三島由紀夫の自死を、政治的になんら有効性のない愚挙だと決めつける論調は、事件後すぐにあった。しかし、これは的外れな批判と言うべきだろう。事件の一年前に、三島氏は朝日新聞の夕刊に寄稿した『仮面はがれる時代━「国を守る」とは何か』のなかで、こう述べている。
「1969年の今、私が政治に参加しないといふ方法論はほぼ整った。私は精神の戦ひのためにだけ私の剣を使ひたい」
そうなのだ。あの事件の本質は「精神の戦ひ」としてとらえなければ理解しがたいのである。かって、三島氏は吉本隆明の評論集の帯に推薦文を寄せ、吉本隆明のことを「観念の闘牛士」と形容したことがあった。その形容になぞらえれば、三島由紀夫は観念の武士であったのだ。
それにしても、事件後に野次馬的発言やしたり顔のコメントで賑わった中で、見事としか言いようのない態度を示したのは大岡昇平だった。大岡氏はただひと言「凶事については語らず」といい、親交のあった三島由紀夫のことについて一切言及しなかったのである。この大岡氏の態度は際立っていた。一再ならず、私も三島由紀夫論を書こうかと思ったことがあるけれど、そのたびに大岡氏の「マガゴトニツイテハ語ラズ」という呟きが聞こえ、意欲そのものがそがれてしまうのだった。
ただ私自身は、心の内側に残る三島由紀夫の影響という塗料を少しずつ剥がしてゆく作業をしなくてはならなかった。
「1969年の今、私が政治に参加しないといふ方法論はほぼ整った。私は精神の戦ひのためにだけ私の剣を使ひたい」
そうなのだ。あの事件の本質は「精神の戦ひ」としてとらえなければ理解しがたいのである。かって、三島氏は吉本隆明の評論集の帯に推薦文を寄せ、吉本隆明のことを「観念の闘牛士」と形容したことがあった。その形容になぞらえれば、三島由紀夫は観念の武士であったのだ。
それにしても、事件後に野次馬的発言やしたり顔のコメントで賑わった中で、見事としか言いようのない態度を示したのは大岡昇平だった。大岡氏はただひと言「凶事については語らず」といい、親交のあった三島由紀夫のことについて一切言及しなかったのである。この大岡氏の態度は際立っていた。一再ならず、私も三島由紀夫論を書こうかと思ったことがあるけれど、そのたびに大岡氏の「マガゴトニツイテハ語ラズ」という呟きが聞こえ、意欲そのものがそがれてしまうのだった。
ただ私自身は、心の内側に残る三島由紀夫の影響という塗料を少しずつ剥がしてゆく作業をしなくてはならなかった。