小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

水上勉『五番町夕霧楼』の夕子  〈ヒロインシリーズ 17〉

2012-10-06 17:04:17 | 読書
 夕霧楼は京都西陣の五番町にあった。19歳の夕子は、木樵りの父とふたりで、そこの女主人に懇願して娼妓となった。3人の妹がいて、母親は肺病を患っている。生活の窮乏と母の医療費のために、すすんで体を売ることになったのか。いや、それだけではない。
 夕子は有力な帯問屋の主人で竹末という旦那に水揚げされ、女道楽の限りを尽くした竹末をさえ、たちまち夢中にさせてしまう。竹末という後ろだてを得て、夕子はいちげんの客をとらなくてよくなるが、なぜか彼女は客をとる。そして、やがて学生の馴染み客をつくる。
 学生の実態は、京都でも格式の高い寺の修行僧だった。彼の登楼の費用は夕子が自分で出したりする。
 男は重度の吃音者で、小さいときから人と話をするのが苦痛な、かなり鬱屈した青年である。実は夕子の幼馴染だった。兄妹のように過ごした時期があった。与謝半島に育った夕子が、夕霧楼に自分を売ったのは、この男に会うという目的もあったと思われる。
 しかし、夕子は母と同じく肺をやられ、吐血して入院する。男とは会えなくなるのであった。
 ある深夜、夕子は病院の窓から遠くの火事を見る。火事が男の仕業だと知っているのだ。
 国宝の建築物が炎上する歴史的な瞬間を目撃する夕子は、このとき実在的なモデル性をおびるけれども、金閣寺放火犯の僧徒に、なじみの遊女がいたかいなかったか、そんなことはどうでもよろしい。物語はあくまでヒロイン夕子のものである。(注:金閣寺は1950年放火によって炎上。その5年後の1955年に再建された)
 夕霧楼のおかみや朋輩たちから、まるで身内の人間のように可愛がられ、世話をやかれ、放火犯との心のつながりを理解してもらうことのできた、心やさしい夕子の物語である。
 男は逮捕され、取調中に自殺する。夕子はそのことを知ると、病院を抜け出し、故郷の樽泊村まで帰る。帰って、男の育った海の見える寺の墓地で毒をあおって死んだ。百日紅の樹の下で、そこは少女の頃の夕子の遊び場だった。
五番町夕霧楼 (新潮文庫)
水上 勉
新潮社


〈蛇足のような補遺〉作者水上勉は、舞鶴の教員時代にこの金閣寺放火犯と面識があったらしい。それはどうでもいいが三島由紀夫の傑作とされる『金閣寺』とこの作品を読みくらべてほしい。どちらがより感動的であるか。三島作品の僧徒も魅力的であるけれど、哀切さではこちらにかなわない。なお司馬遼太郎はこの放火事件の記事を書いたとされる。司馬は新聞記者だった。


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