小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

中平まみ『ストレイ・シープ』のエム子 〈ヒロインシリーズ 15〉

2012-10-04 11:12:43 | 読書
「感受性ばかり鋭い女ができることは、何だろう。過敏な神経をもった女が生きていくには、どんな方法があるだろう」と考えて、エム子は小説を書こうと決意する。
「思い石をつけて沈めてしまいたい記憶の数かずも、書けば、書きさえすれば、光り輝く星々となり、みずからも救われるのではないか」
 これが作品の結語である。エム子つまりM子とは、作者まみその人だ。中平まみの父は日活黄金期の映画監督中平康であった。
 エム子のパパも映画監督で、彼女が8歳のとき、家を出てほかの女と暮らしはじめた。成人したエム子は、テレビ局のニュース番組のアシスタントになるが、短期間で解雇される。妻子ある報道部の記者と不倫関係になり、そのことが影響した。エム子には初めての男だった。「こんなに開かなければならなかったの。こんな恰好をするんだったの」とウブだった彼女を女にして、そしてつれなくした男。
 海外赴任を明日にひかえた男のもとに、エム子は電話して、一目会いたい、一分でもいいと訴えるが、男は会おうとしなかった。あたりをはばかることなく「抱いて欲しいのよ!」と叫んでも。
 テレビ局を解雇された翌年、中平まみの父中平康は死ぬ。52歳だった。だからエム子も24歳でパパの遺児となった。
「ひどいパパだとしか思えなかったこともある。しかし今、エム子はパパが分ると思う。ずっと映画を撮れないで、お酒と薬漬けになっていたパパの辛さがエム子には分る。…パパほど困った人はいなかったかもしれないが、またパパほどいい人もいなかったかも知れないということ。ディア・パパ」
 こういう箇所に私は弱い。作品を書き上げた中平まみにそっくりエム子が重なってしまう。
 中平康は私の郷里と縁があった。こんなお嬢さんがいたとは知らなかった。迷える羊なんかになるなよ、エム、いや、まみさん。 


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