小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

出版エージェント

2004-08-10 01:06:31 | 小説
「私は売れる当てもない作品を書いた。もし、タビーがそれを時間の無駄と言ったなら、私はほとんど気持が萎えていただろう。しかし、タビーはただの一度も懐疑を口にせず、ひたすら私を励ましてくれた」
 こう書いているのは、スティーヴン・キングである。タビーというのは、彼のいわば糟糠の妻である。巨匠も最初から巨匠であったわけではない。次に続くキングの言葉は、およそ物書きを志すものならば、胸にしみるに違いない。「物書きは孤独な仕事である。信じてくれる誰かがいるといないではわけが違う」
 引用はキングの自伝「生い立ち」(『小説作法』所収)からであるが、はじめて彼の小説のペーパーバック権が売れたときの述懐がいい。家賃90ドルのアパートに電話がかかってきて、40万ドルで売れたと聞き、キングはその場にしゃがみこむ。たまたま留守だった妻のタビーが帰宅したとき、キングは朗報をつたえるが、タビーは一度では呑み込めない。キングが説明を繰り返す。「彼女は私の肩越しに四室のせせこましいアパートを見回した。最前の私と同じだった。感極まって。タビーは泣いた」
 ここを読んで、私も泣いた。
 キングの苦節時代を引き合いに出して、私は何を言いたいのか。キングに朗報をもたらしたのは、彼が一度しか会ったことのない出版エージェントだった。米国では著者に代わって出版社との交渉を行うエージェントがいる。著者は持ち込み原稿を抱え、出版社をはしごしたりする労力を必要とせず、余計な神経をすりへらすことからも開放されるのである。このエージェント制がうらやましい。わが出版界にも、そうしたシステムが成り立たないのか、そのことが言いたかったのだ。
 

おりょう姉妹の銅像

2004-08-05 19:32:11 | 小説
龍馬亡きあと、おりょうは一時期土佐の東郊、和食(わじき)という村に身を寄せていた。妹のおきみの嫁ぎ先であった。土佐湾を一望する海に面した集落で、琴が浜という長い浜辺がある。そこにおりょう姉妹の銅像があることは知っていたが、私は行った事がなかった。で、昨年秋、現地を訪ねた。小説では琴が浜を想像で描写していたが、実際と齟齬はなかったので、内心ほっとしたあたりで、にわかに腹痛がし始めた。冷や汗を流しながら携帯電話のカメラで銅像を撮ったけれども、苦痛はいやまし、幹線道路に出てやっとタクシーに乗ったものの、運転手が医者に行きましょうかとたずねてくれたような状態になった。食中毒だった。死ぬかと思ったが、妙な事を思い出していた。若い頃に会った『足摺岬』の作者田宮虎彦の言葉だ。「僕は足摺岬には小説を書いた後、初めて行った」ああ、俺もあんな台詞をフアンにいえるようになるまで死ねないな。腸ねん転のような鋭い痛みで朦朧としながら、死ねない、まだ死なないとつぶやいていたのである。

知られざる龍馬暗殺の関与者

2004-08-03 17:05:15 | 小説
おりょうの晩年の一種の悪女伝説、そして維新後に新政府の高官達から何の援助もなかったこと(たとえば高杉晋作の妻や愛人は安楽の余生を送れたのに)は、表裏をなしている。
 なぜ、そういうことになったのか。実は龍馬暗殺事件の真相を解明すれば、氷のように解ける問題である。龍馬暗殺の黒幕は新政府のなかにいた。おりょうに新政府を頼らせるわけにいかないと考えた人物が、おりょうの再婚相手だ。そして、黒幕側からすれば、おりょうの存在は煙たかった。だからこそ、おりょうの余生には色濃く龍馬暗殺事件が影を落としているのである。私はこの小説にそのことを書いた。言うまでもなく、龍馬暗殺に関しては、諸説紛々、あらゆることが言われつくしたかにみえる。暗殺に関与した人間は、実行犯を別にしても複数である。いままで誰も疑ったことのない人物に、私は関与者として、容疑の目を向けた。歴史研究家はこの人物を疑いもしなかった。なぜなら、この人物から龍馬関係の史料提出の恩恵を受けているからである。ご子孫もおられるからである。状況証拠は充分にあるし、そもそも龍馬の暗殺の真相究明をややこしくさせたのは、この人物の動きなのだが、それは小説というかたちでなら書けることだった。
 小説「月琴を弾く女」はおりょうの物語に仮託した、私の龍馬暗殺事件の真相究明書でもある。