葡萄酒の良し悪しを判断するのに、なにも一樽飲み干すことはない、という西洋の諺がある。ひと口だけ味わえばすむのである。つまり、利き酒だ。小説の書き出しの、その冒頭の一行こそは、いわば利き酒の盃である。
口に合うか合わぬかは、それは人それぞれの嗜好が違うからして、一般的な是非の問題にはならない。万人向けの口当たりのよい味に仕上げたら、かえって物足りないという偏屈な読者だっている。小説にも酩酊感は必要だから、ノンアルコール飲料のようになってはいけないが、私はどちらかというと上善水の如しというような文章が好きだった。
ともあれ、ひとつだけ確実にいえる事がある。読者に利き酒の段階で忌避されないような味にしなければならないということだ。実は、書店の本棚の前で利き酒抜きで、ともかく買ってしまった最近話題の時代小説の書き出しのもたつきに、ちょっとげんなりしたのである。そういえば、大岡昇平『堺港攘夷始末』の書き出しに違和感をおぼえたことがあったけど、今読んでもそうかなと思い出したことが、この稿を書くきっかけになった。まだ二十歳前のころ、その書き出しに衝撃をうけた小説に出会った。カミユの『異邦人』である。誰の訳か忘れたが、いまでもそらんじている。「今日、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」
そのカミユの傑作長編『ペスト』にはたしか、ペストに羅病した患者で、小説の書き出しを何度も何度も書き直し、その推敲の過程を医師に見せる人物が登場していた。その登場人物に身につまされた若かりし頃の私から、いまなお一歩も進歩していない。冒頭の一行に悩みに悩んでいる小説の構想をかかえて、数年がたつ。
口に合うか合わぬかは、それは人それぞれの嗜好が違うからして、一般的な是非の問題にはならない。万人向けの口当たりのよい味に仕上げたら、かえって物足りないという偏屈な読者だっている。小説にも酩酊感は必要だから、ノンアルコール飲料のようになってはいけないが、私はどちらかというと上善水の如しというような文章が好きだった。
ともあれ、ひとつだけ確実にいえる事がある。読者に利き酒の段階で忌避されないような味にしなければならないということだ。実は、書店の本棚の前で利き酒抜きで、ともかく買ってしまった最近話題の時代小説の書き出しのもたつきに、ちょっとげんなりしたのである。そういえば、大岡昇平『堺港攘夷始末』の書き出しに違和感をおぼえたことがあったけど、今読んでもそうかなと思い出したことが、この稿を書くきっかけになった。まだ二十歳前のころ、その書き出しに衝撃をうけた小説に出会った。カミユの『異邦人』である。誰の訳か忘れたが、いまでもそらんじている。「今日、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない」
そのカミユの傑作長編『ペスト』にはたしか、ペストに羅病した患者で、小説の書き出しを何度も何度も書き直し、その推敲の過程を医師に見せる人物が登場していた。その登場人物に身につまされた若かりし頃の私から、いまなお一歩も進歩していない。冒頭の一行に悩みに悩んでいる小説の構想をかかえて、数年がたつ。