小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

村上春樹『ノルウェイの森』の緑 〈ヒロインシリーズ 18〉

2012-10-07 06:57:56 | 読書
 緑は大学生。ずっと女子校育ちなので、男に関して深甚な興味があった。
 男の子は何を考え、その体の仕組みはどうなっているのか。性的というより、ほとんどアカデミックな興味なのだが、彼氏からは淫乱だとか挑発的だとか欲求不満だと思われがちだ。
 その彼氏よりも好きな学生(小説の主人公)ができて、正直にそのことを彼氏に告げて別れ、男とつきあうようになる。「大丈夫よ、あなたに他に好きな人がいることを知ってるから別に何も期待しないわよ」と言って。
 それは少し嘘である。「私をとるときは私だけをとってね。そして私を抱くときは私のことだけを考えてね」これが本音だ。
 緑の部屋で男は同じ布団の中で「世界の成り立ち方からゆで玉子の固さのの好みに至るまでのありとあらゆる話」をする。男は体を重ねない。「頑固な人ね。もし私があなたならやっちゃうけどな。そしてやっちゃって考えるけどな」と緑は言う。これも嘘がある。緑は男のこういうところが好きなのである。
 男は頭の中で他の女のことが整理がついていない。だから緑の体の中に入ってこないのである。緑は自分の手で、男の精液を出させる。少しのヒワイ感もないすぐれた描写があるのだが、引用するには長すぎる。誤解をおそれずにいえば、『ノルウェイの森』はザーメンの匂いが濃厚にただよう小説である。凡俗のポルノからは決して匂い立たない、アミノ酸構成物のかなしい栗の花のような匂い、あるいは青春そのものの匂い。
 精神病院にいる男の恋人直子も、直子の療養仲間であるレイコさんも、みんな男はそれぞれのかたちで愛してきたけれども、長く苦しい遍歴のはてに、男は緑の大切さを悟る。
「世界中に君以外に求めるものは何もない。君と会って話したい。何もかも君と二人で最初から始めたい」この男の電話の悲痛な呼びかけを、緑はどんな思いでうけとめたか。
 それは書かれていない。
ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)
村上 春樹
講談社


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