小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

ゴダール『封印された系譜』を読む

2011-05-14 16:55:38 | 読書
 入院に際して再読用の資料5冊と理系本1冊、それに杜牧の詩集の計7冊をピックアップし、さて肩のこらない読み物もいるなと加えたのが、ロバート・ゴダード『封印された系譜』上下巻(北田絵里子訳・講談社文庫)だった。ゴダードを選んだのはまさしく正解だった。
 ひさびさに物語というジェットコースターに乗ったのである。術後もむさぼるように読んでいたが、別種の痛み止めになったかもしれない。展開はめまぐるしく、よくまあと感心するほど意表をついてくれるのである。ゴダードらしいといえば言えそうだが、、重厚な雰囲気のあった初期作品と比べれば軽みが出てきたような気がする。いずれにせよ超のつくエンターティメントには違いない。
 本のカヴァーの惹句を借りれば「デンマークの巨大企業一族がひた隠しにする出自の秘密とロシア皇女の生き残り伝説がからみあい、大きな陰謀に巻き込まれてゆく」男の物語である。
 ロシア皇女とはむろんロマノフ王家のアナスタシアのことだ。いまでも哀切な主題歌が耳に残る映画『追想』では、アナスタシアをイングリット・バーグマンが演じていた。共演はスキンヘッドの怪優ユル・ブリンナー。学生時代、坊主頭にしていた私はブリンナーに似ているなどとからかわれていたから、こういう映画ははずしていないのである。この小説でもテレビドラマ化されたさいに女優のことが話題にされているが、なぜか映画のほうには筆が及んでいなかった。
 ともあれロシア、デンマーク、フィンランドという三つの国のからむ歴史には疎かったけれども、三国間に濃密な過去のあったことを再認識させられたのも収穫だった。訳者はこの作品を「北欧の紀行ミステリー」とも評しているが、たしかにそういうおもむきもある。
 たとえば主人公がホテルの窓から北欧の都市の家並みを眺めるシーンがある。しかしそれは最初から絵になるのである。むしろ絵になる風景の中に主人公がいるのだ。いま私のいる病室は17階で、広い窓からは虎ノ門、霞ヶ関方面のビル群が見える。けれども建物の高さは区々、色合いも雑駁で、およそ心象を託する風景ではない。絵にならぬのである。もっとも憂愁をおびるときがないではない。雨にけむるときだ。東京のビル群は煙雨というバイアスをかけると、北欧並みになるらしいと気づいたのは余談である。(病室にて)
封印された系譜(上) (講談社文庫)
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