小説の孵化場

鏡川伊一郎の歴史と小説に関するエッセイ

「悪党芭蕉」という本

2006-06-18 14:59:12 | 読書
「老人アイドルと化した芭蕉を、俗人と同じレベルで」考えなおしたい、という嵐山光三郎『悪党芭蕉』(新潮社)を、面白く読んだ。タイトルほど内容は奇を衒ったものではない。ごくまっとうな芭蕉論と私などは思うけれど、俳聖芭蕉の心酔者にしてみれば、異端的な書に映るかもしれない。嵐山氏が芭蕉に造詣の深いことは知っていたが、こんなふうに芭蕉を見ている人とは思っていなかった。てっきり、俳聖としての芭蕉心酔者のひとりだと、この著書を読むまでは誤解していた。 ただし、嵐山氏は芭蕉をあくまでも職業的俳諧師として、芭蕉忍者説あるいは隠密説にあえて触れようとせず、いっさい無視している。芭蕉の主業を、幕府の諜報活動の請負人と見る私などの立場からすれば、この点がいささかはがゆい。 芭蕉の弟子には「危険な人物」(嵐山氏)が多く、芭蕉の出自よりはるかに上の藩士や藩士くずれの浪人、医者、豪商が多い。嵐山氏は「なぜ一介の俳諧師が、かくも強力な文武両道にわたるネットワークをはりめぐらす奇跡ができたのか」と不思議がる。私はこれこそ諜報活動のシンジケートであって、そう見れば不思議でもなんでもないという立場である。 ところで芭蕉と杜国の男色関係については、私は「芭蕉の男色説」に書いたように否定的だった。しかし嵐山氏の考察を読むうちに、ちょっと自信がもてなくなった。考え直さなくてはならないかもしれない。
悪党芭蕉

新潮社

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