芭蕉隠密説を「芭蕉の専門家」で信じているひとはいない、と述べているのは『芭蕉めざめる』(青草書房)の著者光田和伸氏である。光田氏はこう書いている。
「私は芭蕉の専門家である。自分で名のるのも気恥ずかしいが、しかし、公的な研究機関に籍を置いて、専門の学会誌に芭蕉についての研究論文を何篇も発表してきたのだから、まあ、そう自称してもいいだろう。そして『芭蕉は幕府隠密だった』なんてヨタ話だ、とかたく信じている人間だった」
その光田氏が、ある日突然、、芭蕉隠密説にめざめたらしい。「その結果、『芭蕉は幕府隠密だった』と考える、たぶんまちがいなく日本で最初の、芭蕉専門家になってしまった」という。
私などは、芭蕉の専門家がなぜ芭蕉隠密説から目をそらしているのか以前からいぶかしく思っていた人間だから、光田氏のような研究者の登場は大歓迎である。
芭蕉が隠密、もっと具体的にいえば、幕府の諜報活動にたずさわった人間であることは、かの文豪ヘミングウエイがCIAのスパイであったという説よりも確かな事実であると思っている。
そういうわけで、光田氏の近著『芭蕉めざめる』を、たいへんに興味深く読んだ。
光田氏は伊奈代官家(関東の治安を守るための隠密の養成という仕事を抱えていた家)と芭蕉の深いつながり、あるいは大垣藩士との奇妙な関係に着目して、芭蕉隠密説にたどりついている。
教えられることが多かったが、とりわけ新鮮なのは芭蕉の母の出自に関する新説を打ち出していることだ。
芭蕉の母は忍者、それも上忍三家のひとつ百地氏の娘と私なども単純に思い込んでいたが、光田氏は百地家の養女になる前の、ほんとうの出自に迫っている。
なんと伊予宇和島に赴任したことのある藤堂良勝と現地の女との間に生まれたのが芭蕉の母だったというのだ。芭蕉が若い頃に藤堂新七郎家に出仕し、終世、藤堂家と親密な関係にあったことはよく知られている。その藤堂家と芭蕉は血縁関係にあったのだ。ちなみに光田氏は愛媛のご出身である。
ともあれ、この論考は、芭蕉がなぜ隠密になったかということを考える上で、いろんな示唆を含んでいる。いささか興奮気味に、私は光田氏の本を読み終えた。
追記:私もこのブログで芭蕉隠密説については断片的に書いています。右欄の下方にある「検索」の「このブログ内で」というボックスに「芭蕉」と入力していただければ、過去の芭蕉に関するブログをお読みいただけます。
「私は芭蕉の専門家である。自分で名のるのも気恥ずかしいが、しかし、公的な研究機関に籍を置いて、専門の学会誌に芭蕉についての研究論文を何篇も発表してきたのだから、まあ、そう自称してもいいだろう。そして『芭蕉は幕府隠密だった』なんてヨタ話だ、とかたく信じている人間だった」
その光田氏が、ある日突然、、芭蕉隠密説にめざめたらしい。「その結果、『芭蕉は幕府隠密だった』と考える、たぶんまちがいなく日本で最初の、芭蕉専門家になってしまった」という。
私などは、芭蕉の専門家がなぜ芭蕉隠密説から目をそらしているのか以前からいぶかしく思っていた人間だから、光田氏のような研究者の登場は大歓迎である。
芭蕉が隠密、もっと具体的にいえば、幕府の諜報活動にたずさわった人間であることは、かの文豪ヘミングウエイがCIAのスパイであったという説よりも確かな事実であると思っている。
そういうわけで、光田氏の近著『芭蕉めざめる』を、たいへんに興味深く読んだ。
光田氏は伊奈代官家(関東の治安を守るための隠密の養成という仕事を抱えていた家)と芭蕉の深いつながり、あるいは大垣藩士との奇妙な関係に着目して、芭蕉隠密説にたどりついている。
教えられることが多かったが、とりわけ新鮮なのは芭蕉の母の出自に関する新説を打ち出していることだ。
芭蕉の母は忍者、それも上忍三家のひとつ百地氏の娘と私なども単純に思い込んでいたが、光田氏は百地家の養女になる前の、ほんとうの出自に迫っている。
なんと伊予宇和島に赴任したことのある藤堂良勝と現地の女との間に生まれたのが芭蕉の母だったというのだ。芭蕉が若い頃に藤堂新七郎家に出仕し、終世、藤堂家と親密な関係にあったことはよく知られている。その藤堂家と芭蕉は血縁関係にあったのだ。ちなみに光田氏は愛媛のご出身である。
ともあれ、この論考は、芭蕉がなぜ隠密になったかということを考える上で、いろんな示唆を含んでいる。いささか興奮気味に、私は光田氏の本を読み終えた。
追記:私もこのブログで芭蕉隠密説については断片的に書いています。右欄の下方にある「検索」の「このブログ内で」というボックスに「芭蕉」と入力していただければ、過去の芭蕉に関するブログをお読みいただけます。