パリ万博の前年すなわち慶応2年の夏に、幕府はフランスと600万ドルの借款契約を結んでいた。第二次長州征討がらみで、幕府としては軍備増強の必要に迫られていた。莫大な額の武器、装備、軍艦の発注のための資金を、フランスの融資に頼ろうとしたのである。
この借款の協定は、勘定奉行小栗忠順と来日した仏経済使節クレーの間で結ばれ、ヨーロッパで日本国債の応募者を募る窓口は、フランスの金融機関ソシエテ・ジェネラルと決められた。
フランス側としては、この融資話を機に、見返りとして、生糸など日本からの輸入を独占しようという勢いになった。これまで対日貿易の主導権を握っていたイギリスとしては黙って見過ごせない事態が進行しつつあったのだ。
勝海舟の『氷川清話』に日仏借款のことが語られている。
「小栗は、長州征伐を奇貨として、まず長州を斃し、次に薩州を斃して、幕府の下に群県制度を立てようと目論んで、フランス公使レオン・ロセスの紹介で、仏国から銀六百万両と、年賦で軍艦数艘を借り受ける約束をしたが、(後略)」
ここのところの海舟の述懐は『海舟語録』(注)の明治30年4月の項にもあって、「仏蘭西から金を借りるといふ事では、己は一生懸命になって、たうとう防いでしまった」とあり、この機密事項を「薩州の方では、誰だったか、留学生の方から知らせて、チャント玉があがって、何もかも知って居た」と話している。
むろん借款協定を海舟がつぶしたわけではない。いわばフランス側が約束をホゴにしたのである。
フランスの政財界は、大君(幕府)が日本の君主であるという認識のもとに融資をしようとしたのに、諸大名と同格であると言われれば、二の足を踏むのは当たり前である。
さて、昭武一行は、その600万ドルの一部を滞在費にあてるつもりだったが、外債募集は頓挫してしまった。一行が日本を発つときに持参したのは5万ドルだった。
金が足りなくなった。
(注)江藤淳・松浦玲編の講談社学術文庫版
この借款の協定は、勘定奉行小栗忠順と来日した仏経済使節クレーの間で結ばれ、ヨーロッパで日本国債の応募者を募る窓口は、フランスの金融機関ソシエテ・ジェネラルと決められた。
フランス側としては、この融資話を機に、見返りとして、生糸など日本からの輸入を独占しようという勢いになった。これまで対日貿易の主導権を握っていたイギリスとしては黙って見過ごせない事態が進行しつつあったのだ。
勝海舟の『氷川清話』に日仏借款のことが語られている。
「小栗は、長州征伐を奇貨として、まず長州を斃し、次に薩州を斃して、幕府の下に群県制度を立てようと目論んで、フランス公使レオン・ロセスの紹介で、仏国から銀六百万両と、年賦で軍艦数艘を借り受ける約束をしたが、(後略)」
ここのところの海舟の述懐は『海舟語録』(注)の明治30年4月の項にもあって、「仏蘭西から金を借りるといふ事では、己は一生懸命になって、たうとう防いでしまった」とあり、この機密事項を「薩州の方では、誰だったか、留学生の方から知らせて、チャント玉があがって、何もかも知って居た」と話している。
むろん借款協定を海舟がつぶしたわけではない。いわばフランス側が約束をホゴにしたのである。
フランスの政財界は、大君(幕府)が日本の君主であるという認識のもとに融資をしようとしたのに、諸大名と同格であると言われれば、二の足を踏むのは当たり前である。
さて、昭武一行は、その600万ドルの一部を滞在費にあてるつもりだったが、外債募集は頓挫してしまった。一行が日本を発つときに持参したのは5万ドルだった。
金が足りなくなった。
(注)江藤淳・松浦玲編の講談社学術文庫版