1968年の学生運動の本質は「攘夷を果たすことのできなかった志士たちの末裔による自己処罰の劇」であったと、肺腑をえぐるような卓見を、内田樹が『志士の末裔』(『武道的思考』所収)という論考に書いている。
もう学生ではなかったけれど、あの時代の熱気と無縁でなかったもののひとりとして、意識下に沈めていた情念を掘り起こされたような気分に領されて、私は次のような箇所に傍線をほどこしていた。
〈明治維新以来、日本の若者が「熱く」なるのは「ナショナリズム」(それも「アメリカがらみ」)と相場が決まっている。〉
〈68年のナショナリズムに火を点けたのは「べトナム」である。インドシナの水田を焼くナパーム弾など世界最強の軍事大国の世界最先端のテクノロジーと前近代的な兵器で戦うベトナムの農民たちのうちに、私たちは「ペリーの黒船を撃ち払う志士たち」や「本土決戦」の(果たされなかった幻を見たのである。私たち日本人が出来なかったことを貧しいアジアの小国の人々が現に実行している。その日本人はベトナム戦争の後方基地を提供し、その軍需で潤っていた(朝鮮戦争のときもそうだった。私たちはアジアの同胞の血で経済成長を購ったのである)。その「恥」の感覚が1968年の若者たちの闘争の本質的な動機だったと私は思っている。〉
〈だから、全共闘運動が最終的には官憲の手を煩わせるまでもなく、「内ゲバ」という互いに喉笛を掻き切り合うような「相対死」のかたちで終熄したのは「自罰のプロセス」としては当然だとも言えるのである。〉
「志士の末裔」としての「恥」の感覚を、あの学生運動の本質ととらえると、なるほど一種すてばちだった、あの時代の熱気の正体がよくわかるのである。
さて、ひるがえって現代、この国の宰相はアメリカの戦略であるTPPへの参加を「平成の開国」と標榜している。順序が違うのではないか。いまむしろ標榜すべきは静かなる「平成の攘夷」ではないのか。私たちがほんとうに志士の末裔であるならばだ。
もう学生ではなかったけれど、あの時代の熱気と無縁でなかったもののひとりとして、意識下に沈めていた情念を掘り起こされたような気分に領されて、私は次のような箇所に傍線をほどこしていた。
〈明治維新以来、日本の若者が「熱く」なるのは「ナショナリズム」(それも「アメリカがらみ」)と相場が決まっている。〉
〈68年のナショナリズムに火を点けたのは「べトナム」である。インドシナの水田を焼くナパーム弾など世界最強の軍事大国の世界最先端のテクノロジーと前近代的な兵器で戦うベトナムの農民たちのうちに、私たちは「ペリーの黒船を撃ち払う志士たち」や「本土決戦」の(果たされなかった幻を見たのである。私たち日本人が出来なかったことを貧しいアジアの小国の人々が現に実行している。その日本人はベトナム戦争の後方基地を提供し、その軍需で潤っていた(朝鮮戦争のときもそうだった。私たちはアジアの同胞の血で経済成長を購ったのである)。その「恥」の感覚が1968年の若者たちの闘争の本質的な動機だったと私は思っている。〉
〈だから、全共闘運動が最終的には官憲の手を煩わせるまでもなく、「内ゲバ」という互いに喉笛を掻き切り合うような「相対死」のかたちで終熄したのは「自罰のプロセス」としては当然だとも言えるのである。〉
「志士の末裔」としての「恥」の感覚を、あの学生運動の本質ととらえると、なるほど一種すてばちだった、あの時代の熱気の正体がよくわかるのである。
さて、ひるがえって現代、この国の宰相はアメリカの戦略であるTPPへの参加を「平成の開国」と標榜している。順序が違うのではないか。いまむしろ標榜すべきは静かなる「平成の攘夷」ではないのか。私たちがほんとうに志士の末裔であるならばだ。
武道的思考 (筑摩選書) | |
内田 樹 | |
筑摩書房 |