荘内日報への連載小説開始については、諸事情あって延び延びになり、私は「オオカミ少年」になっていた。同紙に予告の出るまでは、もういつから始まるなどと言うまい、と決めていたが、その連載開始予告がやっと掲載のはこびとなった。28日付同紙である。(本紙はまだ手元に届いていないが)社告のとおり5月1日よりスタートである。社告は以下のようなものである。
横須賀市大津の信楽寺にある「お龍さん」のお墓の墓碑は「贈四位阪本龍馬之妻龍子之墓」と刻まれている。「坂本」ではなく「阪本」なのである。このことに何か特別な意味があるように思われている方がおられる。お龍さんの墓前祭で挨拶された地元の方も、なにかそこに隠された意味があるような話し方をされていた。
深読みしすぎだと、私は思う。
「坂」はもともと「阪」の異体字であって、同じ字なのである。
地名の大阪は江戸時代は「大坂」と土偏で表記されることが多かった。明治になって、政府がいまの「大阪」に統一している。なぜか。
士族の反乱を懸念して、士と反の結びついた字を嫌ったという説もあるが、士ではなく土であるから、土に返るつまり死を意味するようで不吉だからとされる説のほうを採りたい。
ところで江戸時代にも「大阪」という表記はなかったわけではなく、いわば二つの表記が使われていて、前記のように「大坂」と表記されることが多かったというだけのことだが、(学術論文じゃないから根拠はいちいち列挙しないけれど、 江戸時代人の手紙とか文書を読んでいて、あ、この人も大阪と使っているなという例には幾度か遭遇した)要するに、昔の人は、かなり融通無碍に漢字を使っていたというだけのことではないのか。
龍馬だって良馬と書かれるケースもあった。
表意文字である漢字だから、字が違うと、意味も違ってくると勘ぐりたくもなるが、音が合ってればそれでよしとするところもあったのである。
「変体がな」のことに考えをめぐらして見よう。たとえば「す」をあらわす漢字の崩し字は「寸」「春」「須」「数」「壽」と5つもある。
輸入品である漢字を日本人は、輸出国の一字一音ではなく、数音で使ってきた(お経の経と経済の経は音が違う)し、変体がなに見られるように表意文字を強引に表音文字化して使ってきた。その感性に、すでに融通無碍さがある。
字の違いを深読みして、とんでもない推論に導かれるより、昔の人はけっこう鷹揚に漢字を使ったのだね、ぐらいに思ってるほうがいいように思われる。
ちなみに小石川伝通院の清河八郎のお隣の「お蓮さん」のお墓の文字は「蓮」ではなく草冠のない「連」となっている。どなたもあまり気にされないけれど。
深読みしすぎだと、私は思う。
「坂」はもともと「阪」の異体字であって、同じ字なのである。
地名の大阪は江戸時代は「大坂」と土偏で表記されることが多かった。明治になって、政府がいまの「大阪」に統一している。なぜか。
士族の反乱を懸念して、士と反の結びついた字を嫌ったという説もあるが、士ではなく土であるから、土に返るつまり死を意味するようで不吉だからとされる説のほうを採りたい。
ところで江戸時代にも「大阪」という表記はなかったわけではなく、いわば二つの表記が使われていて、前記のように「大坂」と表記されることが多かったというだけのことだが、(学術論文じゃないから根拠はいちいち列挙しないけれど、 江戸時代人の手紙とか文書を読んでいて、あ、この人も大阪と使っているなという例には幾度か遭遇した)要するに、昔の人は、かなり融通無碍に漢字を使っていたというだけのことではないのか。
龍馬だって良馬と書かれるケースもあった。
表意文字である漢字だから、字が違うと、意味も違ってくると勘ぐりたくもなるが、音が合ってればそれでよしとするところもあったのである。
「変体がな」のことに考えをめぐらして見よう。たとえば「す」をあらわす漢字の崩し字は「寸」「春」「須」「数」「壽」と5つもある。
輸入品である漢字を日本人は、輸出国の一字一音ではなく、数音で使ってきた(お経の経と経済の経は音が違う)し、変体がなに見られるように表意文字を強引に表音文字化して使ってきた。その感性に、すでに融通無碍さがある。
字の違いを深読みして、とんでもない推論に導かれるより、昔の人はけっこう鷹揚に漢字を使ったのだね、ぐらいに思ってるほうがいいように思われる。
ちなみに小石川伝通院の清河八郎のお隣の「お蓮さん」のお墓の文字は「蓮」ではなく草冠のない「連」となっている。どなたもあまり気にされないけれど。