にまとめて龍馬は後藤に提示した。だから船中八策と呼ばれるのであるが、それが「新政府綱領八策」なのである。もっとも、この名称自体、史家の平尾道雄の命名であって、松浦玲氏は『坂本龍馬』(岩波新書)の中で、これからは自分は「八義」と呼ぶことにすると書いている。
 ところがである。「船中八策」と呼ばれる文書が、別にもうひとつあるので話はややこしくなるのである。
 大正15年刊行『坂本龍馬関係文書』に坂崎紫瀾の『坂本龍馬海援隊始末』が収録されており、ここに「船中八策」が登場するのである。最初の2項目はこうなっている。(原文のカタカナをひらがなに変えてある)

 1、天下の政権を朝廷に奉還せしめ政令宜しく朝廷より出ずべき事
  
 1、上下議政局を設け議員を置きて万機を参賛せしめ万機宜しく公議に決すべき事

 これに対し「新政府綱領八策」の最初の2項目はこうだ。(同じくカタカナをひらがなにした)

 第一義 天下有名の人材を招致し、顧問に供ふ
 第二義 有材の諸侯を撰用し、朝廷の官爵を賜ひ、現今有名無実の官を除く 

 ご覧のように両者は別物である。いわゆる「船中八策」は文章の完成度も高く、二項目だけ並べてみても、松浦氏も評価するように「卓越した議論」である。それに反し、「新政府綱領八策」は全体がレジメにすぎない。しかも両者の文書の日付に大問題がある。