不敵な「まえがき」(正確には、はじめに、)がある。「…どのような批判にも耳を貸す気がないと言っているわけですね」あるいは「この仕事はボランティアで『どぶさらい』をやっているようなものですから、行きずりの人に懐手で『どぶさらいの手つきが悪い』とか言われたくないです」
私は内田先生の本は、ほとんど読んできたし、ブログの熱心な読者でもあるから、断じて行きずりの人間ではないと自負している。懐手どころか、随所で手をうって、その玄妙なレトリックに感嘆していた。いつも思うことだが、概念を指示する語彙をこれだけ豊富にあやつる執筆家は、昨今、内田先生ぐらいしかいないのではないか。
もっとも内田先生自身はこう述べておられる。
〈本書が論じているのは、「地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している」という命題ですから、当然さまざまな学術用語や専門用語を駆使しなくては論じられない。けれども、私はそれをできるだけ具体的な生活言語を使って論じようとしています。〉
いえいえ、具体的な生活用語とは決してなじまない「圭角のある概念」をあらわす語彙が散りばめられている。しかし、それらの語彙には文脈のなかで強いイメージの喚起力があるのである。
ほんとうは言葉では伝え難い内容を語るⅢ章の「『機』の思想』以外は、たぶん行きずりの読者でも比較的に気軽によめるだろう。
当初、僕は、という人称で書かれていたのを、途中で、私は、という人称で語るように書き換えたと明かし、その理由を述べている個所がある。この理由に納得のいかない読者は、おそらくこの本を理解できないだろう。
不敵とみえるまえがきは、あらかじめ予想される偏見と誤解への先回りかもしれない。私には、しごくまっとうな意見だけが綴られているように思われたのだが。
私は内田先生の本は、ほとんど読んできたし、ブログの熱心な読者でもあるから、断じて行きずりの人間ではないと自負している。懐手どころか、随所で手をうって、その玄妙なレトリックに感嘆していた。いつも思うことだが、概念を指示する語彙をこれだけ豊富にあやつる執筆家は、昨今、内田先生ぐらいしかいないのではないか。
もっとも内田先生自身はこう述べておられる。
〈本書が論じているのは、「地政学的辺境性が日本人の思考と行動を規定している」という命題ですから、当然さまざまな学術用語や専門用語を駆使しなくては論じられない。けれども、私はそれをできるだけ具体的な生活言語を使って論じようとしています。〉
いえいえ、具体的な生活用語とは決してなじまない「圭角のある概念」をあらわす語彙が散りばめられている。しかし、それらの語彙には文脈のなかで強いイメージの喚起力があるのである。
ほんとうは言葉では伝え難い内容を語るⅢ章の「『機』の思想』以外は、たぶん行きずりの読者でも比較的に気軽によめるだろう。
当初、僕は、という人称で書かれていたのを、途中で、私は、という人称で語るように書き換えたと明かし、その理由を述べている個所がある。この理由に納得のいかない読者は、おそらくこの本を理解できないだろう。
不敵とみえるまえがきは、あらかじめ予想される偏見と誤解への先回りかもしれない。私には、しごくまっとうな意見だけが綴られているように思われたのだが。
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