ダンディズムは日本語では「伊達」にあたる。偶然だが語感もちょっと似ている。例えば『新潮現代国語辞典』で「だて(伊達)」の項を見ると「派手な振舞いをして、殊更に人目をひこうとすること。意気・侠気を競うこと」とある。
文禄元年3月、肥前名護屋をめざして京都を出発した伊達政宗の軍勢3000人は、街路にあふれた群集たちにどよめきの声を上げさせた。まさにきらびやかで派手だったのである。
各足軽の具足は黒塗りで前後に金星をつけ、刀、脇差の鞘は銀と朱に塗り、笠は三尺に及ぶ金のとがり笠。馬上侍の母衣(ほろ)も黒色で金の半月印をつけ、黄金色の太刀小刀を帯び、馬にはそれぞれ豹、虎、熊の皮、孔雀の尾などの馬鎧がかけられていた。
朝鮮出兵のための出陣で、一番手に前田利家、二番手に徳川家康の軍勢が行進した。都のひとびとがあっと息をおんで、それから歓声をあげたのは三番手の伊達の軍勢を目にしてからであった。『伊達治家記録』は書いている。
「京の町衆たちは(略)伊達勢を見ると、声々に褒美賛嘆して、人の言語も聞得ざる体なり。京童の諺に、伊達者と云ひ習はし、これよりして、伊達をすると云ふ詞(ことば)は始まれりと云ふ」
さて、言語学者はこの語源説を否定している。しかし、この言葉がダンディズムのニュアンスではやり始めたのが、この文禄年間からとすれば語源として誤りと決めつけることもないような気がする。
ダンディズムをつらぬいたのが伊達政宗であり、伊達者だったのである。
文禄元年3月、肥前名護屋をめざして京都を出発した伊達政宗の軍勢3000人は、街路にあふれた群集たちにどよめきの声を上げさせた。まさにきらびやかで派手だったのである。
各足軽の具足は黒塗りで前後に金星をつけ、刀、脇差の鞘は銀と朱に塗り、笠は三尺に及ぶ金のとがり笠。馬上侍の母衣(ほろ)も黒色で金の半月印をつけ、黄金色の太刀小刀を帯び、馬にはそれぞれ豹、虎、熊の皮、孔雀の尾などの馬鎧がかけられていた。
朝鮮出兵のための出陣で、一番手に前田利家、二番手に徳川家康の軍勢が行進した。都のひとびとがあっと息をおんで、それから歓声をあげたのは三番手の伊達の軍勢を目にしてからであった。『伊達治家記録』は書いている。
「京の町衆たちは(略)伊達勢を見ると、声々に褒美賛嘆して、人の言語も聞得ざる体なり。京童の諺に、伊達者と云ひ習はし、これよりして、伊達をすると云ふ詞(ことば)は始まれりと云ふ」
さて、言語学者はこの語源説を否定している。しかし、この言葉がダンディズムのニュアンスではやり始めたのが、この文禄年間からとすれば語源として誤りと決めつけることもないような気がする。
ダンディズムをつらぬいたのが伊達政宗であり、伊達者だったのである。