雨の日にお風呂に入るのが好き、という女性がいた。湯に浸るときの皮膚感覚がいつもと違うからだと言った。疎遠になって久しい。
「俺も歳とったなと思う。このごろ漢詩が心に沁みる」といった友人がいた。もうずいぶんとご無沙汰している。
ふいに彼女と彼がセットになって、小さな疼きのようになって思い出されたのは、雨のせいだろうか。
雨の情景を詠んだ漢詩で、好きなのがある。
杜牧の『清明』である。
清明の時節 雨紛紛
路上の行人 魂を絶たんと欲す
借問す 酒家は何れの処にかある
牧童遥かに指さす 杏花の村
雨にうたれて、すっかり心のめいった旅人が、酒でも飲まなければやりきれなくなって、牛飼いの子に酒場のありかを尋ねた。あっちの村まで行かなきゃないよと、牛飼いの指さす方向には一面に杏の花が雨にけぶっていた、という詩である。
「魂を絶たんと欲す」という、つまり死にたくなるほどだという大げさな表現がよく効いている。そして読者の視覚に、救いのように杏の花が映ずるのである。
漢詩は若い頃から嫌いではなかった。私が、ああ、この詩は良いなと思うのは、だいたいが杜牧のものだった。杜甫でもなく李白でもなくである。
さて、雨紛々、彼女と彼の消息を、いま私は知らない。
「魂を絶たんと欲す」ほどでもないが、軽い欝状態が続いていて、気力が萎えていたのだが、回復しつつある。こういうときには漢詩が癒しになる。
ベトナムの故ホーチミン大統領は、蒋介石の軍に捕えられ、獄舎につながれたとき、杜牧の『清明』のパロディを作っている。
清明の時節 雨紛紛
籠裏の囚人 魂を絶たんと欲す
借問す 自由は何れの処にかある
衛兵遥かに指さす 弁公の門
ホーチミンも杜牧の詩が好きだったらしい。
「俺も歳とったなと思う。このごろ漢詩が心に沁みる」といった友人がいた。もうずいぶんとご無沙汰している。
ふいに彼女と彼がセットになって、小さな疼きのようになって思い出されたのは、雨のせいだろうか。
雨の情景を詠んだ漢詩で、好きなのがある。
杜牧の『清明』である。
清明の時節 雨紛紛
路上の行人 魂を絶たんと欲す
借問す 酒家は何れの処にかある
牧童遥かに指さす 杏花の村
雨にうたれて、すっかり心のめいった旅人が、酒でも飲まなければやりきれなくなって、牛飼いの子に酒場のありかを尋ねた。あっちの村まで行かなきゃないよと、牛飼いの指さす方向には一面に杏の花が雨にけぶっていた、という詩である。
「魂を絶たんと欲す」という、つまり死にたくなるほどだという大げさな表現がよく効いている。そして読者の視覚に、救いのように杏の花が映ずるのである。
漢詩は若い頃から嫌いではなかった。私が、ああ、この詩は良いなと思うのは、だいたいが杜牧のものだった。杜甫でもなく李白でもなくである。
さて、雨紛々、彼女と彼の消息を、いま私は知らない。
「魂を絶たんと欲す」ほどでもないが、軽い欝状態が続いていて、気力が萎えていたのだが、回復しつつある。こういうときには漢詩が癒しになる。
ベトナムの故ホーチミン大統領は、蒋介石の軍に捕えられ、獄舎につながれたとき、杜牧の『清明』のパロディを作っている。
清明の時節 雨紛紛
籠裏の囚人 魂を絶たんと欲す
借問す 自由は何れの処にかある
衛兵遥かに指さす 弁公の門
ホーチミンも杜牧の詩が好きだったらしい。