事件直後、ロシア、アメリカなどから対日批判が当然のように起きた。日本政府は三浦公使ほか事件関係者全員を帰国させ、広島地裁及び軍法会議で裁いた。
外務大臣は陸奥から西園寺公望に代わっている。関係者はしかし全員無罪となった。証拠不充分というわけだが、もともと形式的な裁判にすぎなかった。
三浦梧楼はのちに枢密顧問官となるし、堀口九万一はブラジルなどの公使を歴任、みな一様に出世をした。ただ岡本柳之助だけは浪人でありつづけた。彼は陸奥という、後ろ盾を失ったのである。陸奥が岡本の行動を許さなかったのか、あるいは岡本が陸奥から離れていったのかさだかではない。陸奥は岡本が釈放された翌年の明治30年8月に死んだ。岡本は再び大陸に渡り、明治45年まで生きたが、上海で客死した。
思えば陸奥はかって征韓論者であった。明治初期の征韓論とは何であったか。韓国人の呉善花女史の言葉を引用しておこう。「征韓論の狙いは単なる朝鮮侵略ではなく、中国を中心とする東アジア世界秩序の破壊にあった。日本はこの古代以来の東アジアの世界秩序を破壊し、自らの手で新しい東アジアの世界秩序を生み出し、欧米列強のアジア侵略に対抗しようとした。そこで当面の課題としては朝鮮をこの世界秩序から離脱させること、つまり朝鮮独立が、近代日本の外交上、最重要課題として浮上したのである」(『「日帝」だけでは歴史は語れない』)
こんなことを、かりに日本人の私がいったらあざとい。日韓の歴史認識の違いについて、つねにバランスのとれた発言をする呉女史のような韓国人ばかりだったら、最近の日韓歴史の共同研究の成果だって違ったものになっていただろう。とはいうものの私はふたつの国民国家の歴史が共通の認識をもてるなどというは絶望的であると思っている。日韓の歴史というからいけないのである。東アジア史という大きな枠組みでとらえなおすべきだと思うものである。しかし、そのことを言い出せば、表題から逸脱してしまう。
余談だが作家の大路和子氏はもう何年も前から陸奥宗光を題材にした小説の構想を練っている。私は龍馬夫人のおりょうさんが陸奥を悪く評した史料を大路さんにお渡ししたが、なんかよけいなことをしたなと、今では後悔している。大路さんも和歌山の出身だから、陸奥には特別な思い入れがあるに違いない。私も陸奥宗光が好きになっておりますよ、と今度お会いしたら大路さんにはそういうつもりだ。
外務大臣は陸奥から西園寺公望に代わっている。関係者はしかし全員無罪となった。証拠不充分というわけだが、もともと形式的な裁判にすぎなかった。
三浦梧楼はのちに枢密顧問官となるし、堀口九万一はブラジルなどの公使を歴任、みな一様に出世をした。ただ岡本柳之助だけは浪人でありつづけた。彼は陸奥という、後ろ盾を失ったのである。陸奥が岡本の行動を許さなかったのか、あるいは岡本が陸奥から離れていったのかさだかではない。陸奥は岡本が釈放された翌年の明治30年8月に死んだ。岡本は再び大陸に渡り、明治45年まで生きたが、上海で客死した。
思えば陸奥はかって征韓論者であった。明治初期の征韓論とは何であったか。韓国人の呉善花女史の言葉を引用しておこう。「征韓論の狙いは単なる朝鮮侵略ではなく、中国を中心とする東アジア世界秩序の破壊にあった。日本はこの古代以来の東アジアの世界秩序を破壊し、自らの手で新しい東アジアの世界秩序を生み出し、欧米列強のアジア侵略に対抗しようとした。そこで当面の課題としては朝鮮をこの世界秩序から離脱させること、つまり朝鮮独立が、近代日本の外交上、最重要課題として浮上したのである」(『「日帝」だけでは歴史は語れない』)
こんなことを、かりに日本人の私がいったらあざとい。日韓の歴史認識の違いについて、つねにバランスのとれた発言をする呉女史のような韓国人ばかりだったら、最近の日韓歴史の共同研究の成果だって違ったものになっていただろう。とはいうものの私はふたつの国民国家の歴史が共通の認識をもてるなどというは絶望的であると思っている。日韓の歴史というからいけないのである。東アジア史という大きな枠組みでとらえなおすべきだと思うものである。しかし、そのことを言い出せば、表題から逸脱してしまう。
余談だが作家の大路和子氏はもう何年も前から陸奥宗光を題材にした小説の構想を練っている。私は龍馬夫人のおりょうさんが陸奥を悪く評した史料を大路さんにお渡ししたが、なんかよけいなことをしたなと、今では後悔している。大路さんも和歌山の出身だから、陸奥には特別な思い入れがあるに違いない。私も陸奥宗光が好きになっておりますよ、と今度お会いしたら大路さんにはそういうつもりだ。