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6 私は昭和17年生まれで,先の戦争で私の居住地がアメリカ空軍のB29戦略爆撃機約140機に空襲され,昭和20年6月29日未明,私は雨霰と落とされた焼夷弾で火の海となっている市街地を,母に背負われて逃げ惑って,幸運にも生き延びたという,命の危険を体験した者である。その空襲で当地では約1700人が死亡し,市の大半が焼け野原になり,2万戸を超える民家が焼失したということである。被害は甚だ甚大だったということになる。私は当時2歳半であり,具体的な記憶はなく,後日母から様子を聞いたものである。
7 市内は一晩で焼け野原になり,わが家と親戚の家3軒が全焼し,財産はほぼなくなった。父は民間人として満州に出兵しており,その留守家族7人が一旦は死を覚悟した状況下で,幸いにも全員生き延びた。
8 敗戦後捕虜になっていた父が2年後に生還した。家業は廃止され,父母は近郊で未体験の農業を始め,大変苦労したようである。子供らは農業の手伝いをし,また勉強を頑張って親孝行することが子供らの共通の目標になっていた。私は無謀な戦争が遂行され,国民が人的にも物的にも多大の損害を受けたことに対し,政府や軍の幹部に対し,激しい怒りと憎しみの感情を抱いて成長した。
9 先の戦争では,国民の多くが直接間接の被害を受けていると思われる。そのような体験を有し,戦争に反対する強い思いを抱いている者として,今何をなすべきなのであろうか。戦争をすると,その勝敗にかかわらず,余りにも被害は大きい。勝つ戦争ならしてもよいということには決してならない。戦争は絶対にしてはならないと思うのである。
10 そして,戦争に対してそのような具体的な激しい感情を抱く者であれば,このたびの訴訟では,弁護士として原告代理人になることは当然のこととして,自ら原告になるべきではないのかという思いが強い。おそらくそうすることになるだろう。東京で予定されている訴訟では,原告代理人になることの意思は表明してある。(ムサシ)

 



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