鳥越碧『波枕 おりょう秘抄』(講談社)を読んだ。本の帯に「誇りを持って、龍馬の妻であり続けた女の一生」とある。むろん、おりょうさんの物語である。読まずにいられるわけがない。
だが、冒頭部分、一章で早くもあれっと思った。再婚相手の松兵衛に、9歳も若く年齢を偽っていたという、おりょうさんの「後ろめたい思い」が綴られるからだ。これでは阿井景子路線の踏襲である。このことについては以前にもこのブログで書いた(参照おりょうさんの戸籍上年齢)けれど、結果的に男をたぶらかしていたという誤ったイメージを払拭しない限り、おりょうさんという女性の本質を見損なうのである。
ちなみに寺田屋時代のおりょうさんを松兵衛が知っていて、惚れていたらしいことは殿井力(寺田屋お登勢の娘)の証言がある。とっくの昔に松兵衛はおりょうの年齢ぐらいは把握していたのだ。
作者は「あとがき」で「史実に添うように努力したが、、あえて、逸れているところもある」として史実と違う具体例をあげているが、逆に言えばそれ以外は史実に準拠していると言いたげである。ところが、かなり杜撰である。とても気になった二点をあげておく。
まず、なんと福岡田鶴のことが語られるが、この女性は司馬遼太郎の創出した架空の人物である。どうやら作者は実在の人物と思い込まれているようなのだ。
次に長崎の小曽根家滞在時のおりょうさんの描き方がおかしい。「月琴の師匠は、小曽根英四郎の姪のお菊である」と作者は書く。まあ、月琴を菊に習ったという説はあるから、師匠という言い方はよいとしよう。作中、おりょうとお菊は大人同士の会話を交わしている。龍馬と丸山芸者のお元との仲を嫉妬したおりょうさんが菊に「いつごろからどすやろな、うちの人とは?」と聞いたりする場面がある。作者は、菊の年齢の検証を怠っていることが、これでわかる。
菊は当時まだ11歳の少女だった。少女相手に、丸山一の芸妓の名を教えてくれとか、いつごろから龍馬とできているのかなどと、おりょうさんが聞くだろうか。月琴の師匠だから、大人の娘に違いないと作者は勘違いしのだろうが、おりょうさんが彼女に月琴を習ったというのも、一緒に習ったという話が変容しているとみなした方が良い。おりょうさんは菊の父、小曽根乾堂に月琴の指導を受けたと私なら考える。
総じて、おりょうさんに好意的なまなざしで描かれた小説ではあるけれど、阿井景子路線の踏襲でつまづき、それが最後まで尾をひいているのが残念である。
だが、冒頭部分、一章で早くもあれっと思った。再婚相手の松兵衛に、9歳も若く年齢を偽っていたという、おりょうさんの「後ろめたい思い」が綴られるからだ。これでは阿井景子路線の踏襲である。このことについては以前にもこのブログで書いた(参照おりょうさんの戸籍上年齢)けれど、結果的に男をたぶらかしていたという誤ったイメージを払拭しない限り、おりょうさんという女性の本質を見損なうのである。
ちなみに寺田屋時代のおりょうさんを松兵衛が知っていて、惚れていたらしいことは殿井力(寺田屋お登勢の娘)の証言がある。とっくの昔に松兵衛はおりょうの年齢ぐらいは把握していたのだ。
作者は「あとがき」で「史実に添うように努力したが、、あえて、逸れているところもある」として史実と違う具体例をあげているが、逆に言えばそれ以外は史実に準拠していると言いたげである。ところが、かなり杜撰である。とても気になった二点をあげておく。
まず、なんと福岡田鶴のことが語られるが、この女性は司馬遼太郎の創出した架空の人物である。どうやら作者は実在の人物と思い込まれているようなのだ。
次に長崎の小曽根家滞在時のおりょうさんの描き方がおかしい。「月琴の師匠は、小曽根英四郎の姪のお菊である」と作者は書く。まあ、月琴を菊に習ったという説はあるから、師匠という言い方はよいとしよう。作中、おりょうとお菊は大人同士の会話を交わしている。龍馬と丸山芸者のお元との仲を嫉妬したおりょうさんが菊に「いつごろからどすやろな、うちの人とは?」と聞いたりする場面がある。作者は、菊の年齢の検証を怠っていることが、これでわかる。
菊は当時まだ11歳の少女だった。少女相手に、丸山一の芸妓の名を教えてくれとか、いつごろから龍馬とできているのかなどと、おりょうさんが聞くだろうか。月琴の師匠だから、大人の娘に違いないと作者は勘違いしのだろうが、おりょうさんが彼女に月琴を習ったというのも、一緒に習ったという話が変容しているとみなした方が良い。おりょうさんは菊の父、小曽根乾堂に月琴の指導を受けたと私なら考える。
総じて、おりょうさんに好意的なまなざしで描かれた小説ではあるけれど、阿井景子路線の踏襲でつまづき、それが最後まで尾をひいているのが残念である。