小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

凌霜隊の悲劇  8

2008-07-04 23:14:36 | 小説
 正確にいうと、日向内記は凌霜隊の米沢小源治(35才)を呼び出している。 そして、塩川(福島県塩川町)まで来ている仁和寺宮嘉彰(奥羽征討総督)にすでに降伏の儀を申し上げた、と米沢小源治に伝えたのであった。
 ついては凌霜隊も隊員各位の年齢を記した名簿を提出してほしいというのが日向の用件だった。
 さすがに日向は直接に隊長の朝比奈茂吉に切り出せず、米沢をクッションにしたのかもしれない。
 以下、矢野原の記述はそっけない。
「日向氏申し聞かされ候段、米沢より朝比奈氏へ申し渡す。これにより同人屯所へ一統呼ばれ、右の段申し談ぜられる。一統にも存じよりこれ無き段申し渡す」
 淡々とした記述に終始したのは、あまりの無念さゆえに、感情が記録の奥深くに沈潜してしまったのだろうか。誰かが嗚咽し、誰かが激高したとでも書かれていれば、私たちはたぶんそちらのほうにリアリティを感じたはずだ。だが、事実は「一統にも存じよりこれ無く」つまり誰も異を唱えることなく、冷静に「降伏」をうけとめたのである。あるいは降伏するしかない情況をみんなが冷静に認めあったということである。
 その冷静さは、たぶん放心状態に似ている。どんなに苛酷な状況下に彼らが置かれていたかを、かえって想像させるに足る「存じより」の無さなのだ。
 このそっけない淡々とした記述に、私はむしろ胸をつまらせた。
 矢野原がどれだけの感情を押し殺して、これを記述したのか。あれこれと書きたい思いはやまほどあっただろうにと、その抑制力に敬意を表したい。
 さて、日にちは前後するが、9月12日に征討軍参謀が味方の各藩に出した警告文がある。驚くべき内容が書かれていた。
「打ち取り候ところの賊死体の腹を屠り肉を刻み、残酷の振舞あるいはこれ有る趣相聞け、以ての外の事に候、賊といえども同じく皇国の赤子、右ら粗暴の処置これ無きよう兵隊末々迄申し渡す旨御沙汰候事」
 人肉食がどうやらあったらしい。
 敵であっても同じ日本人、最低限の尊厳はまもって、残酷な行為はするなと参謀がいましめなければならなかった。そういう戦いを戦い、籠城していたのが会津人や凌霜隊であったのだ。


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1 コメント

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凌霜隊の悲劇  8 (パトリオット)
2014-01-14 08:03:55
>>敵であっても同じ日本人、最低限の尊厳はまもって、残酷な行為はするなと参謀がいましめなければならなかった

戦争はこのような行為があります・・・・・

官軍にすれば抵抗するのは何をしても
かまわないという気持ちだったのでしょう。
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