小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

清河八郎暗殺前後 16

2014-05-16 14:53:31 | 小説
 八郎の遺体の懐中から、「五百人の連判帳」を取り出して、自分が回収したと主張する石坂であるけれど、『官武通紀』は、これとまったく違うことを記録している。
 八郎は、たしかに連判帳らしきものを懐中にしていた。だがそこに記録されている姓名は28名。その28名の名簿を「取上、直ちに御目付へ訴訟仕候者有之、夫より俄に御吟味」となって、翌14日に記載人物が吟味対象になったと記しているのだ。 もとより、こちらのほうが実情を伝えている。石坂以前に「連判帳」はすでに役人の手にわたっていたのである。
 それはそうだろう、殺害された人物の身元を確認するためにも、まず、いの一番に懐中のものが探られるはずだ。番人に囲まれていた八郎の遺体に、まだ懐中物が残っているほうがおかしいのである。
 あえて、連判帳がまだあった、などとうそぶく石坂には、どこかに恩を売りたかった仲間でもいたのだろう。それにしても28人を500人とは、話をおおげさにしたものである。500人の連判帳があったとしたら、それだけで八郎の懐中はふくらんでいたのではないだろうか。
『官武通紀』には、なお注目すべき記述がある。添え書きのように小さい文字になっているのだが、以下のような文言である。
「金子與三郎其説を承り驚愕、篤と説得仕候得共、更に聞入不申由」
 つまり、清河八郎が暗殺されたという一報に驚愕し、「ばかな、そんなことはありえない」と否定し、誰かが「いや風体その他から間違いない」と説得しても、まだ「信じられない」と聞入れようとしない金子の様子が記されているのである。八郎暗殺後の金子については、とかく暗殺関与者というバイアスのかかった見方をされているが、案外こちらの金子のほうが真実の金子かもしれない。(続く)