小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

大原富枝『婉という女』 〈ヒロインシリーズ 16〉

2012-10-05 20:13:17 | 読書
 4歳のときに獄舎に入れられ、40年間幽閉された女性が実在した。17世紀の高知のことである。
 母、兄弟、姉妹とともに門外一歩を禁じられ、他人との面会も許されず、むろん結婚もできず、40年を幽居で過ごした女は、純粋培養された植物のように美しかった。それが婉だ。
 獄舎の中で思春期をむかえ、兄のひとりに恋情をおぼえ(なにしろ他人の男がいない)懊悩した婉。しかし、その兄が死に、弟が死に、男の血筋が絶えたときに赦免となる。なぜ婉の家系はこうまで断罪されねばならなかったのか。
 父の野中兼山のせいである。兼山は若干22歳で土佐藩の執政となり、30年間藩政を掌握した学者政治家であった。治水と殖産事業で土佐24万石を実収30余万石にした男だ。そのことが幕府の不興を買った。地方の一藩に、こういう男がいては幕府は困るのである。枕を高くして寝ていられないのである。だから兼山失脚の背後には、幕府の陰謀があったと思う。
 ともあれ兼山は激越な理想家だった。一族が子孫断絶の厳しい処分をうけたのも、兼山の血の続くことが、政敵たちにとっては怖かったからである。
 婉は父のことを調べ、ほとんど父と同じタイプの南海朱子学(南学)の学者に、ほのかな思慕の念を抱く。妻ある学者で、むろん実ることのない恋であった。
「この空しく、虚ろな美しさ、男によって仕合せになった歴史も、不幸になった過去をも持たない…不犯の女の若さ、瑞々しさは、美しいよりも不気味であることを」婉は知っている。その自覚が痛々しくも哀しい。
 いつの年だったか高知に帰省したおりのことだ。高知市の西郊を走る路面電車に乗っていたら、隣に座っていたご婦人が「ああ、お婉さんのうちの前じゃ」と声を発した。赦免後の婉の住居跡の前あたりを、なるほど電車は通過するところだった。現代の女性が、まるで知り合いの女であるかのように呟く婉は、決してたんなる過去の、たんなる歴史上の、そしてもはやたんなる小説上のヒロインではない。
 眉も剃らず、歯も染めず、娘時代のまま振袖姿で晩年を過ごした婉は、彼女自身、時間を超越していた。
婉という女・正妻 (講談社文庫 お 6-1)
大原 富枝
講談社


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