1 この冬は甚だ変な天気で寒かった。そのためか,春になると咲き遅れていた花が一斉に咲いたようである。私はわがやの庭に咲く花を事務所の花瓶に飾ることを趣味としている。この春は何だか庭に花が咲き乱れて,百花繚乱の趣きがあった。どうやら妻が昨秋の頃から,沢山球根などを植えていたためのようである。水仙,雪やなぎ,チューリップ,十二単(じゅうにひとえ),はなももなどを事務所に持参した。
2 また私は,事務所にある4か所の額に,私が撮影して「半切」の大きさに引き伸ばした花の写真を,2週間に1回の割合で4枚纏めて取り替えて飾ることを趣味としている。事務所内の季節を世間よりも少し早めようというのである。もうすぐ梅が咲きそうだという季節になると,その2週間程前に咲き始めの梅の写真を飾るという具合である。この春は花が咲く早さに負けて,この写真の取り替えが後手に回った。
3 私が事務所に花を持参したり,写真を取り替えたりするごとに,事務員に対する「恐怖の花テスト」が行われることになる。主としては花の名前テストであるが,水仙の英語名は何かとか(ナルシサス),その名の謂われについてギリシャ神話を知っているかがテストされたりする。2人のベテラン事務員は,もう何年も私のテストを受けてきたので,ほぼ正解に達するようになっているが,新しく事務員になった者の場合は,よほど花が好きでない限り,大体1年間は花テストに苦しむことになる。正解に苦しむ花としては,「忘れな草」,「ホトトギス」,「はなもも」,「十二単」などであろうか。
4 最近わがやの庭に咲いた一枝の黄色い花を事務所に持参したところ,ベテラン事務員たちは,「また始まった」という顔をして微笑んでいた。まだ2年目の事務員に対する花テストである。昔室町時代の後期に,後に江戸城が築かれた場所に城を築いた太田道灌という武将がいた。その武将がとある農家の近くで雨に降られたため,農家に立ち寄り,蓑(みの)を借りたいと頼んだところ,美しい娘が出てきて,蓑の代わりに黄色い一枝の花を差し出したというのである。教養ある武人であった道灌も,直ちには娘の意図を理解できなかったが,後にある和歌を知って感服するとともに,自らを恥じて努力し,後に日本一と言われる歌人になったという話である。「一体娘の行為はどういう意味か」というのが,私の恐怖の花テストである。いささか高度な教養を要することになる。
5 「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき」というのが正解である。後拾遺和歌集にあるのだそうである。娘の無言の回答は,「貧しいためにお貸しできる蓑はひとつもないのです。ごめんなさい」ということである。なるほど山吹という花には実はならないようである。
6 この話は,昔高校の国語の教科書で読んだような気がする。私は小学生の頃から国語の教科書が大好きで,繰り返して読んだ。そのせいかどうかはよく分からないが,私は国語は大の得意科目で,テストではいつもよい点だった記憶である。
7 その後この話は,婚約者になる前の妻に試みて,得点稼ぎに成功したような気がする。太田道灌が,その娘を妻にしたかどうかについては調査未了であるが,そうなっておれば素敵な話ではある。
8 私はいつの頃からか,このような「チョットいい話」や気に入った短歌などを集めて,メモノートを作るようになったが,自分の人生を振り返ってみると,妻と婚約するに至る強力な武器になるなど,案外それが役に立ったような気がするのである。(ムサシ)