小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

凌霜隊の悲劇  11

2008-07-10 23:00:51 | 小説
 降伏した凌霜隊が郡上藩に送られるため、千住から品川沖へ伝馬船に乗せられたことは前に書いた。
 伝馬船は岸辺のさんざめきを横目で見ながら、暗い水面をゆるやかにすべっていった。
 矢野原与七は、いや凌霜隊の面々は岸辺のそのさんざめきに、彼らの直面したのとはまったく違う日常のあることを思い知らされている。
 両国を通過するときには、軒をならべた茶屋茶屋から、三味線の音色も聞こえたのであった。
「幕張芝居や見世物の、はや夜になりて、かしづまりて、左右に見ゆる川岸の茶屋の二階に燈す提灯と障子にうつる人影は、柳橋辺の美人ならん」
 と、さすが江戸詰で盛り場にも詳しい矢野原は『心苦雑記』に書いている。
 戦闘の場面よりも印象に残る記述である。
 新大橋を過ぎて永代橋へさしかかると、仮宅通いの四つ手かご、またほうかむりのひやかし、夜明かしの茶めしやあんかけ豆腐を売る店、永代だんごの焼き火などが見え、都々逸や角づけの三筋の音まで川面に響いた、と矢野原は描写している。
 それにひきかえ凌霜隊員は大きな声もできないとは「思えば情けなき身分なり」と言うのである。
 江戸の盛り場の賑わいも現実ならば、悲惨な戦闘も籠城も現実であった。
 なんのために戦っていたのか。
 矢野原の胸中に去来したせつなさを敷衍すれば、戊辰戦争そのもののむなしさにつきあたるはずである。
 ところで藩に対する怨嗟の声は、凌霜隊の面々からは聞こえない。藩の密命で会津に加勢にでかけ、その藩から幽閉されるわけだが、彼らの処分についての指令はすべて新政府の兵部省から出ていることを知っているからである。さらにはもともと小藩のサバイバルのための密命ということを、彼らはよく承知していたからである。 


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1 コメント

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凌霜隊の悲劇  11 (パトリオット)
2014-01-14 08:15:19
_>>江戸の盛り場の賑わいも現実ならば、悲惨な戦闘も籠城も現実であった。
 なんのために戦っていたのか。

負けていなければ違った形になっていたでしょう。


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