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マレーシアの気になるエンタメ事情、K-POP人気が続くワケ

2015-09-02 | 先住民族関連
日経トレンディネット-2015年09月02日
マレーシアのエンターテインメント業界はユニークで、人種、文化ごとにはっきりとカテゴライズされている。そんななか、ハリウッドと同様に、カテゴリーに関わらず若者の間でブームとなっているのがK-POP。そのファッションやライフスタイルも憧れの対象となり、20代の若者を中心に人気が広まっている。
【リポート】チージー(Cheesie)
ライフスタイルブロガー。日本人の夫とひとり息子の3人家族。美容、旅行、ファッションに関するトピックだけでなく、母親としての体験を公開するブログにはマレーシア国内にとどまらず世界各国から多くのファンがアクセスするトップインフルエンサー。2004年に開始したブログにはさまざまな製品に関する500以上のレビュー記事を投稿し、人気を博している。ブログ「cheeserland.com」(35万PV)、Instagram「@cheeserland」 (23万フォロワー)。大の親日家で、近年は大好きな日本のファッションや美容、旅行情報をブログで発信し続けている。いつも持ち歩いているものは、iPhone、カメラ、リップグロスなど。週末は息子、愛犬とともに公園を散歩して過ごす。「日本が大好き。日本人の信じられないほどの親切さ、おもてなしにはいつも驚かされます。今後も大好きな日本についてどんどん世界へ発信していきたいなと思います」
 みなさん、こんにちは。マレーシアのチージーです。今回はマレーシアのエンターテインメント事情について日本のみなさんに紹介したいと思います。
  所属する文化ごとにカテゴライズ
 マレーシアのエンターテインメント事情は、ほかの国と比べてとてもユニークです。マレーシアという国はマレー系、中華系、インド系など異なる人種が多く集まっている国。マレー系の歌手や俳優がマレー語で紹介するチャンネル、中華系の俳優が出演するチャイニーズドラマなど、人種によって好むカテゴリーがはっきりと分かれています。中華系の視聴者がマレー系のテレビプログラムを見ることはまれといったように、ほかの人種のカテゴリーのファンになることはあまりありません。
 ただ、共通言語である英語のチャンネルだけは全ての人から視聴されています。そのなかで有名なタレントというと、マレー系でいえばHannah Tanでしょう。華僑とケラビット族(マレーシア先住民族)のハーフで、モデルや女優、歌手だけでなく、英語番組の司会まで務めるマルチな才能の持ち主。そのゴージャスでセクシーな容姿が人気の理由です。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20150824/1066088/?rt=nocnt

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北米最高峰マッキンリー、「デナリ」に改称へ

2015-09-02 | 先住民族関連
毎日放送-:09/01 02:38
 アメリカ・アラスカ州にある北アメリカ大陸最高峰のマッキンリーの名前が、「デナリ」に変更されることになりました。 ホワイトハウスによりますと、オバマ大統領は31日、アラスカ州アンカレッジでアラスカの先住民の代表と会談し、連邦政府がマッキンリーを先住民が呼んでいた「デナリ」に正式に変更することを発表するということです。
 マッキンリーは標高6194メートルと北アメリカ大陸で最も高く、1896年に、のちに大統領となるウィリアム・マッキンリー氏にちなんで命名されました。
 しかし、先住民にはアサバスカ族の言葉で「偉大なるもの」を意味する「デナリ」と呼ばれてきたことから、改称を求める声が出ていました。
 マッキンリーは、国民栄誉賞を受賞した冒険家の植村直己氏が1984年に世界で初めて冬季単独登頂に成功しましたが、下山の際に遭難しています。(01日02:25)
http://www.mbs.jp/news/international/20150831/00000024.shtml

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温泉街、巨大エンマ大王に歓声 登別地獄まつり

2015-09-02 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 (2015年 9/1)

まつり会場を練り歩く大迫力のエンマ大王
 登別温泉で8月29、30両日、第52回登別地獄まつり(登別市、登別観光協会主催)が開かれ、6万5000人が巨大なエンマ大王のカラクリ山車をはじめ、鬼みこしの暴れ練り込み、鬼踊り大群舞など温泉地ならではのまつりを楽しんだ。中心部の極楽通りには地元事業者による18店舗の出店が並び、観光客も早くから続々と集結。温泉街のホテルや旅館はほぼ満室となり、アジア圏を中心とした外国人観光客も多数訪れ、まつりを満喫した。
 29日は前触れイベントとして、午後2時からエンマ大王の山車が10カ所のホテルや旅館を巡った。この山車は全長8・8メートル、幅4メートル、高さは5・5メートルという巨大なもの。4トントラックをベースに制作され、車両前方は巨大な赤鬼の顔、その上にいるエンマ大王は厄災を払うため立ち上がって鬼の顔に変身するカラクリ仕様で、巨大な山車の迫力に多くの観光客が歓声を上げた。
 午後6時から行われたオープニングセレモニーでは、第一滝本館前のステージで温泉を守る「湯鬼神」が舞い踊りを披露。主催者を代表して唐神昌子登別観光協会会長、小笠原春一登別市長がそれぞれアイヌ語でおもてなしを意味する「イランカラプテ」のあいさつを皮切りに盛会への期待を寄せた。
 パレードでは登別小学校のオニッコマーチングバンドを先頭に登別中学校の鬼みこしが続き、エンマ大王のカラクリ山車が登場。時折スモークを噴き出すなど迫力たっぷりの動きに怖がったり、泣き出す子どもたちもいた。
 メーンストリートでは同中学校による前触れ太鼓や、地元企業や温泉客も参加できる鬼踊り大群舞で会場内の雰囲気は最高潮。踊りの掛け声が温泉街を包み込み、沿道の観光客も浴衣姿で楽しんでいた。
 まつりは30日午後から和太鼓演奏などのプログラムが催され、午後9時すぎに地獄谷展望台で行われたフィナーレの「爆裂花火」が大歓声に包まれる中、幕を閉じた。
http://www.tomamin.co.jp/20150929605

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白老・マザーズたまごまつりで地場の食材人気

2015-09-02 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2015年9月1日(火)朝刊】
 白老町社台でたまごの里マザーズ白老店を運営するマザーズ(川上一弘社長)による恒例の「2015たまごまつり」が8月30日、同店駐車場で開かれ、卵や白老牛、虎杖浜たらこ、白老産シイタケ、地元産の野菜、前浜産毛ガニなど白老の「おいしいもの」が大集合、にぎわいを見せた。
 食材王国しらおい地産地消推進協議会が協力し、10余のテントが並び、白老牛のコーナーではステーキやみそホルモン、プレミアムバーガーなどが販売された。旬の野菜コーナーでは白老産のキャベツやナス、ナンバン、トマトなどが並んだ。
 鶏の鳴き声コンテストでは優勝者に卵100個が贈られた。このほか卵の早詰め、ポニーの乗馬体験、アイヌ民族博物館職員によるムックリ演奏、北海道栄高、白老中両吹奏楽部による演奏会といったイベントが行われ盛り上がりを見せた。ひよこと遊ぶコーナーでは子どもたちが「ピーピー」鳴くひよこと触れ合っていた。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2015/09/01/20150901m_08.html

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記者の目:知床 世界自然遺産登録10年=本間浩昭(北海道報道部根室)

2015-09-02 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2015年09月01日 東京朝刊
◇「文化」加え魅力アップを
 北海道の知床が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界自然遺産に登録されて10年を迎えた。北半球における流氷の南限で、海と陸とが一体化した生態系と、希少種を含む豊かな生物多様性が存在すると評価されている。
 この間、知床は遺産の価値を守るために、植生に深刻な影響を与えていたエゾシカの個体数調整に取り組み、ヒグマと観光客とのつきあい方を模索し、産卵するサケの遡上(そじょう)を妨げていた砂防ダムを改良するなど、ユネスコから求められた課題に一つ一つ対応してきた。一方で、「地球温暖化のセンサー」とも言われる流氷の衰退など難しい課題にも直面する。
 この10年で知床は何が変わったか。かつてはヒグマやエゾシカなど陸の野生動物が目当ての観光客が多かったが、登録後は観光船に乗ってシャチやマッコウクジラ、トドなど海生哺乳類を観察に訪れる人が増えた。陸に加え、海の魅力が格段に増した。
 だが、観光客は登録された2005年の約249万人がピーク。14年は約166万人にとどまるなど減少傾向にある。新たな魅力を発信し、リピーターを呼び込むことが大きな課題となっている。
 ◇謎の海洋民族が営んできた生活
 そこで私は、自然遺産に文化遺産を加えた「複合遺産」を目指すことを提案したい。
 知床に文化遺産というと、意外に思われるかもしれないが、国の文化審議会は今年3月、羅臼町の松法(まつのり)川北岸遺跡(7〜8世紀ごろ)から出土した炭化木製品など、オホーツク文化の出土品260点を国の重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。9月にも指定の見込みだ。
 炭化木製品は洗いおけのような器(長さ40・4センチ、幅30・6センチ、高さ16・7センチ)で、伏せて乾かす時はヒグマの頭部が、使う時はシャチの背びれが浮かび上がり、主役が交代する。「海と陸とのつながりが顕著」とのユネスコの評価を1300年前に先取りしたような器だ。ヒグマの口に当たる部分を注ぎ口にする斬新なデザインは芸術性と実用性を兼ね備え、発掘した同町前学芸員の涌坂(わくさか)周一さん(62)は「先史時代にこれほど写実的に動物を描いたものは他にない」と目を細める。
 涌坂さんは自然遺産登録の際、「知床には自然だけがあったのではなく、人々の暮らしも営々と続いてきた。それなのに自然だけを切り取って遺産というのもおかしい」と違和感を覚えたという。
 流氷の海で5〜10世紀、海獣狩猟を生業にしたオホーツク文化の全容は明らかではなく、その担い手は「謎の海洋民族」とも呼ばれる。学校の教科書では、日本文化は基層にあった縄文文化に西から弥生文化が入って形づくられたと教えられる。そこには北方からの文化の影響は少しも触れられていないが、縄文時代の前の後期旧石器時代以降、大陸由来の文化は北から繰り返し北海道に伝わってきた。彼らは直径10メートル前後もある竪穴(たてあな)住居に暮らしていた。土の中は意外と暖かく、地面を深く掘り下げて厳冬期も快適に暮らせた。数世帯が共同生活を営むことで結束が強まり、氷上での危険な猟を統率できたとも考えられている。
 川筋に暮らしの拠点を求めたアイヌ民族とは対照的に、海岸線に居を定めた。住居内にヒグマの頭骨を供えた祭壇があり、クマ送りの儀式「イオマンテ」をアイヌ民族に伝えたとされる。
 オホーツク文化の遺跡はサハリン南部から北海道北東部、そして千島列島へと、オホーツク海の南半分の海岸線に「V字」状に数十カ所点在する。知床は扇の要の部分に当たる。この文化は、やがて後のアイヌ文化につながる擦文(さつもん)文化に融合され、消える。知床は最後の牙城だった。
 ◇興味深い遺跡、秘めた潜在力
 作家の司馬遼太郎は「街道をゆく」で、遺跡が点在する沿岸400キロを「オホーツク街道」と名付けた。知床の近くには国史跡モヨロ貝塚(網走市)や、両手を合わせるラッコをかたどった彫像が出土した常呂川(ところがわ)河口遺跡(北見市)など興味深い遺跡が多い。
 知床世界自然遺産をめぐっては、NPO法人日露平和公園協会が、エリアを北方四島の北隣のウルップ島まで拡張する構想を08年に発表した。ラッコなど野生動物に国境はなく、流氷が育む海というたぐいまれな生態系が共通するからだ。そのエリアはオホーツク文化の遺跡の分布ともほぼ重なる。同協会理事長の午来昌(ごらいさかえ)・元斜里町長(78)も複合遺産構想に賛意を示す。
 知床は遺産を「進化させる潜在力」を秘めている。次の10年を視野に、新たな戦略を展開することで知床の魅力はさらに増すのではないか。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150901ddm005070005000c.html

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新国旗を検討中のニュージーランド、最終デザイン候補4作を発表

2015-09-02 | 先住民族関連
ねとらぼ- 2015年09月01日 18時14分 更新
1万292件の公募から40作まで絞り込まれていました。
 国旗のデザイン変更を検討しているニュージーランドが、デザインの候補を4作に絞ったと発表しました。
 1万292件の公募から40作に絞り込まれていた新国旗デザイン(関連記事)から、委員会による選考で4作まで絞り込みました。
 候補4作のうち3作でモチーフとしてデザインされているのが、ニュージーランドに自生するシダ「シルバー・ファーン」。もともと、黒地にシルバー・ファーンを白く切り抜いた「シルバー・ファーン・フラッグ」というロゴが、ニュージーランドの紋章やラグビーニュージーランド代表「オールブラックス」などに使用されており、ニュージーランドを象徴する植物として認知されています。
 唯一シルバー・ファーンがデザインされていない作品は、シダの新芽「コル」がモチーフに。ニュージーランドの先住民・マオリ族の言葉であるコルは、新しい生活、成長、強さ、平和を表しています。
 11月20日から12月11日にかけて国民投票を行い、候補4作の中から1作に絞り込み、来年3月の国民投票で新しいデザインと現在の国旗のどちらかが選ばれます。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/01/news148.html

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Twitter、ダイバーシティ推進で女性比率の増加を宣言

2015-09-02 | 先住民族関連
ITpro 2015/08/31
鈴木 英子=ニューズフロント (筆者執筆記事一覧)
 米Twitterは現地時間2015年8月28日、従業員の多様性(ダイバーシティ)に関する目標を発表した。来年には、全世界の従業員のうち女性の割合を、現在の34%から35%に引き上げる。技術系従業員における女性の比率は13%から16%に、管理職における女性の比率は22%から25%にすることを目指すとしている。
 米国での人種構成については、ヒスパニック系やアフリカ系米国人、先住民族などを含むマイノリティーの割合を、従業員全体の11%、技術系従業員では9%、管理職では6%にする。
 現在、Twitterの米国従業員は、全体の59%が白人、31%がアジア系で、約10%がマイノリティーとなっている。技術系従業員に限って見た場合でも、白人が56%、アジア系が37%、残りの約7%がマイノリティーと、同様の構成比を示している。管理職では白人(72%)とアジア系(28%)でほぼ100%を占める。
 Twitterのほか、米Facebook、米Google、米Appleなど様々な米IT企業が従業員の構成に関するデータを公開し、ダイバーシティ推進に取り組んでいる。例えば米Intelは、米国従業員における女性やマイノリティーの比率を2020年までに人口構成と同等にするとの目標を今年1月に発表した(関連記事)。一方で、Twitterの元エンジニアの女性は3月、同社が男性に有利な昇進プロセスを実行しているとして訴訟を起こしている(米SFGateの報道)。
[発表資料へ] https://blog.twitter.com/2015/we-re-committing-to-a-more-diverse-twitter
http://itpro.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/083102798/


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北米最高峰マッキンリー、「デナリ」に改称 先住民に敬意

2015-09-02 | 先住民族関連
CNN Japan-2015.08.31 Mon posted at 12:21 JST

アラスカ州アンカレジ(CNN) 米ホワイトハウスは31日までに、オバマ大統領のアラスカ州訪問に合わせ、米最高峰のマッキンリー山(6194メートル)を地元の先住民に敬意を表して「デナリ」に改称すると発表した。
オバマ大統領はアラスカ州を気候変動の中心地と位置付ける。滞在中は融解しつつある氷河のトレッキングなどを盛り込み、自身の目を通して地球温暖化に警鐘を鳴らしたい考え。現職の米大統領が北極圏を訪問するのは初めて。
マッキンリー山の改称は、アラスカ先住民の長年の要望だった。ウィリアム・マッキンリー元大統領にちなんで1896年にマッキンリー山と命名されたが、地元では以前から先住民アサバスカン族の言葉でデナリと呼ばれていた。
1980年に周辺の国立公園はデナリと改称されたものの、マッキンリー山の名は元大統領の地元だったオハイオ州の議員の反対が根強く、改称は実現していなかった。
ホワイトハウスによると、アラスカの先住民は気候変動の影響で、冬季の狩猟の中断や、魚類や野生生物の生息環境悪化、居住地への海水の浸食といった問題に見舞われている。オバマ大統領は31日に先住民の代表と会談し、こうした問題に対応するための政府の支援策について話し合う。
大統領はアンカレジで開かれる北極圏国の外相会議でも演説予定。同地域でロシアが軍事プレゼンスを強める中、北極圏情勢はオバマ政権の重要な外交課題として浮上している。
http://www.cnn.co.jp/usa/35069661.html

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北米最高峰マッキンリー「デナリ」に名称変更へ

2015-09-02 | 先住民族関連
NHK 8月31日 11時09分
アメリカ政府は、アラスカ州にある北アメリカ大陸最高峰のマッキンリーの名称を、先住民族が古くから呼んできた「デナリ」に変更することを明らかにしました。
アラスカ州にある標高6194メートルの北アメリカ大陸最高峰、マッキンリーの名称は、1896年、現地を探検していた男性が当時、共和党の大統領候補だったウィリアム・マッキンリー氏への支持を表明するために名付けました。
地元からは先住民族の古くからの呼称で「偉大なもの」といった意味がある「デナリ」に変更するべきだという意見が根強くあり、ホワイトハウスは30日、山の名称を「デナリ」に変更すると発表しました。この決定について、ホワイトハウスは「アラスカ先住民族にとってのデナリの神聖な地位を認めるものだ」としています。
オバマ大統領は31日、北極圏の首脳や政府高官らを招いた国際会議に出席するためアラスカを訪れる予定で、これに合わせ、地元の先住民族の代表らと会談し、名称変更を正式に発表することにしています。
この山については、世界的な冒険家の植村直己さんが1984年に消息を絶った場所としても知られています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150831/k10010210331000.html


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八重山地震(1771年)…伝承が示す台湾の津波被害 都司嘉宣 

2015-09-02 | 先住民族関連
産経ニュース-2015.8.31 09:30更新

 沖縄がまだ琉球王国だった明和8(1771)年3月10日の朝、八重山列島南方を震源に「八重山地震」が発生し、巨大津波が各島を襲った。揺れによる被害はほとんどなかったが、津波の被害は甚大だった。
 石垣島の南西部では、海岸線の集落の痕跡も残らないほどだった。仲与銘村は住民283人全員が流されて全滅。1574人が暮らして繁栄していた島南東部の白保では、住民の約98%が波にのまれ、生き残ったのは28人だけだった。
 島全体では、人口1万7千人の約半分に当たる8400人が死亡。この人口減少は後々まで影響し、津波前の人口を回復したのは、約140年後の大正時代になってからだった。
 後年の調査で、津波の高さは石垣島20~35メートル、西表島10メートル、宮古島10~18メートル、波照間島18・7メートルだったと推定されている。震源から北東に約400キロ離れた沖縄本島でも2~5メートルで、被害の大きさがよく分かる。
 それでは、震源の西側200キロ強の台湾はどうだったろうか。当然、東海岸は5メートルや10メートルの大津波に襲われたであろうことが容易に想像できる。
 台湾東岸に、清朝中国の支配が及んで記録が残り始めるのは19世紀後半以降のことだ。しかし、この地方には台湾の先住民族である阿美族が以前から暮らしており、居住地の一つの成功鎮に伝承が残っていた。
 それによると、成功鎮は先住民の阿美族、シラヤ族と中国人が混在して集落を作っていた。阿美族は清朝中国の始めのころから成功鎮に集落を作っていて、もとは「麻●漏(マラオロウ)」という名前の土地だった。
 これは阿美族の言葉で、「あたり一面、火で焼き尽くされたような土地」の意味なのだという。この場所には嘉永3(1850)年ごろ、大津波が襲ってきて草木がみな海水に漬かって枯れてしまった様子が、名称の由来だとされている。
 成功鎮は、明和八重山地震の震源域を真正面に臨む位置にある。ということは、この伝承が示している津波は、八重山列島に大きな被害をもたらした明和8年の八重山地震によるものと考えるのが自然だ。ただ、年代には矛盾がある。伝承では津波の時期を嘉永3年ごろとしているのだ。私は、伝承が人から人へと伝わる間に、言い間違えられたものと考える。
 もし嘉永3年ごろなら、日本の植民地時代(明治28~昭和20年)に、実体験した多数の生存者がいたはずだ。だが、そういった証言の記録はない。明和8年の津波と考えるべきだろう。(つじ・よしのぶ 建築研究所特別客員研究員=歴史地震・津波学)
●=くさかんむりに老
http://www.sankei.com/affairs/news/150831/afr1508310003-n1.html

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世界で最も危険な町:絵筆を武器に立ち上がる、ストリートアーティストたち

2015-09-02 | 先住民族関連
グローバル・ボイス日本語 (ブログ)-2015/08/30 1:52 GMT翻訳掲載

ホンジュラスのサン・ペドロ・スーラで活動中のストリートアーティスト、レイ・ブリンキー。写真提供:ナサニエル・ジャノウィッツ。PRIの許可取得済み。
この記事とラジオ放送音声は、当初スザンナ・ロバーソンにより「ザ・ワールド」向けに制作され、2015年6月26日にPRI.orgのサイト上で公開されたものです。コンテンツ共有の合意のもとにグローバル・ボイスに転載しています。
有刺鉄線の柵、さびれた通り、銃を持った警備員。まるで暗い悲惨な映画の1シーンのように聞こえるが、そうではない。これはホンジュラスのサン・ペドロ・スーラという、4年連続で世界一治安の悪い都市として選ばれた場所だ。
サン・ペドロ・スーラでは最近、今までよりずっと明るいイメージのキャッチフレーズをつける試みがなされている。「わき上がるアートシーンの本場」という名だ。そこで、ストリートアーティストたちが大活躍している。彼らの描く明るく色鮮やかな壁画が、町の至るところで見られるのだ。
ジャーナリストのナサニエル・ジャノウィッツは、ストリートアーティストのレイ・ブリンキーのことを、町で大人気となっている芸術運動の「先駆け」と呼ぶ。ブリンキーはアーティストとして初めて、あえて危険を冒し、ほとんど人のいないさびれた通りに絵を描いた人物だ。この町が廃墟のように感じられるのは、ギャングによるところが大きい。ジャノウィッツは言う。「いつギャング同士の銃撃戦が起こるかわからない。だから、通りを歩いているだけで銃弾に当たることだってある」
ギャングは通りを支配していただけではない。壁に描かれた絵にもギャング色が強かった。ブリンキーは、ジャノウィッツの言う「先住民族調ポップアート」の才能を活かした独特なスタイルで、この状況をすっかり変えてみせた。彼の作品は大胆で、色鮮やかで、彼の作品だとすぐに分かるものだ。ジャノウィッツは言う。「彼の作品の横を通るだけで、すぐにレイ・ブリンキーのものだと分かる。そのくらい独特なアーティストの一人だ。彼みたいな人物は他にいない」
ブリンキーは、さらに多くのアーティストに参加してもらうために準備を続けてきた。「活動は大きくなっていっている。町には実際、アートの世界が開花している」とジャノウィッツは言う。ストリートアートで有名になっているアーティストは、他にもたくさんいる。バリュックは壁画でホンジュラスの女性への敬意を表し、カルロス・バディアはミクストメディアの作品を作り上げている。
ジャノウィッツは言う。「サン・ペドロ・スーラの住民は、町にギャングがいることは非常に深刻な問題だと気づいているようだし、このままおびえて暮らすわけにいかないこともわかっているようだ。住民は自ら通りへ出て、平和的な方法で町を元通りにしなければならない。銃を手にして通りに出たくない人や、その手段を持たない人であっても、絵筆を持って通りに出るだろう」
ストリートアーティストたちは、サン・ペドロ・スーラの若者とつながりを持ちたいと願っている。しかし多くの若者が、荒れ果てた町に残らず、逃げることを選んでいる。「今、町にはたくさんの子供たちがいるが、みんなギャングに加わるか逃げるしかないと思っているようだ」とジャノウィッツは言う。ブリンキーと彼のアーティスト仲間は若者たちに、平和に暮らすというもう一つの道を与えようと努力している。ジャノウィッツが言うには、アーティストたちの大きな目標の一つは、子供たちに働きかけて通りへ連れ出し、アートを教えることだという。
ブリンキーは彼のアートを、ホンジュラス以外にも広めようとしている。ブリンキーとその仲間たちのおかげで、サン・ペドロ・スーラから何か良いものが生まれるかもしれないとジャノウィッツは語る。彼はブリンキーが成功するとの確信を持っている。ブリンキーの作品は特別だと言うのだ。その理由はこうだ。「彼の作品は、通りにある壁でも見られるし、ルーヴル美術館でも見られるようになるだろう。彼はそれぐらい偉大なアーティストだ」
校正:Maki Ikawa
http://jp.globalvoicesonline.org/2015/08/30/37763/

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