小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

ハナ・グリーン『デボラの世界』のデボラ  〈ヒロインシリーズ 14〉

2012-10-03 16:35:05 | 読書
 デボラは分裂病の少女で、その闘病記という体裁をとっているのがこの作品だ。原題は、I Never Promised You A Rose Garden。
 佐伯わか子と笠原嘉の共訳で、私は笠原嘉の『精神科医のノート』という著作に教えられるところが多かったから、その訳者名にひかれて、この作品を読んだ。そして圧倒的な感動を味わった。もうずいぶん前のことだ。ちなみに笠原嘉には「人間は困難に直面して内へひきこもるかわりに外にアクト・アウトしてにぎやかに身をまもることもある」などという卓見がある。
 さて、デボラは純粋で愛くるしい少女、それでいて現実世界に適用しないいたましい少女である。
 精神病院の患者といえば、どうしようもなくある種の固定観念で見てしまうのだが、この作品にあらわれる狂人たちのコミュニケーションには驚くべきほどのいたわりや優しさがある。デボラをはじめこの精神病院の患者たちは愛すべき人物ばかりなのである。
 この作品の後半にいたって、なんど胸をあつくしたことか。思わず涙ぐんだ場面もあった。そんなわけで、デボラは私の愛しのヒロインとして忘れえぬひととなったが、そのデボラの絡む哀切な会話を以下に引用する。
「どうかしらね。隠すために人間は忘れることもできるし、別のことが起こったふりをするとか物ごとをわざとゆがめることだってできますよ。どれも真実から逃げ出すいい方法ですよね、真実がつらいときにはね」
「隠れて身を守るのがどこが悪いの?」
「そうすれば気違いになる」
 真実がつらいときとは悲しい言葉だ。真実がつらいとき、ひとは自殺を選ぶこともできる。けれども根源的なところで生への執着があれば、ひとは狂人になってでも生きる。〈症状〉とは、身体面でも精神面でも、生体のとる防衛機序のひとつであるからだ。
デボラの世界―分裂病の少女
ハナ・グリーン
みすず書房


〈追記〉いまでは分裂病という言い方はせず、統合失調症と呼ばれる。アマゾンの画像ファイルをクリックすると古書しかない。新訳ないし重版で「統合失調症」と変更されるかどうかはわからない。


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