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翁長知事「沖縄の思い訴えたい」 国連人権理事会へ出発

2015-09-23 | ウチナー・沖縄
朝日新聞 2015年9月19日19時01分
上遠野郷、ジュネーブ=松尾一郎
 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事は19日、スイス・ジュネーブで開かれている国連人権理事会に出席するため沖縄を出発した。国連欧州本部で21~22日、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の県内移設計画への反対を訴え、沖縄に米軍基地が集中している問題について国際社会の理解を得たい考えだ。
 那覇空港にはこの日朝から支援者らが集まり、出発する翁長氏を激励。翁長氏は一人一人と握手し、「これまで話してきたことを集約して世界に訴えたい。国際社会に沖縄の思いをしっかり訴えたい」と語った。
 国連人権理事会は、あらゆる人権問題を扱う国連機構内の政府間組織。シリアや北朝鮮の深刻な人権侵害から女性の人権、先住民族の権利など幅広く話し合われる。
残り:797文字/本文:1112文字
http://www.asahi.com/articles/ASH9M351RH9MTPOB001.html

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「言語・方言サミット」那覇で開催

2015-09-23 | アイヌ民族関連
NHK 9月18日 18時06分
「言語・方言サミット」那覇で開催
北海道の「アイヌ語」や沖縄県の「八重山語」など、ユネスコの調査で「将来的に消滅の危機にある」とされている言語や方言について知ってもらい、継承につなげていこうという大会、「言語・方言サミット」が、18日、那覇市で開かれました。
文化庁や沖縄県などが開いたこの大会には、ユネスコが「将来的に消滅の危機にある」としている国内8つの言語や方言をそれぞれ継承する人たちなど100人余りが参加しました。
はじめに、「八重山語」や「与那国語」など「消滅の危機」とされる言語の5つがある沖縄県から、はなし家で俳優の藤木勇人さんが講演し、「沖縄の各地で異なることばはその土地で伝える力があるからこそ残ってきた。それぞれのことばを残すことは多様性を認める社会にもつながると思う」と訴えました。
続いて、北海道でアイヌの人たちの文化を学んでいる山本りえさんは、「消滅の危機」が「極めて深刻」とされる「アイヌ語」を使って、シマフクロウの神話を節をつけながら披露しました。
また、参加者たちが、それぞれの地域に伝わることばでロシア民話の「大きなかぶ」を「大きな大根」に変えて朗読しました。
この中では、鹿児島県南部の離島や沖縄本島北部で話される同じ「国頭語」でも、地域によって発音が異なることなどが説明され、それぞれの土地に伝わることばの多様性を訴えて伝え残していく大切さを確認していました。
「さまざまな方言聞く機会に恵まれた」
北海道釧路市出身で「アイヌ語」の語りを披露した山本りえさんは(28)、「アイヌ語にひかれて勉強を始めました。きょうはさまざまな地域の方言を聞く機会に恵まれてよかったです」と話していました。
また、「八重山語」で語った東大浜剛さんは(52)、「こうした大会をきっかけに、先人たちが残したことばに関心を持ってもらい、若い世代が少しでも会話で使ってくれるようになればいいと思う」と継承への期待を寄せていました。
アイヌ民族に関する国立博物館建設へ
アイヌの人たちの文化を保存していくことなどを目的に北海道にアイヌ民族に関する国立博物館が建設されることも決まり、地元では、アイヌの人たちの歴史やことばを伝えていこうという動きが出ています。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに合わせて、国は、北海道白老町にアイヌ民族に関する国立博物館を開館することを決めました。
北海道ではアイヌの人たちの文化を伝えていこうという活動が活発になっていて、このうち、アイヌの人たちが多く暮らしている北海道平取町の二風谷地区では、アイヌ語を伝えていくための教室が開かれています。
教室は、子どもの部と大人の部に分かれていて、このうち子どもの部では小学生と中学生が週に1度、集まってアイヌ語を学んでいます。
子どもたちは、アイヌ語に翻訳した童謡を歌いながら地域に伝わる物語を紙芝居を通して学んでいます。
一方、大人の部では海外の伝承方法などを学んでいます。
今学んでいるのは、ニュージーランドの先住民族、マオリの人たちのマオリ語についてです。
マオリ語は、一時、消滅の危機に瀕しましたが、復興させるための活動が進められた結果、今は、ニュージーランドの公用語の一つになっています。
アイヌ語教室で講師を務める平取町立二風谷アイヌ文化博物館の関根健司さんは、「それぞれ工夫しながら今後も学習方法を見つけていきたい」と話していました。
東京でも積極的に発信
アイヌ語を伝承するための取り組みは北海道の外でも進められています。
今月12日には、東京・有楽町でアイヌ文化を広めようというイベントが開かれ、伝統的な織物などが展示されたほか、平取町二風谷のアイヌ語教室のメンバーが北海道の外では初めて、劇を披露しました。
劇は「キツネのチャランケ」という昔話で、川に上るサケを独占しようとする人間に対し、キツネが自然の恵みは分け合うべきだと訴える物語です。
600人以上が入れる会場は満席になり、アイヌ語で語られる世界に観客たちが見入っていました。
観客の男性は、「ふだん触れることのできないアイヌの世界観を感じるいい機会になった」と話していました。
また、劇に参加した小学5年の平村数美さんは「たくさんの人の前で披露できて楽しかったです。多くの人にアイヌ語を知ってもらえるようまた勉強したいです」と話していました。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150918/k10010240841000.html

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危機言語サミット沖縄大会開催 ユネスコ指摘の8言語を議論

2015-09-23 | アイヌ民族関連
琉球新報 2015年9月18日 17:28

危機言語サミット沖縄大会でそれぞれの危機言語で同じ物語を聞かせる話者=18日、那覇市の県立博物館・美術館
 「危機的な状況にある言語・方言サミット沖縄大会」(文化庁、県、琉球大主催)が18日、那覇市の県立博物館・美術館で開かれた。国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあるとした国内8言語の関係者が継承に向けて議論した。
 八つの危機言語は、アイヌ語と八重山語、与那国語、八丈語、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語。
 調査報告で、石原昌英琉球大学教授は「県民の多くが学校教育を通した(しまくとぅばの)保存継承を望んでいるが、教材が少ない。教員も話せない」と課題を話した。北海道大学の北原モコットゥナシさんは、教員や教材、語彙(ごい)、使用できる場の不足をアイヌ語普及の課題に挙げた。
 しまくとぅばの話芸に取り組む藤木勇人(立川志ぃさー)さんの講演や危機言語の聞き比べなどがあった。
【琉球新報電子版】
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-249110-storytopic-6.html

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白老で交通量調査 民族共生公園整備の基礎資料

2015-09-23 | アイヌ民族関連
苫小牧民報  (2015年 9/18)
町立病院前の交差点で交通量を計測する調査員=16日午後4時ごろ
 国土交通省は16日、白老町日の出町と若草町の交差点など3カ所で、2020年開設の「民族共生公園」(仮称)整備に伴う交通量調査を行った。国の現地調査は昨年10月の文化庁による国立アイヌ文化博物館(同)の整備に係る地質調査以来2回目。国交省による調査は今回が初めてで、結果は来年度に示される国立公園基本計画に反映される。
 調査が行われたのは町立国保病院前とポロト温泉手前の両交差点、公園通り沿いの3カ所。調査員6人を配置し、午前8時から午後5時までの車両通行量を調べた。
 調査を行った道開発局都市住宅課は20年の象徴空間開設に伴い、「整備予定地周辺では交通量が増加する」と説明。将来的な対策の必要性を挙げ、道路拡幅など具体策を協議するための「基礎資料とするため現況調査を行った」と話す。調査は2日間の予定で、16日は平日の通行量を計測。休日の調査は21日に行う。
 国交省が今年4月に公表した基本構想では、同公園を「アイヌ文化の入口」と位置付けることや、アイヌ文化の理解を深められる体験型フィールドミュージアムの整備などを盛り込んだ。同省はこれらの内容を踏まえ、来年示す基本計画に今回の調査結果を盛り込むとしている。
 道開発局は今回の調査結果などを踏まえ、「基本計画を作成する上で必要な調査があれば随時行っていく」としており、必要に応じて地質調査なども行う意向を示している。
http://www.tomamin.co.jp/20150930218


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アイヌ民族とマオリ交流 白老で意見交換

2015-09-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/18 16:00

チェリントンさん(右から2人目)と語り合うアイヌ文化の若手担い手
 【白老】ニュージーランドの先住民族マオリの若手リーダーを養成している団体代表者らが17日、胆振管内白老町のアイヌ民族博物館を訪れ、同館でアイヌ文化を学ぶ若手担い手と交流した。ワークショップでは、民族の文化や言語を学ぶ意義などについて、それぞれ意見を交換した。
 首都圏や道内のアイヌ民族でつくる「アオテアロア・アイヌモシリ交流プログラム実行委員会」(島田あけみ代表)が主催。同会は2013年、ニュージーランドに研修団を送り、言語復興などの先進事例を学ぶなど、交流してきた。
 今回来日したのは、マオリの若手リーダー育成団体「AMO」のベンサム・オーヒア代表(44)と、ケイト・チェリントン副代表(45)。2人はマオリの若手育成やコミュニティー改善に長年、携わっている。23日まで、白老や平取、札幌など道内に滞在する。
 ワークショップにはアイヌ文化の担い手5人が参加。チェリントンさんが「いま学んでいることは何にプラスになる?」などと問いかけると、参加者は「知識と経験を増やせている」「アイヌ民族としてどう生きたいか考えるのに役立っている」などと答えた。
 チェリントンさんは「文化や知識を実生活で生かし、将来的には導き手の手本となって」と話し、参加した中井貴規さん(38)は「これまでと違う視点が得られた」と語った。
 同会は2人の講演会を21日午後7時から、平取町二風谷の町立二風谷アイヌ文化博物館のポロチセで開く。入場無料。問い合わせは同文化博物館(電)01457・2・2892へ。(田鍋里奈)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/doo/1-0180845.html

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シルバーウイークはどこへ? 道央圏の新施設を紹介

2015-09-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 09/18 10:07
 5連休になる「シルバーウイーク」(19~23日)が間近に迫った。どこでどう過ごすか、まだ決めていない人もいるのでは。まとまった休みに食の秋、文化の秋を堪能しない手はない。道央圏で今年オープンした施設や既存施設の新趣向を紹介する。
■北海道博物館 歴史や自然、多角的に
 4月に北海道開拓記念館の展示を一新してリニューアルオープンした。圧巻なのは総合展示の入り口で向き合う北方系のマンモスゾウ(体長5・5メートル)と南方系のナウマンゾウ(同4・3メートル)の骨格標本だ。
 両種は約4万5千年前の北海道に時期を同じくして生息していたことが判明しており、展示は北海道の地理的な特異性を伝える。表渓太(けいた)学芸員は「両方のゾウが北海道に移動してきたことで、人も文化もやって来た」と語り、生き物と人のつながりも読み取れる。
 北海道の歴史、自然やアイヌ民族の文化・歴史を伝えるコーナーなど多角的に学ぶことができる。どんぐりを模した木の玉を転がし、食物連鎖や環境について考えるコーナーは子供たちに人気だ。松前藩家老で画人の蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764~1826年)がアイヌ民族の首長ら12人を描いた特別展「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」を11月8日まで開催中。
 札幌市厚別区厚別町小野幌。午前9時半~午後5時。月曜休館だがシルバーウイーク中は無休。総合展示の入館料は一般600円、大学・高校生300円、中学生以下は無料。夷酋列像展は一般千円、大学・高校生500円、中学生300円、小学生以下は無料。(電)011・898・0456。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/sapporo/1-0181014.html

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樺太:サハリンの戦後70年/下 民族の伝統、今も

2015-09-18 | 先住民族関連
毎日新聞 2015年09月17日 東京夕刊
先住民族ニブフの打楽器「チャチチュハルシ」をたたく地元の子供=ロシア極東ユジノサハリンスクの州立郷土博物館で、真野森作撮影
 カンカン、コン。丸太をつり下げた素朴な打楽器のリズムが青空に吸い込まれていく。サハリンに約2300人が暮らす先住民族ニブフ(旧称ギリヤーク)の人々が手がける州立郷土博物館での初の文化紹介イベント。「私たちニブフは今も健在と示したい」。民族活動家のアントニーナ・ナチョートキナさん(67)は真っ赤な伝統衣装姿で力を込めた。
 アジア大陸のアムール川下流域とサハリンに居住するニブフは、サケ・マスを取り、海獣を狩って自然と共に生きてきた。だが、近現代は日露のはざまで翻弄(ほんろう)された。
 日露戦争後の1905年、サハリンは北緯50度線で区切られ、ニブフやウィルタなど少数民族は南の日本領と北のロシア(革命後はソ連)領とに分断された。第二次大戦の末期には敵味方に分かれ、日ソ双方のスパイにもされた。
 日ソ両国はどちらも少数民族に同化政策を押しつけ、文化を奪った。ナチョートキナさんは「ニブフ語は家庭内でも使われなくなり、多くの伝統が失われた」と残念がる。
 80年代から一部の学校でニブフ語が教えられるようになり、新聞も発行されているが、復興は道半ばだ。少数民族が多く住むサハリン北部には仕事が少なく、就職や就学のため州都ユジノサハリンスクへやって来る若い世代が増えている。
 ニブフの血を引くマリーナ・クラギナさん(50)は魚の皮やアザラシの毛皮を使った伝統工芸を4年前に書物から学んだ。「先祖からの『呼び声』があったように思う」。クマやフクロウの文様を縫い付けた小物を誇らしげに手に載せた。
     ◇
 終戦時、南樺太に約40万人いた日本人はソ連軍による占領後、本土へと順次引き揚げた。だが、ソ連が必要とした技術者や、コリアンやロシア人と結婚した女性ら数百人がサハリンに残らざるを得なかった。そうした人々も91年以降、日本への永住帰国が進み、かつて「支配民族」だった日系人は現在、200人ほどがひっそりと暮らす。
 その一人で戦後生まれの朴愛子さん(66)=旧姓・長野=は「質素だったソ連時代、家ではカレーライスがごちそうだった」と振り返る。北海道出身の両親はソフホーズ(国営農場)で働き、8人の子供を守り育てた。母親は「桃太郎」など日本の昔話は繰り返し話してくれたが、大戦当時の思い出を語ることはなかった。
 ソ連・ロシアになったかつての南樺太で暮らしてきたが、日系人との理由でつらい思いをした記憶はないという。会計士として働き、コリアンの男性と結婚、2人の子供と孫に恵まれた。「戦争はもう過去のこと。うちには日本と朝鮮、二つの文化がある」と笑顔を見せた。【ユジノサハリンスクで真野森作】
http://mainichi.jp/shimen/news/20150917dde007040042000c.html

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白老で19、20日チェプ祭、サケの恵みに感謝

2015-09-18 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年9月17日(木)朝刊】
 第27回しらおいチェプ祭(同実行委主催)が19、20の両日、白老・ポロト湖畔広場で繰り広げられる。サケの恵みに感謝し、アイヌの伝統料理や古式舞踊などを通してアイヌ文化に触れてもらう。
 協賛は白老民族芸能保存会、いぶり中央漁業協同組合、アイヌ民族博物館、白老観光商業協同組合、白老観光協会の5者。サケの関係イベントは、毎回大盛況の格安販売やくじ引き、伝統漁法のマレク漁体験、チェプオハウ(サケ汁)、チマチェプ(焼きサケ)販売など。
 アイヌ文化の体験は、伝統楽器のムックリ製作と演奏、アイヌ文様刺しゅう体験、アイヌ語クイズなど。古式舞踊は鵡川文化伝承保存会が披露する。
 19日午前10時からはサケへの感謝の祈りの儀式「カムイノミ」が行われる。
 このほかカラオケ大会、ひょっとこ踊り、バンド演奏、餅まきなども行われる。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/09/17/20150917m_08.html

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ならまち暮らし:継子いじめの物語=寮美千子 /奈良

2015-09-17 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年09月16日 地方版
 人はなぜか、古来より「いじめ」の物語に心惹(ひ)かれてきた。ことに、心清らかで可憐(かれん)な乙女が、嫉妬深い継母(ままはは)にいじめ倒される物語は人気だ。いま制作中の2冊の本も、期せずしていじめの物語だった。
 一つは、アイヌの民話集。札幌にあるアイヌ文化財団の依頼によりアイヌ文化啓蒙のために図書館用に制作しているもので、『フキノトウになった女の子』『カムイを射止めた男の子』に引き続き、3冊目になる。
 今回の収録作品の一つが「わたしのおばが草小舟にわたしを乗せて流す」で、ガラスの靴こそ出てこないが、シンデレラ物語にそっくりだ。シンデレラはカマドのそばで眠っていて「灰かぶり」と呼ばれたが、アイヌ民話の主人公も囲炉裏(いろり)の下座に置かれ、いつも泥まみれだ。他にも類似点がいくつもあり、シンデレラ物語が伝播した可能性もある。
 奈良時代の奈良の都を舞台にした「中将姫」の物語も、典型的な継子(ままこ)いじめ物語に分類される。結末が幸せな結婚ではなくて、阿弥陀如来(あみだにょらい)と二十五菩薩(ぼさつ)のお迎えにより、生きながら西方浄土へ召されたとする点が、典型的なシンデレラ物語とはひと味違うが、ある種のハッピーエンドである点は同じだ。
 「継子いじめ」の物語の源流はどこにあるのか。いまのところ文字として記された最古ものは、明治の博物学者・南方熊楠が発見した、9世紀の中国の「葉限(イエシェン)」だという。その後の研究により、同様の物語が、ヨーロッパや中国から南洋にいたるまで、世界中に散らばっていることがわかった。そのどれが「元の話」なのか、結論はまだ出ていない。
 「草の舟」も「中将姫」も、大陸から伝播した継子いじめ物語の変形なのだとしたら、「草の舟」のアイヌの娘と中将姫は、姉妹ということになる。それがいま、わたしのなかで出合っている。なんだか、不思議だ。
 大和朝廷は、北の先住民「蝦夷(えみし)」を征服した。その蝦夷が、後にアイヌ民族になっていったという説もある。アイヌ民族は迫害され、その困難はいまも続いている。わたしたちの多くは、いわば「いじわるな継母」の立場なのだ。
 迫害してきた者も、されてきた者も、純粋で健気(けなげ)な乙女に同情するやさしい心を持っている。根底では、人は同じ心根を持っているのだ。だからこそ「継子いじめ」の物語は、これほどまでに人の心をつかみ、世界中へと伝播していったのではないか。疑心暗鬼で互いに武装するのではなく、「やさしさ」の部分で世界の人々とつながれたら、と思う。(作家、詩人)=次回は9月30日
http://mainichi.jp/area/nara/news/20150916ddlk29070568000c.html

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登別で19日知里幸恵フォーラム「アイヌ神謡集を読む」

2015-09-17 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年9月16日(水)朝刊】
 NPO法人知里森舎(横山むつみ理事長)が主催する登別出身のアイヌ女性・知里幸恵(1903~22年)の功績を伝えるフォーラムが19日午後1時から、登別市中央町のホテル平安で開かれる。今年は幸恵の生涯を紹介する銀のしずく記念館(登別本町)の開館5周年の冠を付けた。広く幸恵の業績を紹介するため著書「アイヌ神謡集」の内容にスポットを当てる。横山理事長は「アイヌ文化を身近に感じてもらえれば」と来場を呼び掛けている。
 幸恵はアイヌの口承文学を民族として初めて著し「アイヌ神謡集」として上梓したことで世界的に知られている。19歳の若さで亡くなった。神謡集は英語、フランス語、ロシア語などに翻訳されている。
 フォーラムは幸恵の功績を後世に伝え、アイヌ文化に理解を深めてもらう目的で2000年(平成12年)から毎年開いている。室蘭民報社などが後援する。今回のテーマは「アイヌ神謡集を読む」。
 講演では、東京外国語大学大学院非常勤講師でアイヌ文学を専門とする志賀雪湖さんを招き、神謡集が世界的に評価される理由などをひも解く。
 このほか、平取アイヌ文化保存会が民族芸能の歌舞を披露し、来場者と交流する。
 横山理事長は「神謡集の中身を学び、いろいろな地方の歌や踊りで交流してもらいたい」と期待を寄せている。
 参加無料。希望者は直接会場へ行くとよい。問い合わせは知里森舎(電話0143・83局5666番)へ。
(粟田純樹)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/09/16/20150916m_05.html


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関西のうどんつゆは、なぜ透明?その裏には壮大な「昆布の」歴史が!

2015-09-17 | アイヌ民族関連
Business Journal (風刺記事) (プレスリリース)-2015.09.16
文=熊谷充晃/歴史探究家
 関西の人が関東の温かいうどんやそばを初めて見たとき、つゆが真っ黒なことに驚くという。関西人であれば、実際にその経験をしたことがある人もいるだろう。また、ほかの地域に住む人も、この話を一度は耳にしたことがあるかもしれない。
 関西と関東のつゆの色の違いは、使うしょうゆの種類が違うからであり、さらにいえばだしが違うからである。関東はかつお節を主体にだしを取るのに対し、関西は昆布をメインにすることが多く、それが色の違いにも影響しているわけだ。
 その昆布だが、現在、主要な産地として知られるのは北海道だ。天然ものに限れば9割を超えるシェアを誇っている。「日高昆布」や「利尻昆布」など、北海道産の昆布は、全国のスーパーなどで売られる定番商品となっている。
 余談だが「昆布」という言葉は、そのまま単語として掲載する英語圏の辞書もあるほどで、化学者の池田菊苗が昆布から抽出して発見した第5の味覚「うま味」ともども、海外に通用する日本発の名詞である。
 日本では昔から、寒流のある地域が昆布の産地であったが、江戸時代に入ると、近畿地方も主要な消費地として台頭してくる。その結果、「関西は昆布だし」という、現在に見られる食文化が定着するのだ。それに深く関係していたのが、江戸時代を通じて物産輸送の花形でもあった「北前船(きたまえぶね)」だ。
 これは、蝦夷(現在の北海道)と「天下の台所」である大坂(おおざか:現在の大阪)を、日本海経由で結ぶ輸送システムだ。青森県や山形県の酒田市、新潟県、連続テレビ小説『まれ』(NHK)の舞台として注目を集める石川県の輪島市、福井県の敦賀市や島根県の浜田市などの物資集積地を巡り、山口県の下関市から瀬戸内海に入り、兵庫県の神戸市から大坂へ……。
 なぜ、この航路が選択されたかというと、日本海沿岸は古来、舟運が盛んだったからだ。「日本海の荒波」というイメージが強い現代人にはピンと来ないかもしれないが、日本海沿岸は、昔から比較的安全に航行できるルートとして認識されていた。
 内燃機関や原子力まで使える現代と違い、当時の船は海流や風力、人力に頼るしかなかった。日本海では、その海流が船の往来に適していたのだ。すでに中世では、アイヌとの交易を盛んに行う蝦夷や陸奥国の有力者が、上方(京都や大坂をはじめとする畿内)を相手に商売をしていた。
 アイヌがもたらす物産は、どれも上方や江戸では目にすることができない珍奇なものばかりだったという。そして、そのなかに昆布もあった。当時は養殖技術がないため、漁獲高は現在よりはるかに少なく、そのため希少価値も高かった。後には、幕府の肝いりで生産高アップのための施策が採られ、昆布はそれなりに安価でおいしい食材という立場を手にする。
大坂で熟成が進んだ昆布
 昆布は腐敗防止のために、今と同じように乾燥させて運搬されたが、大坂は蝦夷に比べて高温多湿だ。これが、昆布にとってはラッキーだった。熟成が進み、おいしさがアップしたおかげで、畿内はおろか、江戸にも昆布のおいしさが広まっていく。
 そして、昆布の旅路の終着駅・大坂では、大量に届いた、うま味を増した昆布でだしを取るという食文化が発達していくわけだ。
 北海道の松前漬けをはじめ、とろろ昆布や昆布締め、昆布の佃煮といった郷土料理は、日本海沿岸に集中している。これも、北前船のおかげで、昆布という食材に触れやすかった地域が、独自に昆布のおいしい食べ方を育んできた結果だ。
 ちなみに、北前船が制度化する以前の中世は、現在の青森県に存在した「十三湊」が一大集積地として機能していた。江戸時代になると、その役目は敦賀に移ったが、これは目端が利く近江商人が、蝦夷開発による大儲けをしていたためである。敦賀は琵琶湖を挟んで京都と大坂の対岸にあり、畿内と日本海を結ぶ最短ルートでもあったからだ。
(文=熊谷充晃/歴史探究家)
http://biz-journal.jp/2015/09/post_11576.html

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台湾先住民ゆかりの「国宝」が“結婚” 盛大な儀式に多くの参加者

2015-09-17 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾- 2015/09/16 17:11
(台北 16日 中央社)今年3月に文化部によって国宝に指定された台湾原住民(先住民)パイワン族の「佳平旧社金禄勒頭目家四面祖霊柱」と呼ばれる人型が彫られた木柱が国立台湾大学人類学博物館(台北市)に“嫁入り”し、12日には盛大な結婚の儀式が執り行われた。
台湾大によると、木柱はもともと屏東県泰武郷の集落にあり、日本統治時代だった約80年前に台北帝国大学(現・台湾大)に持ち込まれたという。家屋を支える柱として使われたとみられる。柱の四面に人型が彫られているのは珍しい。指はそれぞれ6本あり、地元では女性の先祖ではと伝えられている。
会場には80人を超えるパイワン族の人々が詰めかけ、伝統のブランコや料理などが用意された。台湾大では結婚を通じて大学と集落の結び付きを深められたらとしている。
(陳葦庭/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201509160011.aspx


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岩と岩の間を風が吹き抜ける谷は アボリジニが聖地として崇めた場所

2015-09-17 | 先住民族関連
インフォシーク-2015/09/16 12:00
Magnificent View #715
カタ・ジュタ(オーストラリア)
(C) Robert Harding Images / Masterfile / amanaimages
 オーストラリア中央部のレッドセンターに位置するカタ・ジュタ。最高地点は546メートルのオルガ山で、赤味を帯びた36の岩山が連なる一帯は、ウルル=カタ・ジュタ国立公園として世界遺産にも登録されている。
「カタ・ジュタ」とは先住民族アボリジニの言葉で「多くの頭」と言う意味。その名の通り、形の異なる岩々は、遠くから眺めるとまるで生物の頭のようにも見える。
 2万年以上も前からここで暮らしてきたアボリジニにとって、カタ・ジュタは聖地。数々の神話も残り、そのひとつによれば、この山の頂上にはワナンビと呼ばれる虹色の蛇が頂上に住んでいて、乾期になると下山するという。
 カタ・ジュタの中でも知られているのが、「風の谷」と呼ばれる場所だ。ここには往復約4キロのトレイルもあり、入り組んだ岩と岩の間を吹き抜ける風の音を聞きながら散策することができる。
文=芹澤和美
http://woman.infoseek.co.jp/news/trend/creabunshun_8679

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古代文化財:「返して!」 エジプトの座像、英博物館が競売 買い戻し寄付募集

2015-09-17 | 先住民族関連
毎日新聞 2015年09月16日 東京朝刊
 英国の博物館で展示されていた古代エジプト書記座像の競売を巡り、英国とエジプトで騒動が起きている。落札価格は1576万ポンド(現在のレートで約29億3000万円)で、「古代エジプト文化財の最高額記録」を更新。文化財の流出を懸念するエジプト当局は、座像を取り戻すため国民に買い戻し資金の寄付を募る方針だが、先行きは明るくない。【カイロ秋山信一】
 「博物館が自ら古代エジプトの文化財を売るなど前代未聞だ。人類とエジプトの文化遺産に対する倫理的な犯罪だ」。8月下旬、エジプトのダマティ考古相(当時)は座像を競売にかけた英中部ノーサンプトンの博物館を厳しく非難。座像を買い戻すため、国民から寄付を募る考えを示した。
 考古省によると、競売にかけられたのは約4500年前に作られた古代エジプト王国の高級書記セヘムカの座像(石灰岩製、高さ約75センチ)。ギザの3大ピラミッドと同時期に作られたとみられる。発掘の場所や経緯は不明だが、座像は1849年ごろ、ノーサンプトン侯爵がエジプトから持ち出し、1866年に侯爵家から博物館に寄贈された。
 ノーサンプトンの公立博物館は2014年7月、改装費用などに充てるため、競売大手クリスティーズの競売に出品。400万〜600万ポンドの予想価格を大幅に上回る額で落札された。落札者は不明だが、中東の衛星テレビ局アルアラビーヤによると、カタールの首長一族だとの未確認情報がある。
 落札直後から英国の文化財保護団体などが抗議運動を始め、博物館などを管轄する公共団体・イングランド芸術評議会は「収蔵品の取り扱いの基準を逸脱した」として、ノーサンプトンの博物館を5年間の財政支援停止などの処分にした。書記座像の購入者は海外への搬送を希望したが、英政府は輸出を一時的に禁止した。
 だが、英政府は今年8月28日までに「座像を買い戻すための真剣な申し出」がなければ、禁輸措置を解除すると表明。エジプト考古省は禁輸措置の延長を求めて、買い戻しの意思を表した。禁輸措置は来年3月まで延長される可能性もあるが、英政府はいまだ対応を明らかにしていない。
 禁輸措置が延長されても買い戻しが実現するメドは立っていない。「政府にできるのは寄付を呼びかけることだけ」。海外にあるエジプトの文化財を取り戻す運動を担当する考古省のアリ・アフマド氏はそう漏らす。11年の革命以降、エジプトは観光業が打撃を受け、博物館や遺跡の入場料収入に頼っていた考古省の予算も切迫。職員の給料未払いも起きている。考古相の寄付の呼びかけにも反応は薄いという。
 ◇現在も続く密輸や盗掘
 英国で法的措置をとるのも難しいという。座像の持ち出しの経緯は不明で、合法的に購入された可能性も否定できない。800年ごろのエジプトの統治者が「芸術品の無許可輸出を禁じた」との説を根拠に、「不法な持ち出しだ」と主張する司法関係者もいるが、アフマド氏は「不当な持ち出しだという証拠がなく、訴訟になれば負けるのは必至だ」と説明する。
 エジプトでは1983年に文化財保護法が制定され、文化財の売買を禁止し、無許可の国外持ち出しに罰則規定ができた。しかし、それ以前は文化財の売買が横行。現在に至るまで文化財の密売や盗掘は続いている。アフマド氏は書記座像について「公に展示されるのであれば、エジプト政府としても異議を申し立てるつもりはない。だが、私的なコレクションとして闇に埋もれることは容認できない」と話している。
 ◇返還巡る紛争、世界各地で絶えず 統一的な解決策なく
 世界的に有名な文化財の扱いを巡っては、今も関係国間の係争が絶えない。国際条約による問題解決も図られているが、基本的には当事国同士の協議に委ねられているのが現実だ。
 大英帝国時代に収集された貴重な文化財が並ぶため、「強奪博物館」とも言われる大英博物館。最も人気がある展示物の一つ、「エルギン・マーブル」と呼ばれる古代ギリシャの大理石彫刻群は、ギリシャ政府からの返還要求にさらされている。
 彫刻群は、19世紀初頭に英国大使エルギンがオスマントルコ支配下のギリシャのパルテノン神殿からはがして英国に持ち込んだ。「違法に持ち出された」と非難するギリシャに対し、大英博物館は「正式な許可を得ていた」と反論。「文明史を理解するためには、彫刻群を世界中の文化財と関連付けて展示する必要がある」などとの持論を展開している。
 英国はこのほか、旧植民地インドからも「世界で最も有名なダイヤ」と言われる「コヒヌール」(105・6カラット)の返還を要求されている。ダイヤは、英国が19世紀半ばにインド北部パンジャブ地方を併合した際、同地を治める王国から英女王に献上されたとされる。現在は女王の王冠に飾り付けられている。
 フランスも同様の問題を抱える。仏文化省は昨年4月、仏西部ナント美術館に収蔵されているルーベンスの絵画「ユダ・マカバイの勝利」について、ベルギーのワロン地域政府からの返還要請を拒否した。絵画は仏革命軍が1794年、現在のベルギー南西部の大聖堂から奪ったもので、ワロン地域議会が2011年に返還実現に向けあらゆる対策を講じると議決をしていた。
 仏政府は、革命軍による戦利品の返還問題は1815年のウィーン会議で解決済みとの立場。パリ大審裁判所弁護士会所属で、美術品の権利関係を専門とするコリーヌ・エルスコビッチ弁護士(49)は「当事国間の取り決め(ウィーン会議の結果)を、後になって一方的に覆すことはできない」と指摘。「今であれば違法性が問題になっても、200年前の基準では違ったとの考え方だ」と解説する。
 文化財の不法な輸出入や所有権の譲渡を禁じた、1972年発効のユネスコ条約に基づく返還例もある。仏政府は09年、ルーブル美術館所蔵の古代エジプト壁画を返還した。エジプトから不法に持ち出された壁画が、市場関係者を通じて美術館に渡ったのがユネスコ条約発効以後だと判明したからだ。
 相手国に返還する法的根拠がなくても、大統領などの政治判断で、貸し出しなどの形で返還が実現することや、議会が返還のための特別法を制定するケースもある。
 パリのケ・ブランリ美術館に収蔵されていたニュージーランド先住民マオリ族の首のミイラ20点は、19世紀に西欧の冒険家が入手したものだが、仏議会は10年、特別法を制定したうえで返還した。エルスコビッチ弁護士は「返還は法的問題であると同時に、政治判断の問題でもある」と語る。
 英国でも返還例はある。英博物館協会によると、北部スコットランド・グラスゴーの博物館は98年、米先住民の遺品を先住民代表らとの7年間にわたる話し合いの末に返還。同協会は「博物館レベルで個別に協議して柔軟に対応する必要がある」としている。【ロンドン矢野純一、パリ宮川裕章】
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 ◇返還要求のある主な文化財
 ■ロゼッタストーン
 ナポレオンがエジプトに遠征した1799年に発掘され、象形文字解読のきっかけとなった。大英博物館所蔵。碑文は紀元前196年の宗教会議の布告を書き写したもの。
 ■ネフェルティティ王妃の胸像
 1912年にドイツ人考古学者がエジプト中部で発掘。ベルリンの新博物館所蔵。ネフェルティティは紀元前14世紀半ばのアメンホテプ4世の王妃で、古代エジプトでクレオパトラと並ぶ美女とされる。
 ■ミロのビーナス
 パリのルーブル美術館にある古代ギリシャ彫刻の傑作。1820年にエーゲ海のミロス島で発見された。紀元前130年ごろ制作。ギリシャ政府がフランスに返還を求めている。
 ◇返還された文化財
 ■朝鮮王室儀軌
 李氏朝鮮時代の祭礼、主要行事の内容を絵画や文章で記録した書物の総称。日韓併合時代に日本に渡ったものを宮内庁が所蔵。2010年8月に当時の菅直人首相が併合100年に関する談話で引き渡しを表明。11年に実現した。
 ■銅造如来立像
 長崎県対馬市の海神神社で2012年に盗まれ、韓国に持ち込まれた国指定重要文化財。今年7月に日本側へ返還された。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150916ddm007030067000c.html


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台湾先住民の伝統行事、「重要民俗」指定で証書授与=文化相

2015-09-15 | 先住民族関連
中央社フォーカス台湾- 2015/09/14 16:33

文化部提供
(南投 14日 中央社)洪孟啓文化部長(文化相)は13日、今年3月に国の「重要民俗」に指定された台湾原住民(先住民)サオ族の伝統行事「祖霊祭」会場を訪れ、関係者に証書を授与した。
旧暦8月1日に当たるこの日は、サオ族の元日とされる。日月潭の湖畔にある南投県魚池郷伊達邵集落では新年を祝う多くの人でにぎわった。
原住民族委員会の統計ではサオ族の人口は752人。現地では1999年から伝統文化や言語、風俗などの保存と伝承に取り組んでいる。
陳正昇南投副県長は、重要民俗指定に感謝の言葉を述べ、サオ族文化の伝承に期待を示した。
(蕭博陽/編集:齊藤啓介)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201509140006.aspx

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