小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

ボルヘス『詩という仕事について』を読む

2011-07-26 16:16:20 | 読書
 小説はさかのぼれば高貴な叙事詩であり、現今の小説はその叙事詩の堕落したものではないか、というような見解を述べたのはボルヘスである。このアルゼンチン生まれの二十世紀文学の巨匠はこうも語っている。
「私の考えでは、小説は完全に袋小路に入っています。小説に関連した、きわめて大胆かつ興味深い実験のすべての――例えば、時間軸の移動というアイデアや、異なる人物たちによる語りというアイデアの――行き着くところは、小説はもはや存在しないとわれわれが感じるような時代でしょう」
 引用は『詩という仕事について』(岩波文庫・鼓 直訳)からであるが、ハーヴァード大学の講義で語られた言葉だ。1967年秋から翌68年にかけての講義だから、昭和でいえば42年から43年頃のことである。平成23年のいま、小説はまだ袋小路に入ったままである。
 ボルヘスの考える小説、あるいは文学がどういうものか、よくわかるのがこの講義録なのだが、これほど心に沁みる名言が散りばめられている記録だと、読む前には正直思わなかった。
 6回の講義の5回目「思考と詩」のはじめのほうにハンスリックの言葉が引用されている。それは「音楽はわれわれが用い、理解もできるが、翻訳することはできない言語である」という個所である。あきらかにボルヘスは、すべての芸術は音楽にあこがれるという先人の言葉に共感している。昭和40年の終わりころ、音楽に疎い私なのにハンスリックの『音楽美論』をむさぼるように読んでいた。当時衝撃を受けた吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』に触発されて、小説固有の美学を理論的にみきわめたかったからである。昭和41年5月号の『群像』に掲載された私(本名の近藤功名義)の処女評論『吉本隆明』にもハンスリックを援用したフレーズを書きつけているが、実を言うとハンスリックのことは誰にも顧みられないだろうと感じていた。ああボルヘスも読んでいたのだから、あながち的外れの本を読んだわけではなかった、と今頃になって慰められたような気分だ。
 ボルヘスは袋小路に入った小説、あるいは言語表現になかば絶望し、なかばそうではない。ボルヘスは小説を依然として信じている。最終講義の「詩人の心情」で彼はみずからの引き裂かれた心情と矛盾を隠そうとしていない。彼は聴衆にこう告げた。「仮にあとで裏切られると分かっていても、人間はなにかを信じるよう努めるべきではないでしょうか」
 文章を読んで胸にこみあげてくるものがあったのは久しぶりのことだった。
「何かを書いているとき、私はそれを理解しないように努めます。理性が作家の仕事に大いに関わりがあるとは思っていません。現代文学のいわば罪障の一つは、過剰な自意識であります」
 巨匠だから言える言葉である。
 彼は講義の最後に自作のソネットをスペイン語で朗読してみせる。スペイン語がわからなくても「意味などというものは重要ではありません。重要なのは音楽まがいのもの、語り口とよばれるようなものです」という。
 言語の美学はどこに宿るのか、そういう形で伝えたかったのであろうと思う。
 もし聴衆が、または読者が実作者ならば、かっこいい語り口で物語を紡ぎたくなるはずだ。そういう誘惑に駆られる講義録だ。たとえ堕落した叙事詩であったとしても、物語の可能性をまだ私も信じたい。
詩という仕事について (岩波文庫)
J.L.ボルヘス
岩波書店