小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

真相・浪士組結成と清河八郎 2

2016-07-09 12:42:27 | 小説
 松平主税助は、光胤採用については、政治総裁松平春嶽と老中板倉勝静にも話して内諾を得ているからというふうに光胤を口説いたらしい。
 しかし光胤は、12月13日、飯田町に仮住まいの主税助の「屋敷へ参り馳走ニなりし上同務等を断り候」と日記に書いている。
 浪士取扱の話を断ったのである。
 別の個所で光胤は、主税助のことを「此人、佐幕乃人ニテ光胤等と同志にあらす」と評しているから、しょせん幕臣という身分を脱しきれない主税助を見限っていたのであろう。

 狂歌が歌われた。

 松平主税助、浪士取扱仰せ付けられけれバ、
  此節は浪人どもが流行でちからを入れて奉行勤める

 むろん「ちから」に主税を掛けている。

 さて、ここで清河八郎の立場を確認しておかねばならない。彼は例の無礼討ち事件によって、幕府より指名手配されている、いわば「お尋ね者」である。
 その彼が、春嶽に上表するのは、彼の度胸の良さと文章家としての自信である。とはいえ、お尋ね者の建白を幕議にかけるわけはなく、浪士利用は松平主税助の建白によって実現したのである。いや、主税助の建白の黒幕が実は清河八郎であると言いたい人がいるかもしれないが、そんな気配や証拠はどこにもない。
 元新選組の永倉新八の回顧談などによって、清河八郎を判断してはいけない。永倉は大正まで生きたが、「真相と怪しげなことの両方を大量に伝えた」と著書『新選組』(岩波新書)に書いたのは松浦玲だった。

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