ロシアの駐韓公使ウェーベル(1885年10月赴任)の随員にソンタクという女性がいた。
公使夫妻の親類筋にあたる人物のようだが、ロシア語はもとより、フランス語、ドイツ語を解し、英語と朝鮮語も使えた。
列強との外交上、朝鮮王朝にしてみれば彼女は得難い人材となって、閔妃も自分より三歳年下の彼女と個人的にも親しくなったらしい。
ソンタクとの親密さ即ロシア公使との親密まではよいとして、閔妃はその関係を朝鮮王朝とロシア本国との親密さにひとしいと錯覚したようである。そしてロシア提案による三国干渉に屈服した日本を見て、朝鮮から日本を追い出すチャンスとばかり速断してしまった。
ほんとうは閔妃の知らぬところで国際情勢は激しく動いていた。閔妃が考えたほど事態は単純ではなかったのである。
干渉三国の同調は、それぞれの利害関係から、くずれはじめていた。それも2カ月も経たないうちにだ。
ロシアの対清借款に反発したドイツが、日本を支援する側に回ったのである。清に下関条約を日本の講和案のまま批准させることになった。国際的な立場からすれば、朝鮮における日本の地位は弱くなるどころか、逆に強化されていたのである。
日本は遼東半島の領有はうしなったけれど、韓半島における権限はうしなっていなかったのである。
閔妃にしてみれば、ロシアにすり寄って日本の干渉から抜け出そうとしても、弱体化した日本からは抵抗をうけるはずがないと踏んだかもしれない。しかし、ロシア本国には、日本とことを構えてまで朝鮮問題に深入りする考えはなかった。シベリア鉄道完成までは、満州を侵害されない限り日本との衝突は避けるというのがロシアの基本路線だった。
閔妃は、おそらくそんなことは知らなかった。だが王妃は朝鮮政府から親日派を一掃するために、動いた。
公使夫妻の親類筋にあたる人物のようだが、ロシア語はもとより、フランス語、ドイツ語を解し、英語と朝鮮語も使えた。
列強との外交上、朝鮮王朝にしてみれば彼女は得難い人材となって、閔妃も自分より三歳年下の彼女と個人的にも親しくなったらしい。
ソンタクとの親密さ即ロシア公使との親密まではよいとして、閔妃はその関係を朝鮮王朝とロシア本国との親密さにひとしいと錯覚したようである。そしてロシア提案による三国干渉に屈服した日本を見て、朝鮮から日本を追い出すチャンスとばかり速断してしまった。
ほんとうは閔妃の知らぬところで国際情勢は激しく動いていた。閔妃が考えたほど事態は単純ではなかったのである。
干渉三国の同調は、それぞれの利害関係から、くずれはじめていた。それも2カ月も経たないうちにだ。
ロシアの対清借款に反発したドイツが、日本を支援する側に回ったのである。清に下関条約を日本の講和案のまま批准させることになった。国際的な立場からすれば、朝鮮における日本の地位は弱くなるどころか、逆に強化されていたのである。
日本は遼東半島の領有はうしなったけれど、韓半島における権限はうしなっていなかったのである。
閔妃にしてみれば、ロシアにすり寄って日本の干渉から抜け出そうとしても、弱体化した日本からは抵抗をうけるはずがないと踏んだかもしれない。しかし、ロシア本国には、日本とことを構えてまで朝鮮問題に深入りする考えはなかった。シベリア鉄道完成までは、満州を侵害されない限り日本との衝突は避けるというのがロシアの基本路線だった。
閔妃は、おそらくそんなことは知らなかった。だが王妃は朝鮮政府から親日派を一掃するために、動いた。