たったいま、Eテレの日曜美術館「バルテュス 5つのアトリエ」が終わったところです。
(再放送は6月1日夜8時から、Eテレにて)
映像が美しく、美術を鑑賞しているというよりヨーロッパを旅行したような、豊かな気持ちになれる番組でした。
内容的に新しいことはありませんでしたが、バルテュスが使ったアトリエが、その時期描かれた絵とともに紹介されていき、この絵はここで描かれたのね、と良くわかって、とても興味深かったです。
あ、デヴィッド・ボウイが、バルテュスの肖像画を描いて、バルテュスにプレゼントしたというのは初めて知りました。
番組後半では、彼の最後の妻、節子さんが出ていました。
20歳まで日本にいたので、日本語は美しいですが、時々考えるときに「アう~~」「エウ~~」とかいうのは、長く海外で外国語を使っていた人が陥る悪い癖(?)ですね。
先日バルテュス展に行ったときに、節子さんの書いた本も多数販売されていて、重いカタログを買った上に、節子さんの本も2冊も買ってしまい、帰りにエコバックを肩に食い込ませて帰ったのでした。
(この写真、右の本の帯がずれていました 正しくは下の2枚目の画像のような表紙です)
ド・ローラ節子の和ごころのおもてなし (とんぼの本)
と
グラン・シャレの手作り暮らし -節子・クロソフスカ・ド・ローラ
で、
スイスの現存する最古で最大の木造建築である「グラン・シャレ」に、バルテュスの死後も住んでいる節子さんの優雅な暮らし方を取材した本です。
バルテュスについては知っていても、節子さんについてはあまりしらず、興味があったので、買ってしまいました。
(重くて、あとでアマゾンで買えばよかったと思いましたが、その時はバルテュス展を見た後、帰りに一休みしつつお茶をしながらゆっくり読みたかったので・・・)
節子さんがバルテュスに出会ったのは20歳の時で、フランスで催される日本画展に出品するものを選びに来た54歳のバルテュスに一目ぼれされ、その時はバルテュスには長年暮らした愛人フレデリックがいたにもかかわらず、彼とともに渡欧し、その後結婚なさった方。
(しかし、フランス要人の通訳に大学2年生が付いたって、どういうことなんでしょう?
彼女自体、渡欧してから言葉に困ったと本に書いていますし・・・
ほんとに通訳だったの?(素朴な疑問です))
(ちなみに知人は節子さんをバルテュスにつけた会社にいて、あとで節子さんの親から怒鳴り込まれた、と言っていました・・・)
バルテュスの趣味(?)にかなう童顔であり、また彼が小さいころからあった東洋趣味などにも通じるものがあり、バルテュスは、節子さんに惹かれたのでしょう。
バルテュスに
「着物を着ていてほしい」と望まれ、着物を着続けたという節子さんは、本当に着物姿が美しい。
しかしその当時、若くして渡欧して生活した彼女のしたであろういろいろな苦労は想像できます。
私の友人でヨーロッパ人と国際結婚しかの地で暮らしている人は、
「綺麗な家の中ね。○○(夫の名)はほんとに賢いわ。あなたと結婚したら、メイドを雇わなくても済むものね」
なんて意地悪な知人から、未だに言われると嘆いていました。
もちろん、几帳面に綺麗にしている家をほめているだけではなく、むこうからしてみると、『東洋人女性は所詮、精神的パートナーではなく、性的サービス付の『メイド』だ』、という皮肉をあてこすっているとげのある言葉です。
これは『白人』と結婚した東洋人の女性には、表だって言われなくとも、影では時には言われることもあるらしい。
とくに相手が高貴な家の出だったり、お金持ちだったり、有名人だったりすればやっかみもあって、なおのことです。
(まあ、『玉の輿』婚は別に国際結婚じゃなくてもあれこれいわれますけれども・・・)
人種差別は表面上ははっきりと見えなくても、「あれ?もしかして?」ということが重なると、長年暮生活しているうちにじわじわとボディブローのように効いてくるものです。
物事を卑屈にとらえてしまうようになりかねません。
まあそういう環境でも、夫と結婚できたことのうれしさに、ささいなことは気にも止めない人もいるし、また、何を言われてもほとんど感じないような人もいます。
実際節子さんがどうだったかはわかりませんが、いわば田舎の小娘が突然お城の御姫様になってしまったような環境の中でも、彼女は精いっぱい背筋を伸ばして暮らしていたことが本からうかがわれます。
(4人の住込みフィリピン人メイドと通いのメイド一人、都合5人のメイドがいた、メイドに髪を結わせ、お化粧をさせた、とか書いていますから、さすがに彼女がメイド扱いされたということはないかもしれませんが・・・)
そして彼女が今も住んでいるグラン・シャレは、1754年に豪農の館として建てられ、その後ホテルとして使われていたそうです。
木造のとても瀟洒な館で、その写真を見るだけでうっとり。
いつか行ってみたいです。
(行ってすぐに見学できるのかは知りませんが。。。)
40以上の部屋があり、文化遺産にも指定されているのです。
ここを気に入ったバルテュスは「何枚かの絵を描くことを約束して」画商たちにこの建物を買ってもらいます。
すごいな~~
「何枚かの絵」でこんな建物が買えてしまうなんて。
本には、グラン・シャレでの暮らしやら、お客のもてなしにはじまって、着物などを洋服や袋物にリフォームしたり、刺繍など手芸をしたり、お菓子を焼いたり、という彼女の暮らし方が取材されています。
リフォームや刺繍は、意欲的にたくさん作られていますが、残念ながら作品としては「暇つぶし」以上には見えないもので、インスパイアされるようなものはありません。
彼女も絵を描きますが、そちらもやはり素人が門前の小僧のお経のように、夫が画家なので私も描いてみました風のものに私には見えます。
それでもこの本に惹かれたのは、山下郁夫さんの素晴らしい写真と、グラン・シャレの魅力、そしてスイスの美しい自然や風物のせいもあるかも。
山下さんのお写真はそれは綺麗だし、またグラン・シャレのなかのインテリアなども素敵で、見ているとひととき優雅な気分になれます。
節子さんはバルテュス展を機に来日なさり、テレビに出られたりなさってますが、美しい日本語で語られるバルテュスの思い出はもっと聞きたいし(「うア~~」抜きで)、渋い着物の着こなしをもっと見たいなと思います。
(でもお願いだからバラエティ番組とかに出ないでね。)
(そんな貧しい人じゃないか。以前に「徹子の部屋」には出たらしいですが)
きものを纏う美
と
グラン・シャレ夢の刻
と、そうそう、これ
見る美 聞く美 思う美―「画家バルテュス」とともに見つけた日本の心
も見たい(読みたいじゃなく?!)です♪
そうそう、先日「バルテュス展でのお買い物」で書いた、メレンゲのお菓子ですが、本の中に載っていました。
ベイダンオー地方の独特のお菓子らしいです。
(ベイダンオーってどこね?)
ダブルクリームをつけて食べるのがこの地方の食べ方、とありましたが、これを読んだときにはもうすでに完食・・・
濃厚なダブルクリームをつけて食べたら、どんな味なのかな?
(それを知るために次に行ったときにまた買おう、とかいうなよ、自分・・・)
さて、バルテュスの絵についても書こうと思っていましたが、長くなりましたので、次回に続きます・・・
バルテュス展の記事はこちら、こちらなど。
(再放送は6月1日夜8時から、Eテレにて)
映像が美しく、美術を鑑賞しているというよりヨーロッパを旅行したような、豊かな気持ちになれる番組でした。
内容的に新しいことはありませんでしたが、バルテュスが使ったアトリエが、その時期描かれた絵とともに紹介されていき、この絵はここで描かれたのね、と良くわかって、とても興味深かったです。
あ、デヴィッド・ボウイが、バルテュスの肖像画を描いて、バルテュスにプレゼントしたというのは初めて知りました。
番組後半では、彼の最後の妻、節子さんが出ていました。
20歳まで日本にいたので、日本語は美しいですが、時々考えるときに「アう~~」「エウ~~」とかいうのは、長く海外で外国語を使っていた人が陥る悪い癖(?)ですね。
先日バルテュス展に行ったときに、節子さんの書いた本も多数販売されていて、重いカタログを買った上に、節子さんの本も2冊も買ってしまい、帰りにエコバックを肩に食い込ませて帰ったのでした。
(この写真、右の本の帯がずれていました 正しくは下の2枚目の画像のような表紙です)
ド・ローラ節子の和ごころのおもてなし (とんぼの本)
と
グラン・シャレの手作り暮らし -節子・クロソフスカ・ド・ローラ
で、
スイスの現存する最古で最大の木造建築である「グラン・シャレ」に、バルテュスの死後も住んでいる節子さんの優雅な暮らし方を取材した本です。
バルテュスについては知っていても、節子さんについてはあまりしらず、興味があったので、買ってしまいました。
(重くて、あとでアマゾンで買えばよかったと思いましたが、その時はバルテュス展を見た後、帰りに一休みしつつお茶をしながらゆっくり読みたかったので・・・)
節子さんがバルテュスに出会ったのは20歳の時で、フランスで催される日本画展に出品するものを選びに来た54歳のバルテュスに一目ぼれされ、その時はバルテュスには長年暮らした愛人フレデリックがいたにもかかわらず、彼とともに渡欧し、その後結婚なさった方。
(しかし、フランス要人の通訳に大学2年生が付いたって、どういうことなんでしょう?
彼女自体、渡欧してから言葉に困ったと本に書いていますし・・・
ほんとに通訳だったの?(素朴な疑問です))
(ちなみに知人は節子さんをバルテュスにつけた会社にいて、あとで節子さんの親から怒鳴り込まれた、と言っていました・・・)
バルテュスの趣味(?)にかなう童顔であり、また彼が小さいころからあった東洋趣味などにも通じるものがあり、バルテュスは、節子さんに惹かれたのでしょう。
バルテュスに
「着物を着ていてほしい」と望まれ、着物を着続けたという節子さんは、本当に着物姿が美しい。
しかしその当時、若くして渡欧して生活した彼女のしたであろういろいろな苦労は想像できます。
私の友人でヨーロッパ人と国際結婚しかの地で暮らしている人は、
「綺麗な家の中ね。○○(夫の名)はほんとに賢いわ。あなたと結婚したら、メイドを雇わなくても済むものね」
なんて意地悪な知人から、未だに言われると嘆いていました。
もちろん、几帳面に綺麗にしている家をほめているだけではなく、むこうからしてみると、『東洋人女性は所詮、精神的パートナーではなく、性的サービス付の『メイド』だ』、という皮肉をあてこすっているとげのある言葉です。
これは『白人』と結婚した東洋人の女性には、表だって言われなくとも、影では時には言われることもあるらしい。
とくに相手が高貴な家の出だったり、お金持ちだったり、有名人だったりすればやっかみもあって、なおのことです。
(まあ、『玉の輿』婚は別に国際結婚じゃなくてもあれこれいわれますけれども・・・)
人種差別は表面上ははっきりと見えなくても、「あれ?もしかして?」ということが重なると、長年暮生活しているうちにじわじわとボディブローのように効いてくるものです。
物事を卑屈にとらえてしまうようになりかねません。
まあそういう環境でも、夫と結婚できたことのうれしさに、ささいなことは気にも止めない人もいるし、また、何を言われてもほとんど感じないような人もいます。
実際節子さんがどうだったかはわかりませんが、いわば田舎の小娘が突然お城の御姫様になってしまったような環境の中でも、彼女は精いっぱい背筋を伸ばして暮らしていたことが本からうかがわれます。
(4人の住込みフィリピン人メイドと通いのメイド一人、都合5人のメイドがいた、メイドに髪を結わせ、お化粧をさせた、とか書いていますから、さすがに彼女がメイド扱いされたということはないかもしれませんが・・・)
そして彼女が今も住んでいるグラン・シャレは、1754年に豪農の館として建てられ、その後ホテルとして使われていたそうです。
木造のとても瀟洒な館で、その写真を見るだけでうっとり。
いつか行ってみたいです。
(行ってすぐに見学できるのかは知りませんが。。。)
40以上の部屋があり、文化遺産にも指定されているのです。
ここを気に入ったバルテュスは「何枚かの絵を描くことを約束して」画商たちにこの建物を買ってもらいます。
すごいな~~
「何枚かの絵」でこんな建物が買えてしまうなんて。
本には、グラン・シャレでの暮らしやら、お客のもてなしにはじまって、着物などを洋服や袋物にリフォームしたり、刺繍など手芸をしたり、お菓子を焼いたり、という彼女の暮らし方が取材されています。
リフォームや刺繍は、意欲的にたくさん作られていますが、残念ながら作品としては「暇つぶし」以上には見えないもので、インスパイアされるようなものはありません。
彼女も絵を描きますが、そちらもやはり素人が門前の小僧のお経のように、夫が画家なので私も描いてみました風のものに私には見えます。
それでもこの本に惹かれたのは、山下郁夫さんの素晴らしい写真と、グラン・シャレの魅力、そしてスイスの美しい自然や風物のせいもあるかも。
山下さんのお写真はそれは綺麗だし、またグラン・シャレのなかのインテリアなども素敵で、見ているとひととき優雅な気分になれます。
節子さんはバルテュス展を機に来日なさり、テレビに出られたりなさってますが、美しい日本語で語られるバルテュスの思い出はもっと聞きたいし(「うア~~」抜きで)、渋い着物の着こなしをもっと見たいなと思います。
(でもお願いだからバラエティ番組とかに出ないでね。)
(そんな貧しい人じゃないか。以前に「徹子の部屋」には出たらしいですが)
きものを纏う美
と
グラン・シャレ夢の刻
と、そうそう、これ
見る美 聞く美 思う美―「画家バルテュス」とともに見つけた日本の心
も見たい(読みたいじゃなく?!)です♪
そうそう、先日「バルテュス展でのお買い物」で書いた、メレンゲのお菓子ですが、本の中に載っていました。
ベイダンオー地方の独特のお菓子らしいです。
(ベイダンオーってどこね?)
ダブルクリームをつけて食べるのがこの地方の食べ方、とありましたが、これを読んだときにはもうすでに完食・・・
濃厚なダブルクリームをつけて食べたら、どんな味なのかな?
(それを知るために次に行ったときにまた買おう、とかいうなよ、自分・・・)
さて、バルテュスの絵についても書こうと思っていましたが、長くなりましたので、次回に続きます・・・
バルテュス展の記事はこちら、こちらなど。
この画家のすごさは僕には正直 よく理解できません、ただある特定の時期 (少女から大人の入り口?) の女性に美しさを感じたんでしょうね たぶん どのモデルの女性もそんなに美人ではないにもかかわらず (すごい個性的ではある) そのモデルさんを愛人して 幸せな人生だったんだろうな、最後は節子さんですもんね、節子さんは美人です気品もあるますけど。
> 僕はこの番組のなかの篠山きしん (漢字がでてこない) さんの二人を撮影した写真が印象に残っています、とても美しい写真だと思いました 二人の愛情のようなものがあふれていると思いました。
篠山さんの写真、良かったですね♪
> この画家のすごさは僕には正直 よく理解できません、ただある特定の時期 (少女から大人の入り口?) の女性に美しさを感じたんでしょうね たぶん どのモデルの女性もそんなに美人ではないにもかかわらず (すごい個性的ではある)
私がごく周辺で調査したところ、男性では「エロ親父じゃん」という人が多かったです。(爆
>そのモデルさんを愛人して 幸せな人生だったんだろうな、最後は節子さんですもんね、節子さんは美人です気品もあるますけど。
バルテュスの生涯は、やりたいことをやって幸せだったでしょうね~
でも最後の妻は節子さんだけど、最後のモデルは別の少女です。
しかもそのアトリエには節子さんは入れなかったそう。
なんかね、節子さんって我慢強いというか・・・
ま、「ほかの道はなかったのか」とか言いたくもなるのです、正直。
でもなかったんでしょうね、ほかの道。