小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

続・いろは丸の売主は?

2011-02-20 16:42:31 | 小説
 渋谷雅之氏の『龍馬と船』という論考が高知の龍馬研究会の会報『龍馬研究』に連載されている。その6回目の記事(第181号・平成23年2月10日)に、いろは丸の売主に関する渋谷氏の推理が述べられていた。
 むろん昨年4月に発表され、定説を覆すと話題になったポルトガル語の文書(東京大学史料編纂所の岡美穂子氏解読)にも言及されていて、こう書かれている。
「この証書は艦船売買契約書の形式ではなく、譲渡の際の覚書のような印象である。覚書にしても、いくつか不審な点があり、捏造文書である疑いは一つの可能性として残しておく必要があると思われるが、云々」
 そして捏造ではないと仮定しても、実質的な売主はポルトガル文書の売主のロウレイロというより、通説の「ボードインと言った方が実情に近い」と結論づけている。
 さらに大洲藩の年間歳入額をはるかに超える艦船代金は、運用によって徐々に返済すればよく、ポルトガル証書に記されたような一括返済のメリットはなにもないとしている。私も渋谷氏の穏健な見解に結論において賛成である。
 薩摩藩が安行丸(のちのいろは丸)をロウレイロにではなくボードインに売ったという記録は『海軍歴史』のほかに渋谷氏も紹介しているミルンの報告書「In 1865 Satsuma sold her to a Dutch Merchant in Ngasaki」などもあって混乱するのだが、私には、平成のバブル期の土地ころがしに似たような状況が彷彿される。あの頃は、不動産の売買は決済がすまないうちに次々と所有者が移転して、エンドユーザーに渡るまでに、利ざやを稼ぐだけの契約者が何人も介在した。ほんの手付金だけで決済代金は動かずに売買が繰り返されたのである。ロウレイロは決済代金を売買において実際には動かしていず、実質的にお金を動かしたのはボードインとみればよいのではなかろうか。
 余談だが、いろは丸にかかわったロウレイロには弟が二人いたらしい。明治になって東京築地のポルトガル領事館にいたエデュアルド・ロウレイロは弟のようだ。1872年の「銀座の大火事」で、この領事館も被災、領事のロウレイロは三田の天暁院に移ったという記録がある。

幕末、会津・庄内両藩とプロイセンの提携を図ったスネル

2011-02-07 10:39:50 | 小説
 幕末、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)に対して、北海道の領地の売却を打診し、提携を持ちかけていたという事実が、ドイツ国立軍事文書館の資料によって明らかになっている。(東大史料編纂所の箱石大准教授らの確認)そのニュースの詳しい続報が本日(2月7日)の朝日新聞朝刊の文化欄に載っている。 最初にニュースに接したとき、ああこれは会津藩の軍事顧問をしていたスネル(朝日記事ではシュネル)の斡旋によるものだなと推測したが、案の定、本日の記事では国学院大栃木短大の田中正弘教授の「会津・庄内両藩とプロイセンを結びつけたのはシュネル兄弟でしょう」という談話が紹介されている。 さて、そのスネルについては、2007年10月のこのブログにおいて『幕末の「怪外人」平松武兵衛』というタイトルで、私も言及したことがある。平松武兵衛はヘンリー・スネルの日本名なのであった。そのブログでは従来国籍が不明であったスネル兄弟をオランダ人であろうと推測したが、どうやら出自そのものもプロイセンであるらしい。本日の記事に、スイス在住のユリコ・ビルド・カワラさんの兄弟の出自調査結果も紹介されているからである。(後日訂正しておこうと思う) いずれにせよ、この提携話は当時の宰相ビスマルクが断ったから実現しなかった。というよりも戊辰戦争の帰趨からみれば、この提携話はタイミング的に遅すぎたのであった。しかし、もし早い時期にビスマルクがこの提携を呑んでいたらと思うと、いささかぞっとする話である。

朝日新聞の記事↓
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201102070075.html