あの人のことだから、絶対ガンも克服して戻ってくる。
そう漠然と信じていたのに・・・
勘三郎さんが亡くなった時のショックはそれは大きかったです。
その前から難聴などで舞台を休んでらしたけど、その時も「すぐ治るだろう」と思っていました。
パワフルな舞台を見る限り、弱った肉体などは全く想像できなかったから・・・・
なので本屋でこの表紙を見て、え、もう?と思いつつ、つい手に取ってしまいました。
中村勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて
買ってみたものの本心は、「まだ早いでしょう?」という気持ちが大きかったです。
遺族としても、本を書くほど心が癒えていないのでは。
(読む方だってこれほどつらいのに・・・)
もうけ主義の出版社には早い方がいいと、「心を癒すために書かれてはいかがですか」と説得されたのかもしれないとも思いました。
もしかしたら本人が書いたのではなく、ゴーストライターが書いたのかも、なんてひねくれて思ったりもしました。
しかし・・・読み始めたら引き込まれてしまいました。
(著者が直接書いたかどうかは置いておいて、家族でなくては知りえない事実が書かれていました・・・)
前半部分は保養のため旅行に行っても耳鳴りがひどく、途中で帰るほど体調が悪かったこと、「うつ」と診断されて強い薬を飲まなければ眠れない状況だったことなどが書かれていて、それほどだったのかとびっくり。
病院から出された薬を、妻が勝手に判断して、本人にも内緒で別の薬(ヴィタミン剤など)に変えて与えていたと得意げに語られる辺では、薬漬けの医療に問題があるとしても、ちょっと眉を顰めながら読みました。
亡くなった後、遺骸を焼くのが嫌で、北の国の指導者のように永久保存する方法を探った、というのにも、自ら遺体から血を採り、手が欲しいと手の型をとり、デスマスクうんぬんのへんも、う~~ん、という感じでした。
そのほか、生前の太地喜和子さんとのこと、大竹しのぶさんとのこと、『ガールフレンド』たちのこと
(「キャバクラに行くから」と言っていた彼が女性と二人で食事していたことやら、松本での歌舞伎の時「来てくれるの?うれしい。鍵どうする?」というGF宛のメールが間違って妻に届いたこと、etc・・・)
など『暴露本』的なことも書いてあって、ああ、亡くなって一年でこんなことまで書いてしまうんだ、と買ったことをちょっと後悔しながら読み進めました。
(たとえ本の売り上げが落ちても、この辺は書いて欲しくなかった・・・。)
ほかに女性がいても私が看取った妻なのよ、といいたかったのかな。
しかし後半部分、2012年6月のガン宣告から入院、手術、誤嚥による肺炎から急性呼吸性窮迫症候群の発症と容赦なく進む過酷な闘病生活の部分は引き込まれて読みました。
日常の会話、弱くなっていく病人のつぶやきなども綿密に書いてあり読んでるうちにつらくなり、何回も本を閉じました。
でも必死で生きようとしていた勘三郎さんの姿に、また本を開き読み進めました。
読み終わって、本当に勘三郎さんは生きて、舞台を踏みたかったんだろうなあ・・・と涙が止まりませんでした。
・・・食道ガンを「手術」しなかったら、彼はまだ生きていたかもしれない。
手術の前に抗がん剤を打った時、ガンがかなり小さくなっていて
「切らなくていいんじゃないか」と別の医者に言われたと書いてありました。
今更いっても仕方ないことだし、彼が自分で選択して選んだ手術だったのですが、私は以前読んでここでも感想を書いた近藤誠氏の
「早期発見はラッキーではない」という言葉が浮かんできました。
医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
を本棚から手に取っていました。
(この本の記事はこちら)
『ガンには転移するものと転移しないものがあり、転移しないものはほっておいても大丈夫だが、現在の医学では見分けがつかない。本物のガンはどんなに早期に発見しても、すでに転移している。手術や抗がん剤で治るのは『がんもどき』であり、もともと手術しなくても治るものだ』
近藤氏のこの本、私はけなしているのですが(爆)
・・・本当のところはどうなんだろう?
勘三郎さんは当初は肩に転移があったものの、手術後はガンの転移は発見されず、誤嚥による肺炎から、急性呼吸性窮迫症候群を起こし、転院し、脳出血を起こしてしまったわけです。
そも手術したほうが良かったのか?
手術自体は成功で、そのあとがたまたま不運だったのか?
抗がん剤が効いた時点で手術をやめるべきだったのか?
危ないほど血圧が下がってしまう鎮痛剤(マイケル・ジャクソンも打っていた)を打つなどの医療行為は適切だったのか?
テレビなどで入院の直前に元気にゴルフをしていた姿などを見るにつけ、疑問がわきます。
日本でも最高といわれる医者に
「一緒に戦って、勝ちに行きましょう!」
といわれれば、必ず
「よっしゃ!!」と受けて立っただろう勘三郎さんと思われます。
診療にあたった医師たちはもちろん精いっぱいやっただろうし、それについて、本書に恨み言は書いてありませんが、失われたものが大きいだけに、疑問がたくさん浮かんでしまうのです。
しかし、波野好江さんはいろいろな意味で強い人だと思います。
闘病を一緒に戦い、その後の中村屋をしょって立つ息子たちをバックアップし、その上このような本を今の時期に書くとは・・・
死ぬ前に勘三郎さんが彼女を押しのけながら「病室に入るな、顔を見せるな」といい、息子には会っていたのに、妻を一週間拒絶していたこと。
彼女は「看護婦さんは『奥様には元気な姿を見せたいからじゃないか』といっていた」と書いていますが、どうなんでしょうか。
もやもやといろいろ考えつつ、本を読み返してみるのでした。
そう漠然と信じていたのに・・・
勘三郎さんが亡くなった時のショックはそれは大きかったです。
その前から難聴などで舞台を休んでらしたけど、その時も「すぐ治るだろう」と思っていました。
パワフルな舞台を見る限り、弱った肉体などは全く想像できなかったから・・・・
なので本屋でこの表紙を見て、え、もう?と思いつつ、つい手に取ってしまいました。
中村勘三郎 最期の131日 哲明さんと生きて
買ってみたものの本心は、「まだ早いでしょう?」という気持ちが大きかったです。
遺族としても、本を書くほど心が癒えていないのでは。
(読む方だってこれほどつらいのに・・・)
もうけ主義の出版社には早い方がいいと、「心を癒すために書かれてはいかがですか」と説得されたのかもしれないとも思いました。
もしかしたら本人が書いたのではなく、ゴーストライターが書いたのかも、なんてひねくれて思ったりもしました。
しかし・・・読み始めたら引き込まれてしまいました。
(著者が直接書いたかどうかは置いておいて、家族でなくては知りえない事実が書かれていました・・・)
前半部分は保養のため旅行に行っても耳鳴りがひどく、途中で帰るほど体調が悪かったこと、「うつ」と診断されて強い薬を飲まなければ眠れない状況だったことなどが書かれていて、それほどだったのかとびっくり。
病院から出された薬を、妻が勝手に判断して、本人にも内緒で別の薬(ヴィタミン剤など)に変えて与えていたと得意げに語られる辺では、薬漬けの医療に問題があるとしても、ちょっと眉を顰めながら読みました。
亡くなった後、遺骸を焼くのが嫌で、北の国の指導者のように永久保存する方法を探った、というのにも、自ら遺体から血を採り、手が欲しいと手の型をとり、デスマスクうんぬんのへんも、う~~ん、という感じでした。
そのほか、生前の太地喜和子さんとのこと、大竹しのぶさんとのこと、『ガールフレンド』たちのこと
(「キャバクラに行くから」と言っていた彼が女性と二人で食事していたことやら、松本での歌舞伎の時「来てくれるの?うれしい。鍵どうする?」というGF宛のメールが間違って妻に届いたこと、etc・・・)
など『暴露本』的なことも書いてあって、ああ、亡くなって一年でこんなことまで書いてしまうんだ、と買ったことをちょっと後悔しながら読み進めました。
(たとえ本の売り上げが落ちても、この辺は書いて欲しくなかった・・・。)
ほかに女性がいても私が看取った妻なのよ、といいたかったのかな。
しかし後半部分、2012年6月のガン宣告から入院、手術、誤嚥による肺炎から急性呼吸性窮迫症候群の発症と容赦なく進む過酷な闘病生活の部分は引き込まれて読みました。
日常の会話、弱くなっていく病人のつぶやきなども綿密に書いてあり読んでるうちにつらくなり、何回も本を閉じました。
でも必死で生きようとしていた勘三郎さんの姿に、また本を開き読み進めました。
読み終わって、本当に勘三郎さんは生きて、舞台を踏みたかったんだろうなあ・・・と涙が止まりませんでした。
・・・食道ガンを「手術」しなかったら、彼はまだ生きていたかもしれない。
手術の前に抗がん剤を打った時、ガンがかなり小さくなっていて
「切らなくていいんじゃないか」と別の医者に言われたと書いてありました。
今更いっても仕方ないことだし、彼が自分で選択して選んだ手術だったのですが、私は以前読んでここでも感想を書いた近藤誠氏の
「早期発見はラッキーではない」という言葉が浮かんできました。
医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法
を本棚から手に取っていました。
(この本の記事はこちら)
『ガンには転移するものと転移しないものがあり、転移しないものはほっておいても大丈夫だが、現在の医学では見分けがつかない。本物のガンはどんなに早期に発見しても、すでに転移している。手術や抗がん剤で治るのは『がんもどき』であり、もともと手術しなくても治るものだ』
近藤氏のこの本、私はけなしているのですが(爆)
・・・本当のところはどうなんだろう?
勘三郎さんは当初は肩に転移があったものの、手術後はガンの転移は発見されず、誤嚥による肺炎から、急性呼吸性窮迫症候群を起こし、転院し、脳出血を起こしてしまったわけです。
そも手術したほうが良かったのか?
手術自体は成功で、そのあとがたまたま不運だったのか?
抗がん剤が効いた時点で手術をやめるべきだったのか?
危ないほど血圧が下がってしまう鎮痛剤(マイケル・ジャクソンも打っていた)を打つなどの医療行為は適切だったのか?
テレビなどで入院の直前に元気にゴルフをしていた姿などを見るにつけ、疑問がわきます。
日本でも最高といわれる医者に
「一緒に戦って、勝ちに行きましょう!」
といわれれば、必ず
「よっしゃ!!」と受けて立っただろう勘三郎さんと思われます。
診療にあたった医師たちはもちろん精いっぱいやっただろうし、それについて、本書に恨み言は書いてありませんが、失われたものが大きいだけに、疑問がたくさん浮かんでしまうのです。
しかし、波野好江さんはいろいろな意味で強い人だと思います。
闘病を一緒に戦い、その後の中村屋をしょって立つ息子たちをバックアップし、その上このような本を今の時期に書くとは・・・
死ぬ前に勘三郎さんが彼女を押しのけながら「病室に入るな、顔を見せるな」といい、息子には会っていたのに、妻を一週間拒絶していたこと。
彼女は「看護婦さんは『奥様には元気な姿を見せたいからじゃないか』といっていた」と書いていますが、どうなんでしょうか。
もやもやといろいろ考えつつ、本を読み返してみるのでした。
ご存知かも知れませんが、少し前、渥美清さんのファンの夫が借りてくるか取り寄せたかした、「友情」という古い松竹映画に若き日の勘三郎さんがご出演されていました。念のためくわしい筋は伏せますが、偶然ダム工事現場で出会った2人が仲良くなり、お互いの人生の責任を取る手助けをします。最後、勘三郎さんは笑顔で、相手役の松坂慶子さんは今も素敵だと思いますが、この時は磨き抜かれた鉱物のような美貌でした。
あまり集中しなくても筋は追えますが、役者さんの表情や風景はやはり味があります。
中村勘三郎が亡くなった事実は、私にとって自分で思っていた以上に受け入れ難いことだったようで、未だに本を読んだり映像を見たりが辛いです。
いや~、自分がこんなに引きずるヘタレだとは思わなかった!
関容子さんの「勘三郎伝説」や この本も持っているのですが・・まだ読めずに積ん読状態・・・
jesterさんの感想を読んで、私もきっと今読んだら色々とモヤモヤしそうだな~と、ちょっと怖くなりました。
こんなに記憶が「生」で「時間の検証も受けていない」時に本を出していいのだろうか?と云う疑問もありましたし。
癌に対してどう立ち向かうかは色々諸説ありますが、癌ではなく、その治療で生命力を失って命を落とすのは余りに無念です。
でも事実、そういう無念の死は少なくない気がします。
癌を抱えたままの方が長生きできたのに・・と云う場合が。
生き延びる為に選んだ闘病で、あっけなく命を落とすなんて勘三郎さんは夢にも思っていなかったでしょうね。
今年の浅草歌舞伎を見て、歌舞伎界が大きな世代交代の時季が近づいている事を否応無く感じました。
今年は勘九郎がシアターコクーンで、コクーン歌舞伎「三人吉三」を、そしてニューヨークで平成中村座公演をやるそうです。
勘三郎はもう居ないけれど、彼の志は息子たち次の世代に受け継がれて続いていきます。
今までの歌舞伎もその他の演劇も(マンガの世界でも)、そうやって一代で成し得なかった事やり残した事が、次の世代の手渡されていくのかな~・・・
寂しいけれど、私は「勘三郎という役者を知っている世代」に生まれて良かった!と心から感謝しています。
>こんばんは。本を読まれていろいろお考えになるのはいいことだと思います。
いろいろ考えたことの中には、ここには書けないようなこともあり・・・
特にこの問題は心が重くなってしまいました。
>ご存知かも知れませんが、少し前、渥美清さんのファンの夫が借りてくるか取り寄せたかした、「友情」という古い松竹映画に若き日の勘三郎さんがご出演されていました。
絹さやさんの旦那様は渥美清さんのファンなんですね♪
勘三郎さん、若いころよく映画に出ていました。
そんな一本なんだと思います。
>念のためくわしい筋は伏せますが、偶然ダム工事現場で出会った2人が仲良くなり、お互いの人生の責任を取る手助けをします。最後、勘三郎さんは笑顔で、相手役の松坂慶子さんは今も素敵だと思いますが、この時は磨き抜かれた鉱物のような美貌でした。
あまり集中しなくても筋は追えますが、役者さんの表情や風景はやはり味があります。
まだ見ていないわたくしにお心づかいいただいてありがとうございます。
とても興味深い映画ですね!
いつかチャンスがあったらわたしも見てみたいと思います。
教えてくださってどうもありがとう!
実はこの記事は89%ぐらい(?)iguさんあてに書いたものですが、書いていいのやらと迷いつつ書いたものでございます。
というのは、きっとiguさんもこれを読むのに「え?もう?」と思われるかもしれないし、私よりずっと躊躇なさるかもしれないと思ったのでした。
ほんとはお会いしてお茶しながら、iguさんと直接話せれば、この話題がお嫌ならやめられるのですが・・・
でも読了後我慢できずに書いてしまいました。
もしお嫌ならスルーできるし、とか言い訳(殴
>jesterさん、ご無沙汰してすみません~!(私、生きてます。元気です~)
いえいえ、そんなこんなでレスいただけてうれしいです♪
>中村勘三郎が亡くなった事実は、私にとって自分で思っていた以上に受け入れ難いことだったようで、未だに本を読んだり映像を見たりが辛いです。
いや~、自分がこんなに引きずるヘタレだとは思わなかった!
関容子さんの「勘三郎伝説」や この本も持っているのですが・・まだ読めずに積ん読状態・・・
あああ・・・やはりですね。
ごめんなさい!
わたしもこの本、買うの嫌だったんですよ。
なんかほんと、この時期に書けばファンに売れるだろうっていう出版社の気持ちが透けて見えるような気がして。
で、本屋でパラパラしてて、やっぱり気になって買ってしまいました。
>jesterさんの感想を読んで、私もきっと今読んだら色々とモヤモヤしそうだな~と、ちょっと怖くなりました。
こんなに記憶が「生」で「時間の検証も受けていない」時に本を出していいのだろうか?と云う疑問もありましたし。
そうですね~
なんか本人が生きているときなら笑い話だけど、死んでから一方的に語られるとつらい話と感じた部分もありました。
これをほんとに奥様が書いたのなら、ちょっと・・・という部分もあります。
>癌に対してどう立ち向かうかは色々諸説ありますが、癌ではなく、その治療で生命力を失って命を落とすのは余りに無念です。
でも事実、そういう無念の死は少なくない気がします。
癌を抱えたままの方が長生きできたのに・・と云う場合が。
生き延びる為に選んだ闘病で、あっけなく命を落とすなんて勘三郎さんは夢にも思っていなかったでしょうね。
生きるエネルギーの塊みたいに見えた勘三郎さんでしたから、本当に残念です・・・
本当に死んで一番びっくりしているのは本人かもしれませんね。
>今年の浅草歌舞伎を見て、歌舞伎界が大きな世代交代の時季が近づいている事を否応無く感じました。
今年は勘九郎がシアターコクーンで、コクーン歌舞伎「三人吉三」を、そしてニューヨークで平成中村座公演をやるそうです。
勘九郎さんはほんとにどんどんお父さんに似てきて、なんか零れ落ちる情緒まで醸し出してきたような。
世代交代して受け継がれていくのですね。
>勘三郎はもう居ないけれど、彼の志は息子たち次の世代に受け継がれて続いていきます。
今までの歌舞伎もその他の演劇も(マンガの世界でも)、そうやって一代で成し得なかった事やり残した事が、次の世代の手渡されていくのかな~・・・
そうなんでしょうかね~
それにしてもやっぱりもうあと40年ぐらいは舞台で暴れまわって、最後は車いすでも出てきてくれそうだった勘三郎さんだけに、残念ですね。
>寂しいけれど、私は「勘三郎という役者を知っている世代」に生まれて良かった!と心から感謝しています。
本当ですね!
そしてその中の珠玉の舞台を時々ご一緒させていただいたこと、娘ともども深く感謝しております!
いつかiguさんがこの本を読まれたら、ぜひお話をさせてくださいませ。
いろいろお聞きしたいこともありまする。