小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

田宮虎彦『足摺岬』の八重  〈ヒロインシリーズ 11〉

2012-09-30 08:56:27 | 読書
 足摺岬の先端は、自殺の名所として知られている断崖絶壁である。群生する椿の小道を通って、そこに至るのだけれども、文字通り風光明媚の景勝地で、現実の足摺岬はとても明るい。むしろ対をなすように土佐湾の東にある室戸岬のほうが重く陰鬱な印象を与えるのではないかと、私などは思うが、ひとは陽光きらめく明るい場所で、いっそ死にたくなるのかもしれない。
 作者の田宮虎彦は、この作品を書いたとき、実際の足摺岬を知らなかった(つまり行ったことがなかった)と、直接ご本人から聞いたことがある。ともかく、小説『足摺岬』は暗く、切ない。
 自殺をはかろうとして、足摺近くの遍路宿に泊まった東京から来た学生がいる。この学生、肋膜を病んでいたから、梅雨の時期に雨に濡れて、高熱を発して寝込んでしまう。
 長雨に居つづけている老いた遍路や常連の薬売りに看護される。なにより宿の女将や17歳ばかりの宿の娘にも世話になる。八重という娘は、この学生に、ほのかな慕情、いや、あるいはもっと強い感情を抱いている。
 遍路宿の者たちはみんな学生が自殺志望者であることを感づいていた。薬売りが言う。「治ってよかったのう、生命(いのち)は粗末にせられんぜよ」と。
 幾日かたって体が動くようになると、学生は足摺岬に行く。しかし、もはや死にそびれて、帰ってくる。
 宿近くの電柱のかげから、彼の名を呼びながら、八重が走り寄ってくる。目に涙をいっぱいためてである。暗くじめじめしたこの作品の中で、突如ぱっと日ざしが明るくなったような、いい場面である。
 三年後、八重は男と結婚し、東京で暮らすようになる。しかし八重は死ぬ。路地奥の家に住んで、貧しさと、男から感染した胸の病で死ぬのである。「つややかな若さにみなぎりあふれていた陽灼けした肌」の、あの八重が死ぬのである。かって、男を死の底から救い上げたあの八重が男より先に死ぬのである。
 心やさしい八重は仕合せになる権利があるのではなかったのか。
足摺岬 (講談社文芸文庫)
田宮 虎彦
講談社

坂口安吾『私は海を抱きしめていたい』の女 〈ヒロインシリーズ 10〉

2012-09-29 15:17:09 | 読書
 娼婦の過去を持ち、それから酒場のマダムになって、やがて作家らしき男と一緒に暮らしている女。浮気性で、そのくせ不感症な女。あるいは不感症だからこそ、次々と男と寝てしまう精神病理学上の対照になりうるかもしれぬ女。
 男には「ただ冷たい、美しい、虚しいものを抱きしめていることは肉欲の不満は別に、せつない悲しさがある」と思わせる。
 しかし男は自分を「恋する人間ではない」という。「私はもはや恋することができないのだ。なぜなら、あらゆる物が『タカの知れたもの』だと知ってしまったから」である。男が愛しているのは、だからその不感症な女の肉体そのものだ。女が感じないから、男はかえって、いつも心が洗われるような気がしている。
 男は「安んじて、私自身の淫欲に狂うことができた。何物も私の淫欲に応えるものがないからだった」
 男は言う。「肉欲すらも孤独でありうることを見出した私は、もうこれからは幸福を探す必要はなかった。私は甘んじて不幸を探しもとめればよかった」
 気障なことを言うものである。
 人生のあらゆる断片が「タカの知れたもの」と思いはじめたら、その断片で構成されている人生そのものがどうでもよくなってしまうではないか。救いがたい虚無感にとらわれた男かというと、そうでもなく、どうやら幸福を探していたらしい。
「幸福を疑い、その小ささを悲しみながら、あこがれる心をどうすることもできなかった」男に「幸福と手を切ることのできるような気」にさせたのは、女であった。
 なぜこんなに幸福という概念にこだわるのだろうか。それも相手ではなく自分の。
 ほんとうは、幸福だって「タカの知れたもの」、まして不幸だってタカの知れたものではないか。
 男のエゴイズムにさらされる、安吾の作品のあちらこちらに登場する女は、ひりひりとみんな切ない。
 恋をしたら、世界が「幸せとか不幸だとかいう言葉をつかわずに/ただひどく濃密ににじりよってきた」という吉本隆明の詩の一節を、彼女たちの鎮魂のために引用しておこう。幸福とか不幸とかの言葉で、安易に語ることのできないのが、人生というものだ。


〈蛇足のような附言〉朗読されたものが販売されているが、この作品が耳からどんなふうに伝わるか。
[オーディオブックCD] 私は海を抱きしめていたい ()
クリエーター情報なし
でじじ発行/パンローリング発売

倉橋由美子『ヴァージニア』 〈ヒロインシリーズ 9〉

2012-09-28 09:39:04 | 読書
 ヴァージニアは、アイオワ大学大学院の学生である。両親はともに学者でスウェーデン人、」彼女自身は米国生まれで、ニューヨークのカレッジを卒業して小学校の教師をしていた。結婚して二児を生んだが、夫と別居し、再び大学院生となっている知的な女性だ。
「他人の気持をさとる鋭敏さ、他人を傷つけることを強度におそれるつつましさをヴァージニアはもっていた。そしてこれは通常女には欠けているものであり、アメリカ人の場合には男にも欠けていることが多い」
とは、日本からの留学生ユミコの感想である。
 そのヴァージニアは、クラスの男子学生のほとんどと肉体関係を持っている。むろん彼女が色情狂であるわけではない。彼女の無限のやさしさといったものが、そうさせるのであるけれど、留学生ユミコにとっては、そこのところが謎である。
 ひとがひとを知るということには「媾わる」という認識のエロティシズムがあると、作者は言う。作者らしい独特な視点である。
 既成の小説概念を打破しようとする倉橋作品から、ヒロイン像を抽出しようなどというのは実は無謀な試みである。作者の最も毛嫌いすることであるはずだ。ほんとうのヒロインは、語り手であるユミコ、すなわち倉橋由美子そのひとであるというべきかもしれない。
 それにしても、その歯切れのいい文体、向こう意気の強い語り口は、しばしば私に「土佐の女」を感じさせた。ハチキンの文章だ、と思ったのであるが、同郷の後輩の言として許してほしい。
 ユミコが日本に帰ることになる。
「わたしは永い友情というものを信じない。多くの人間との関係を切りはらって独りになること、これがわたしの根源的な欲求なのだということをわたしは知っている」
 強がりとまるで感傷を排したような章句で綴られるヴァージニアとの別れ。最終章での切ないまでの哀しさを、乾いた文体で印象づけるなんて、ずるいよな、倉橋さんは。リリシズムに裏打ちされた非情な文体といえば、まるでハードボイルドではないか。そう、この作品は、倉橋流の友情と別れのハードボイルドなのである。


(蛇足のような附記)新潮文庫では絶版のようである。アマゾンでは古書だけを扱っている。倉橋作品が絶版?と私には不思議な気がする。ため息が出そうなぐらい、本は読まれなくなっているのだろう。
ローカル紙の新米記者だった昔、取材で土佐山田町をうろついたことがある。ある開業医の前を取り過ぎようとして、ふと足が止まった。看板を見ると「倉橋歯科医院」とあった。ああ、倉橋由美子さんのご実家はここかと、その界隈のたたずまいに、あらためて私は目をこらしたものであった。仕事のことは忘れていた。

堀辰雄『菜穂子』  〈ヒロインシリーズ 8〉

2012-09-27 14:53:57 | 読書
 菜穂子さん、あなたを生み出した作者の堀辰雄の友人に萩原朔太郎という詩人がいました。その親友の萩原朔太郎が、堀文学を評して「お嬢様文学」とキツイ言葉を書きつけたメモを残しているのを知りました。「お嬢様文学」の、あなたはまさしくお嬢様でした。
 少女の頃は信州の別荘地でテニスをしたり、自転車に乗ったり、有名な作家と母上が知り合いだったり…。そして結婚相手は元銀行家の息子で商社マン。
 けれども小説の中のあなたは28歳、結婚生活もすでに3年を経ています。いつまでもお嬢様気分ではないでしょうに。
 夫が10歳年上なのがご不満ですか。夫の母親と同居しているのがご不満ですか。夫がすこしマザコン的なのが嫌ですか。よくある話じゃないですか。
「不安な生」から逃れるために結婚したなどと訳のわからないことを言うものだから、姑や夫と闘えないのです。
 胸を病み、サナトリュウムにひとり暮しをすることになったとき、あなたの周囲には死に瀕した患者たちがいました。あなたはそれこそ生と死についての根源的な問題を見つめなおす絶好の機会に恵まれるのに、いつも自己中心的な思考回路で、ムード的な物思いに耽っているだけでした。
 雪の日にサナトリュウムを抜けだして、東京に舞い戻ってくるのも、身勝手な行動といわれても仕方ないでしょう。麻生のホテルに泊り、夫が「もう、二、三日このホテルにこのまま居ないか、そうして誰にも分からないように二人でこっそり暮らそうか」などと言ってくれるのではと期待するあなたは、おやおやどうなっているのと言いたくなります。日頃のあなたらしくもない。
 あなたの生みの親の創作「覚書」を見ると、こちらが気恥ずかしくなるほどですが、あなたが作者の手を離れて、一瞬活き活きと見えるのは麻布のホテルの場面でありました。
 菜穂子さん、かってあなたとあなたのまとう雰囲気に憧憬を抱いた10代の私自身を断罪するつもりで、これを書きました。
菜穂子―他五編 (岩波文庫)
堀 辰雄
岩波書店

『野菊の墓』の民子  〈ヒロインシリーズ 7〉

2012-09-26 08:43:51 | 読書
 物語は明治20年代の矢切村から始まる。
 矢切の渡しがある。はかない男女の恋物語の典型的な書割、その矢切の渡しで、幼い恋人たちは、今生の別れとなるのも知らずに、別れた。
 民子は17歳、(千葉県)市川から矢切の豪農に手伝いに来ていた。町場の娘だから農作業は得意ではなく、女中ということでもなく、2つ年下の政夫の母の看護が主な仕事であった。
 民子と政夫はいとこどうしであって、民子も乳呑児のときに政夫の母の乳を飲んだこともある。つまり姉弟のような育ち方をしてきた二人だった。
 その仲良しぶりが旧弊な田舎のことゆえ、とかくの噂になる。 そして二人の将来を憂慮した大人たちによって、その仲は引き離される。
 しかも民子は、政夫の母の強い勧めで無理やりに嫁に出され、身重になって6ヶ月で流産し、彼女自身あっけなく死ぬ。「矢切のお母さん、私は死ぬのが本望であります」と、臨終には政夫の母に精一杯のことを言ってである。
 物語が哀しいのは、みんな善意の人たちばかりなのに、その善意がいつしか悲劇的なことがらを織りなしていくことだ。
 大人たちが、民子と政夫の純愛に気づいたときは、もう遅かった。
 民子が死んでから、彼女の真情がわかって、誰もかれもが大泣きをする。政夫の母は「民子を殺したのは自分だ」と泣く。民子は死ぬ間際に、枕の下に政夫の写真と手紙を隠していた。手紙を読んだ民子の父が男泣きに泣き、祖母が泣く。
 そして作者の伊藤左千夫が泣く。根岸短歌会の散文の勉強会で、この自作を朗読した作者は、すすり泣きながら読んだという。
「民子は余儀なく結婚して遂に世を去り、僕は余儀なく結婚して長ら得ている。…幽明遥けく隔つとも僕の心は一日も民子の上を去らぬ」と作者は結んだ。
 作中の政夫は、民子の墓に七日通って、周囲を一面の野菊で飾った。
野菊の墓―他四編 (岩波文庫)
伊藤 左千夫
岩波書店

芥川龍之介『六の宮の姫君』

2012-09-25 00:18:35 | 読書
 平安の時代のことだ。六の宮の姫君は父と母をほとんど同時に失い、みなし子同然となった。頼るのは乳母ひとりだ。売り払う家財も尽きて、ついに乳母の斡旋で、ある役人と体を売るのも同様に暮らしはじめる。ところが男は地方に転勤となり、姫を捨てるようにして単身旅立つ。5年の任期が終れば帰ってくるといったくせに、6年目の春が来ても帰って来なかったのである。
 乳母はまた別の男の世話になれと勧めるけれど、同じような話があったときの6年前の悲しい記憶がよみがえり、「わたしは何もいらぬ。生きようとも、死のうとも一つ事じゃ…」と姫は呟く。
 それから3年後。
 雨の日だった。朱雀門の前の曲殿で、栄養失調で不気味に痩せ細ったからだを破れ筵に横たえて、まさに息絶えようとする女乞食がいた。
 かっては琴をひき歌を詠んだりして優雅に暮らしていた姫君の末路だ。
 軒下にいた法師が姫を抱き起こし、「一心に仏名をお唱えなされ」と叱るように姫をはげますが、彼女は念仏を唱えようとせずに死ぬ。
 朱雀門で、夜になると女の泣き声が聞こえるという噂がたちはじめる。幽霊見たさに月夜に朱雀門を訪れた侍の耳にもそれは聞こえた。思わず太刀に手をかけようとすると、傍から例の法師が声をかける。
「あれは極楽も地獄も知らぬ、腑甲斐ない女の魂でござる」と。
 『今昔物語』の一説話を忠実になぞった小説なのだが、芥川はなぜ原作にない、こんな法師の言葉をつけ加えたのか。
 ぬかすな法師。
 ふがいないのは、姫を救えなかった男どものほうだ。その臨終で姫に生きる力を与えてやれなかった法師の法力のほうだ。
 朱雀門に聞こえる女の泣き声は、汚辱にまみれて心疚しく生きている男たちを告発するすすり泣きではなかったのか。
 心疚しき男たちの幻聴のもたらす超常現象だと、なぜ言ってやれなかったのか。ふがいない女とは、それはないぜ芥川さん。

太宰治『桜桃』の妻

2012-09-24 06:32:44 | 読書
 お前は体のどこにいちばん汗をかくかと、夫に問われて妻は答える。
「この、お乳とお乳の間に、…涙の谷、…」と。
「涙の谷」、この言葉はリフレーンのように作品中に5回出現する。夫が反芻するのである。
 7歳の長男、4歳の長男、1歳の次女、つまり3人の育児の苦労に加えて、夫の放蕩無頼と生活苦に耐え忍んでいるのが妻だ。(作中では母と呼ばれる)その妻の内面には、かなり荒涼としたすさんだ風景があるはずなのに、彼女はどこまでもたおやかで、まことにやさしい言葉づかいをくずさない。その妻がふと洩らした「涙の谷」という言葉に、夫はつまずくのである。あるいは傷つくのである。
「『涙の谷』といわれて、夫はひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持ちでそう言ったのであろうが、しかし泣いているのはお前だけではない」
 夫は、家庭のことも、子供のことも考えているつもりなのだが、実態がともなわない。あげくの果てが、居直ったように「子供より親が大事」と、あの有名なセリフを吐くのだ。
 このセリフ、たんに親の身勝手さを表出したニュアンスで受けとられそうだがそうではない。翻訳するとこうなる。妻(子)を養ってゆくという実生活よりも、親の(文学)のほうが大事だと思いたいのだと。
 夫は作家なのである。だから『桜桃』は、まさしく私小説で、作中人物は太宰治とその妻と思われがちだが、私はそうは思わない。
「…実はこの小説、夫婦喧嘩の小説なのである」と作者は書きつけているけれど、これも実態とは違っている。夫婦喧嘩の修羅場は書かれていないのである。太宰の死によって未完成だから、いずれ修羅場が書かれるはずだったろうか。
 太宰治は、ほんとうは文学よりも実生活のほうがはるかに重要だと気づいていたはずだ。この心病んだ作家は、自身の自殺願望を誰かにひきとめてほしくて、悲痛な叫びのようにこの作品を残したのではないか。彼が死ななくても『桜桃』は完成しなかっただろう。すくなくとも夫婦喧嘩の小説としては成立しなかったはずだ。なぜなら、男はこのようなヒロインとは喧嘩はできないからである。

北原リエ『あのひとの行方』のシノ

2012-09-23 06:53:51 | 読書
シノさん、あなたは作者のリエさんとどのくらい似ているのでしょか。元日活ロマンポルノの主演女優、その後に歌手デビューし、それから小説を書き、中央公論新人賞をとった北原リエとシノさんの経歴はそっくりで、昭和33年生まれと年齢も一緒です。
 すると作者のリエさんも、あなたと同じく、生まれてすぐに父と別れて、20歳になってはじめて「あのひと」つまりお父さんに会ったのでしょうか。
 経営する出版社を倒産させ、編集の企画をたまにお金にかえるしか能のない、どうしようもなく破滅型のお父さん。癌の手術で片肺を失くし、再発率の高い3年目あたりに、まだ酒ばかり飲んで放浪し、周りの人間をやきもきさせる「あのひと」は、これまでにも愛する女たちを次々に不幸にしてきました。
 あろうことか、あなたをポルノ映画に引き入れたのも、あのひとでした。そんな父親をあなたは憎みつつも、愛している。
 あなたの好きになる男は、どこかで「あのひと」に似た破滅型の男ばかりのようでした。あなたはしかし「ぶざまな姿をさらけ出している」あのひとのことを「何にも責任転嫁することなく、自分自身を潔く受けとめて生きている」人間として、とっくに許していたのだと思います。
 そうでなければ、父と娘のこの悲惨な関係、思わず目をそむけたくなるような凄絶なやりとりの読後感が、ある種のすがすがしさをおびるわけがないからです。
 あなたのお母さんはバーを経営しながら、あなたを育てたのでした。新宿ゴールデン街とおぼしき呑み屋街が出てきますが、私はもしかしたらあなたのお母さんの店を訪れているかもしれません。
 あれあれ、いつのまにか私はシノさんのお話を現実のものと混同してしまいました。許してください。でも、私はどこかであなたに会ったことのあるような気がしてならないのです。


(注:アマゾンで本を検索すると古書しかないようだが、絶版になっているのだろうか)

荷風『墨東綺譚』のお雪

2012-09-22 06:20:15 | 読書
 お雪は、昭和11年頃の玉の井の娼婦である。
 汚い溝際の家に住んでいた。大正開拓期のなごりをとどめた場末の裏街。しかし、雨の日に傘をさしかけて知り合い、そしてお雪を愛するようになった男は、お雪ばかりでなく、その街のうら寂しくて古めかしい風情が気に入っていた。
 だから最初の頃はひんぱんにお雪のもとを訪れた。玉の井に通い続けられる男の財力の背景をお雪は知らない。とてもまともな稼業ではないと思い込んでいる。お雪は男の職業どころか、本名も、正確な年齢さえも知らなかった。けれども男を愛した。
 男が独身だということはわかっていたので、知り合って三ヶ月後に男に言う。
「わたし、借金を返しちまったら、あなた、おかみさんにしてくれない」
 お雪は26歳だった。男は呟く。もう10年若かったら、と。男は58歳だった。小説家だった。
 お雪が娼婦ということにこだわりはない。むしろ「悪徳の谷底には美しい人情の花と香しい涙の果実がある」と思っている人間だ。
 ある小説を書きあぐねていた。登場人物の男は51歳で、女は21歳。その男女の愛の物語の状況が、きわめて自分とお雪のそれに似ている。そのことから創作に勢いがつきはじめ、筆が進んでいた。しかし、お雪と別れようと思う。自分の正体も明かさぬままにだ。
 お雪のもとに行かなくなって暫くして、お雪が病んでいると知る。けれども男は思う。「病むとも死ぬことはあるまい。義理にからまれて思わぬ人に一生を寄せることもあるまい…」と。
 男は、この土地にふさわしくないお雪の容色と才智を信じていた。お雪を愛する人間は前途に多くの歳月を持っている人間でなければならぬ、と男は自らの思いを断ち切って、お雪から離れたのだ。お雪はそのことにたぶん気づいてはいない。
 作者永井荷風は、小説的結末はつけたくないとして、この作品を中途半端なまま終わらせた。
 荷風の前途にも多くの歳月は残されていなかった。


(注:原題はサンズイ付きの墨である)


 

吉本隆明『エリアンの手記と詩』のミリカ

2012-09-21 08:32:24 | 読書
 吉本隆明の若書きで22歳頃の作品なのだが、その気になれば自伝風に読めなくもない。
 16歳のエリアンは、イザベル・オト先生の塾で詩を教わっている。(16歳の吉本は深川門前仲町の今氏乙治の私塾に通っていた)
 その塾でエリアンはミリカという少女に恋するが、オト先生が彼女を愛していると知って悩む。そして自殺を図って失敗、「北の山国」に旅立つ。(17歳の吉本は月島の自宅を出て、東北の下宿に移る。米沢高等工業学校に入学)
 エリアンの愛したミリカという少女像は吉本の詩の中に幾度となくあらわれる。「人生が広い野原のようにしか視えない」少女。それに比べてエリアンには人生が深い谷のようにしか視えない。
 しかしミリカも胸を病んで〈私もたいそう大人になりました〉とエリアンに手紙を送る。〈貴方はいつもそうなんです。物陰に隠れてしまった幸せを、皆が奪い合ってしまったあとから、悲しそうに探しているのです〉〈もっと寂しく暗い眼になっている筈の貴方の哀しみ、ミリカはこんどこそ理解出来るはずです〉と。
 そうだろうか。男はいつもミリカのような少女とはすれ違ってしまう。
 吉本に『少女』という詩がある。少し引用してみよう。

「わたしには彼女たちがみえるのに 彼女たちにはきっとわたしがみえない すべての明るいものは盲目と同じに 世界をみることができない」
「彼女たちは世界がみんな希望だと思っているものを 絶望だということができない」

 もとよりオト先生は大人だ。ミリカもエリアンも生きることの現実がわかっていないと指摘する。「二人の相違う性が、相寄って長い歳月を歩むということは、そんなに美しくもなく愉しくもなく、又そんなに醜いことでもない平凡なことだ」と。
 その〈平凡な小さな嫌悪をしずかに耐え〉ていくのが人生だと。
 だから「ああ、わが人よ」などとうたうなかれ、と大人になった吉本は、詩についてのエッセイで書く。

有吉佐和子『ふるあめりかに袖はぬらさじ』の亀遊

2012-09-20 18:52:41 | 読書
 幕末、横浜の岩亀楼にいたおいらん亀遊は、思いかけずも死んでから有名になった。攘夷志士たちのいわばアイドルになってしまうのだ。
 吉原から横浜に流れたものの、ろくに稼がないうちに病気になり、あんどん部屋に寝ついて借金をふくらませている、しがない遊女が亀遊だった。それでも恋する男がいた。通訳で、西洋医学修得のためアメリカ密航を企てている藤吉という男だ。藤吉のくれた薬のおかげもあって、亀遊はふたたび客の前に出られるようになる。
 岩亀楼は、日本人相手と外人相手の娼妓は、はっきりと区別されていて亀遊は外人の相手はしなかった。ところがたまたま登楼していた米人イルウスの目にとまり、大金で身うけの話が持ち上がる。なんとそのイルウスの通訳を藤吉がするものだから、衝撃をうけた亀遊はほとんど発作的に剃刀で喉を切って死ぬ。
 その死は、アメリカ人に屈しない「攘夷女郎」の抗議の自死のように伝わりはじめ、剃刀は懐剣に変わってしまう。深川の町医者の娘だったのに、武士の娘と語られるようになる。無学で、文字も読めなかったのに、辞世の歌まで作っていたことになる。

   露をだもいとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)
           ふるあめりかに袖はぬらさじ

 岩亀楼は攘夷志士たちの人気で大繁盛となり、主人の工作で亀遊の虚像づくりはさらに手がこんでくるのだが、むろん最初の仕掛け人は攘夷思想を高揚させたかった者である。
 彼らは、ごく私的な亀遊の死を、政治目的のために利用したのである。さびしく、痛々しい風情で、あまり客に売れなかった亀遊の実像は、彼らがでっち上げた「烈婦」にはほど遠い。
 亀遊はほんとうは藤吉と駆け落ちでもしたかったのではないか。しかし、作中の誰かのセリフではないが、志のある男は女にむごいのであった。


(もう15年ほど前になるが、マイナーな会報紙に「わが愛しのヒロインたち」というタイトルで小説(とは限らないが)のヒロイン100人をとりあげ短いコラムを連載した。そのときの原稿が妙なところから出てきた。何人分か選んで、こちらのブログにあげておこうと思う)