童謡『通りゃんせ』は不思議な歌である。天神様の細道(たぶん参道)を七五三のお祝いでお札を納めに行くという情景まではいいとして、
行きはよいよい 帰りは恐い
恐いながらも 通りゃんせ
とはなにごとか。なぜ帰りは恐いのか。
ところで、この歌の発祥地は埼玉県川越市にある三芳野神社であり、歌碑も立っていることを、このほどはじめて知った。なんでもこの神社は城内にあったため、お参りをすませると見張り番の者にそそくさと追い立てられ、そのことが「帰りは恐い」という表現になったと解釈されているらしい。
そうだろうか。
全国各地にある天神様の社が、なぜか落雷の多いところにあるという記述をかって読んだことがある。それらしき本を書棚から漁ってみたが、見当たらないし、どういう本であったか思い出せないけれど、いずれにせよ、私は「帰りは恐い」という歌詞の意味するところは落雷の警告だと、ながい間思い込んできた。行きは天気がよくても、帰りには突然の雷雨があったりするから要注意だよ、とそんなふうに解釈していた。
天神様とはむろん学問の神様菅原道真であることは誰もが知っているだろう。しかし、天神とは雷のことでもあった。天神様はもともと怨霊神であり、大災害をもたらす厄病神であった。そのことが忘れられていはしないか。
行きはよいよい 帰りは恐い
恐いながらも 通りゃんせ
とはなにごとか。なぜ帰りは恐いのか。
ところで、この歌の発祥地は埼玉県川越市にある三芳野神社であり、歌碑も立っていることを、このほどはじめて知った。なんでもこの神社は城内にあったため、お参りをすませると見張り番の者にそそくさと追い立てられ、そのことが「帰りは恐い」という表現になったと解釈されているらしい。
そうだろうか。
全国各地にある天神様の社が、なぜか落雷の多いところにあるという記述をかって読んだことがある。それらしき本を書棚から漁ってみたが、見当たらないし、どういう本であったか思い出せないけれど、いずれにせよ、私は「帰りは恐い」という歌詞の意味するところは落雷の警告だと、ながい間思い込んできた。行きは天気がよくても、帰りには突然の雷雨があったりするから要注意だよ、とそんなふうに解釈していた。
天神様とはむろん学問の神様菅原道真であることは誰もが知っているだろう。しかし、天神とは雷のことでもあった。天神様はもともと怨霊神であり、大災害をもたらす厄病神であった。そのことが忘れられていはしないか。