高橋(伊勢守)泥舟は、30歳の時に琳瑞と出会っている。琳瑞は彼より5歳年長だったから、35歳であった。
以来ふたりは親しく付き合ってきたようにみえる。
泥舟が琳瑞に出した手紙の宛名では「静 慈兄」とか「静岳師父」といった表記がある。まことにへりくだっているのだが、もともと泥舟は仏教嫌いで、坊主と話をするのも嫌というような人間だった。泥舟遺稿で自らそう語っている。
これは事実であったろうと思う。泥舟の談話には誇張や虚言の多かったことは、たとえば山岡鉄舟の弟子であった小倉鉄樹が『山岡鉄舟正伝 おれの師匠』(島津書房)でも暴露している。鉄舟夫人になっていた泥舟の妹からも、前言との違いをやりこめられる泥舟のエピソードがあったりする。
というわけで泥舟談話は資料として鵜呑みするのは危険である。
琳瑞が襲われたあの夜、泥舟といったい何を話し込んでいたのか。泥舟の一方的な証言しかないから、真相はわからない。
一般に政局について話し合っていて激論になったと伝えられているが、ほんとうだろうか。
ともあれ泥舟宅からの帰り道に泥舟の門弟に襲われたということは厳然たる事実であり、ふたりの刺客は泥舟宅にいたのかもしれない。彼らは泥舟と琳瑞のやりとりを隣室かどこかで聞いていて、琳瑞抹殺の必要性ありと判断したのかもしれない。
刺客のふたりに琳瑞に対する私怨のあったふしはない。では公憤か。
幕臣の刺客には公武合体派であった琳瑞が気に入らなかったのか。あるいは勤王僧で倒幕思想の持ち主と見なされ、今後の言動を封じるために殺す必要があったのか。そういうふうにみなす後世の論者は多い。
ちょっと待ってくれと言わざるをえない。
琳瑞の暗殺日はいつであったか。
慶応3年10月18日である。その4日前の14日には将軍慶喜は上表して大政を奉還している。政局はひとつの決着をみており、一寒僧を抹殺してもどうしようもないところに来ているのだ。
断じて思想的なテロリズムではない。なにかの秘密を抹殺するために琳瑞を殺そうとした。その秘密には、4年前の清河八郎暗殺事件がからんでいる、と私には思われる。(続く)
以来ふたりは親しく付き合ってきたようにみえる。
泥舟が琳瑞に出した手紙の宛名では「静 慈兄」とか「静岳師父」といった表記がある。まことにへりくだっているのだが、もともと泥舟は仏教嫌いで、坊主と話をするのも嫌というような人間だった。泥舟遺稿で自らそう語っている。
これは事実であったろうと思う。泥舟の談話には誇張や虚言の多かったことは、たとえば山岡鉄舟の弟子であった小倉鉄樹が『山岡鉄舟正伝 おれの師匠』(島津書房)でも暴露している。鉄舟夫人になっていた泥舟の妹からも、前言との違いをやりこめられる泥舟のエピソードがあったりする。
というわけで泥舟談話は資料として鵜呑みするのは危険である。
琳瑞が襲われたあの夜、泥舟といったい何を話し込んでいたのか。泥舟の一方的な証言しかないから、真相はわからない。
一般に政局について話し合っていて激論になったと伝えられているが、ほんとうだろうか。
ともあれ泥舟宅からの帰り道に泥舟の門弟に襲われたということは厳然たる事実であり、ふたりの刺客は泥舟宅にいたのかもしれない。彼らは泥舟と琳瑞のやりとりを隣室かどこかで聞いていて、琳瑞抹殺の必要性ありと判断したのかもしれない。
刺客のふたりに琳瑞に対する私怨のあったふしはない。では公憤か。
幕臣の刺客には公武合体派であった琳瑞が気に入らなかったのか。あるいは勤王僧で倒幕思想の持ち主と見なされ、今後の言動を封じるために殺す必要があったのか。そういうふうにみなす後世の論者は多い。
ちょっと待ってくれと言わざるをえない。
琳瑞の暗殺日はいつであったか。
慶応3年10月18日である。その4日前の14日には将軍慶喜は上表して大政を奉還している。政局はひとつの決着をみており、一寒僧を抹殺してもどうしようもないところに来ているのだ。
断じて思想的なテロリズムではない。なにかの秘密を抹殺するために琳瑞を殺そうとした。その秘密には、4年前の清河八郎暗殺事件がからんでいる、と私には思われる。(続く)