清河八郎暗殺の前日に、目付となにやら切迫した深刻な話をしている3人の人物の中に、高橋泥舟がいるということは、私には大きな驚きだった。
よく知られているように、八郎は暗殺される当日の朝、高橋泥舟の家に立ち寄っている。その朝の様子は、ふたたび大川周明の筆を借りると次のようなものである。
「高橋は八郎の顔色すぐれないのを見て、何うかしたかと訊ねた。八郎は頭痛がして気分が悪いけれど、約束があるから出かけねばならぬと言ふ。高橋は是非思いひ止まるやうにと言って、登上(城)の時刻が来たので八郎を残して出ていった。」
まるで、ふだんと変わらぬ日常会話が交わされているだけだ。おかしくはないか。高橋泥舟は前日の目付との切迫した話を、なぜ話題にしなかったのか。
八郎は泥舟に、朽葉や神戸らに書かせた血判口上書の件で幕府から答弁させるように迫っていた。小栗上野介が事実、浪士組をおとしめるために策を弄したかどうか、という一点である。この弁解には閣老も窮していたが、泥舟もまた、八郎に煽られて、おだやかではなかったのである。
この日も八郎は、泥舟にはっぱをかけるために寄ったのではないかと思われる。日常会話で終始したわけはないのである。
ここで注意をしておかなければいけないのは、八郎の暗殺当日の様子は、すべて高橋泥舟ファミリーの証言しかないということである。その朝の八郎と泥舟の会話だって、事実は、それこそ切迫したものであっても、隠されればそれまでである。なお、そのファミリーの中には、むろん泥舟の妹と結婚した石坂周造も入っている。八郎暗殺後にいち早く駆けつけたのは石坂であった。
さて、目付杉浦は八郎暗殺に、どう関わっていたか。
実は杉浦目付は、八郎の暗殺者たち佐々木只三郎ら6人の「再勤の儀」を若年寄りなどに申し上げたと、事件後2か月経った6月26日の日記に記録している。これで、たとえば佐々木は富士見御宝蔵番として役職復帰するのである。刺客としての役目は果たしたからだ。目付杉浦は、八郎暗殺の、ある意味では黒幕のひとりである。
くどいようだが、もう一度書いておく。この目付と、暗殺の前日に高橋泥舟は話しこんでいた、と。(続く)
よく知られているように、八郎は暗殺される当日の朝、高橋泥舟の家に立ち寄っている。その朝の様子は、ふたたび大川周明の筆を借りると次のようなものである。
「高橋は八郎の顔色すぐれないのを見て、何うかしたかと訊ねた。八郎は頭痛がして気分が悪いけれど、約束があるから出かけねばならぬと言ふ。高橋は是非思いひ止まるやうにと言って、登上(城)の時刻が来たので八郎を残して出ていった。」
まるで、ふだんと変わらぬ日常会話が交わされているだけだ。おかしくはないか。高橋泥舟は前日の目付との切迫した話を、なぜ話題にしなかったのか。
八郎は泥舟に、朽葉や神戸らに書かせた血判口上書の件で幕府から答弁させるように迫っていた。小栗上野介が事実、浪士組をおとしめるために策を弄したかどうか、という一点である。この弁解には閣老も窮していたが、泥舟もまた、八郎に煽られて、おだやかではなかったのである。
この日も八郎は、泥舟にはっぱをかけるために寄ったのではないかと思われる。日常会話で終始したわけはないのである。
ここで注意をしておかなければいけないのは、八郎の暗殺当日の様子は、すべて高橋泥舟ファミリーの証言しかないということである。その朝の八郎と泥舟の会話だって、事実は、それこそ切迫したものであっても、隠されればそれまでである。なお、そのファミリーの中には、むろん泥舟の妹と結婚した石坂周造も入っている。八郎暗殺後にいち早く駆けつけたのは石坂であった。
さて、目付杉浦は八郎暗殺に、どう関わっていたか。
実は杉浦目付は、八郎の暗殺者たち佐々木只三郎ら6人の「再勤の儀」を若年寄りなどに申し上げたと、事件後2か月経った6月26日の日記に記録している。これで、たとえば佐々木は富士見御宝蔵番として役職復帰するのである。刺客としての役目は果たしたからだ。目付杉浦は、八郎暗殺の、ある意味では黒幕のひとりである。
くどいようだが、もう一度書いておく。この目付と、暗殺の前日に高橋泥舟は話しこんでいた、と。(続く)