goo blog サービス終了のお知らせ 

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

道東自転車の旅、最優秀賞 北見の専門学校1年宇野さん考案 HACのプランコンテスト

2019-10-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/23 05:00
 北海道エアシステム(HAC)が若者を対象に行った旅行プラン発案プロジェクト「HAC 若者の翼」で、北見市の北見情報ビジネス専門学校1年宇野利哉さん(19)が最優秀賞に輝いた。宇野さんは「このために頑張ってきたのでとてもうれしい」と喜んでいる。
 同プロジェクトは、旅を通じて若者に北海道の魅力を再認識してもらうことを目的とした企画で、今年で2回目。道内の高校生、専門学校生、大学生から2泊3日のプランを募り、246人の応募作から宇野さんを含む5人が優秀賞に選ばれた。5人は自ら考案した旅行プランを実行し、まとめたリポートの出来栄えで最優秀賞を競った。
 宇野さんの旅は、北見市や網走市、釧路市阿寒町のアイヌ文化施設などを自転車で巡る内容で、宇野さんは8月5~7日で計220キロを走破した。リポートには走った経路をまとめた地図や訪れた施設の写真をふんだんに使用。「目を引くようにレイアウトにこだわった」という。
 今月10日、同社の大堀哲社長が同校を訪れ、宇野さんに表彰状を手渡した。大堀社長は「実に若者らしい爽やかな旅で、審査員の満場一致で最優秀賞だった」と称賛。宇野さんは「リポート作成は同級生や先生にたくさん手伝ってもらい、みんながいたから完成できた」と笑顔を見せた。(本田みなみ)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/357085

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウポポイ 準備急ピッチ 開業まで半年 プログラム充実/高め入場料 集客懸念

2019-10-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/22 10:01
 【白老】国が胆振管内白老町のポロト湖畔で整備を進めるアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」の来年4月24日の開業まで残り半年となった。施設で鑑賞・体験できるプログラムの大枠が決まり、関係機関によるPRも本格化している。ただ、大人1200円という高めの入場料に加え、集客の要となるホテルなど周辺施設の開発は足踏みし、地元では政府が掲げる「年間来場者100万人」の目標達成を危ぶむ声が強まっている。
 ウポポイの運営主体となるアイヌ民族文化財団(札幌)によると、プログラム(一部有料)は舞踊鑑賞と工芸品などの制作体験、アイヌ料理の試食、自然とアイヌ民族の関わりなどを学ぶガイドツアーが柱となる。単に文化に触れるだけでなく、背景にあるアイヌ民族の精神性や暮らしの変遷など多面的に感じてもらう内容を目指している。
 目玉の舞踊プログラムは、1日数回の公演を予定する。踊り手たちが昔のアイヌ民族特有の発声法を再現したり、道内各地の伝承保存会の協力を得て、各回でそれぞれ特色のある地域の踊りを披露したりすることを検討中だ。踊りと生活の関わりについても公演の中で解説する。入り口付近のレストランとフードコートでは、アイヌ民族の伝統的なオハウ(汁物)やシト(団子)などを提供する。
■大人1200円
 財団が9月に発表した入場料は大人1200円、高校生600円、中学生以下無料で、中核施設の国立博物館と、舞踊ホールなどを備えた民族共生公園の両方に入場できる。
 ウポポイ整備に伴い昨年年3月に閉館した旧アイヌ民族博物館は白老町民が無料で、町外からの来場者は大人800円、高校生600円、中学生500円、小学生350円だった。ウポポイはアイヌ民族への理解を促す教育施設としての役割を踏まえ、小中学生を無料にした。
 ただ、大人の入場料は全国各地の国立博物館などと比べ1・5倍から3倍近い高さだ。財団は「料金に見合った良質なプログラムを提供したい。無料の体験プログラムもある」とPRするが、広く観光客を呼び込めるか微妙な料金設定だ。
 町内の主婦鈴木路子さん(70)は「旧博物館時代は道外の親戚が来たときに連れて行っていたが、ウポポイでは難しくなる。本気で来場者100万人を目指すなら値付けを見直すべきだ」と指摘し、会社員の男性(47)も「妻と高校生の息子と3人で3千円。遊園地ならまだしも博物館にその値段を払って行く家族は少ないのでは」と話す。
 ポロト湖畔はもともと町民の憩いの場で、旧博物館は地元のアイヌ文化の伝承拠点として町民は無料だった経緯もあり、町と白老アイヌ協会はウポポイも町民向けに入場料を減免するよう国に要望してきた。全国的には地元向けの減免措置を講じる国立博物館はないが、那覇市の首里城公園は2回分の入場料で購入できる年間パスポートを販売し、今年に入って試行的に70歳以上の県民に限って入場料を無料にしている。
 財団はウポポイの役割を踏まえ、アイヌ民族向けの入場料の減免措置を課題に挙げる一方、町民向けの減免は「他施設の事例などを踏まえ、可能か検討する」と留保している。
■ホテル建設遅れ
 ホテルや商業施設の開発は足踏み状態だ。星野リゾート(長野県軽井沢町)がポロト湖畔で計画する温泉ホテルは、建築資材の高騰や設計の見直しを理由に今夏に予定していた着工が来年3月に延期され、開業予定も1年余り先送りされて2021年7月となった。
 さらに深刻なのは町がウポポイとJR白老駅の間で計画する1・5ヘクタールの観光商業ゾーンだ。町は1・0ヘクタールでインフォメーションセンターや駐車場を整備しているが、2月から民間事業者を誘致してきた残る0・5ヘクタールでは、札幌の不動産投資会社が9月末、資金が調達できないとしてホテルの建設計画を撤回。その他の参入事業者もない。駅とウポポイの間は閑散としかねず、町商工会の熊谷威二会長は「ウポポイの経済効果を地元に波及させる見通しが立たない」と懸念する。
 町は参入する民間事業者に水道管など基幹施設は自ら敷設することなど一定の条件を課しているが、戸田安彦町長は「条件を緩和して事業者に来てもらう環境づくりを進める」と対応を急ぐ。ただ「本当に100万人来るのかという疑問が根強く、様子見する業者が多い」(町内の観光業者)と冷ややかな見方もあり、開発の行方は不透明だ。(斉藤千絵、金子文太郎)
<ことば>民族共生象徴空間 道内初の国立博物館となる「国立アイヌ民族博物館」、古式舞踊を披露するホールや伝統的なコタン(集落)が再現される「国立民族共生公園」、各大学などが保管するアイヌ民族の遺骨を納める「慰霊施設」からなる。総工費は約200億円。ウポポイは愛称。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/356969

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ民族が阿寒湖案内 ガイドツアー実施へ来月養成講座 文化や歴史 観光客に紹介

2019-10-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/22 05:00
 【阿寒湖温泉】阿寒観光協会まちづくり推進機構(釧路市阿寒町)はアイヌ民族自らが案内役を務めるガイドツアーの実施に向け、ガイドの養成講座を11月に開く。旅行会社や学校の依頼でアイヌ民族が観光バスの車内などで話をすることはあったが、ガイドツアーとして本格的に商品化を目指すのは初めて。ガイドの手法や内容を学んでもらい、来年春の実施を目指す。
 ガイドツアーは阿寒湖温泉で進めているアドベンチャーツーリズム(AT)の体験メニューの一つとしての位置付けられている。阿寒湖畔在住のアイヌ民族が案内役を務め、アイヌ民族と阿寒の自然との関わりなど紹介する中で、アイヌ民族の文化や歴史、自然を敬う心などを観光客に学んでもらう。
 機構は昨年、阿寒アイヌ工芸協同組合に委託してツアーの内容を検討し、阿寒湖畔のボッケ遊歩道や前田記念館を巡る「ボッケ遊歩道散策編」と、アイヌ生活記念館ポンチセや阿寒湖アイヌシアターイコロを回る「アイヌコタンと暮らし編」の2コースを設定した。
 11月の養成講座ではコースの案内手順や内容をまとめた参考書をもとに、参加者の興味を引きつけながら歴史や自然を伝える「インタープリテーション」の手法を専門家から学ぶ。コタンの住民のうち、5人前後がガイド役に興味を示しているという。
 商品化に向けた販路の整備やツアーのPRには、国のアイヌ政策推進交付金を活用する。阿寒アイヌ協会の広野洋会長は「アイヌ民族を正しく知ってもらい、ガイド業務が収入基盤として確立できれば」と期待する。(光嶋るい)
★イコロのロは小文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/356874

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新旧シャクシャイン像2団体が法要祭 「関係修復を」地元困惑 協議進む気配なし 新ひだか

2019-10-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/22 05:00

取り壊されたシャクシャイン像の前で法要祭を営む静内アイヌ協会などの関係者=20日、新ひだか町静内真歌
 【新ひだか】アイヌ民族の英雄、シャクシャインの新旧の像を巡り、町内のアイヌ民族団体の間でぎくしゃくが続いている。町静内真歌の新像前で9月開催の法要祭に続き、10月20日には旧像前で別の団体が法要祭を行った。今年はシャクシャイン没後350年の節目だが、それぞれがあがめる像で折り合いの付かない異例の事態。関係者からは「まちの印象が悪くなる。関係を修復して」と戸惑いの声が漏れる。
 町静内真歌の真歌公園。昨年9月に旧シャクシャイン像が取り壊された台座近くで20日、法要祭が営まれた。新像が建立された場所から約100メートル離れた地点にある。主催したのは静内アイヌ協会。新ひだかアイヌ協会を脱退した町内在住の葛野次雄さん(65)が9月に立ち上げた。道議や町議ら関係者約50人が出席。酒や魚、果物などが供えられ、カムイノミ(神への祈り)とイチャルパ(先祖供養)が約2時間続いた。
 旧像は、所有する町が老朽化を理由に取り壊し、新ひだかアイヌ協会が昨年9月、穏やかな表情の新像を建立した。一方、アイヌ民族ら有志でつくる任意団体のシャクシャイン顕彰会は、慣れ親しんだ旧像の再建を掲げ、町に土地の使用許可を求めているが、周辺は国指定の史跡内で、協議は進んでいない。
 葛野氏が旧像前での慰霊にこだわったのは、顕彰会とともに像の再建を目指しているためだ。新ひだかアイヌ協会と静内アイヌ協会の代表者同士の感情的なしこりもあり、どちらの像に一本化するかなどの協議が進む気配は全くない。
 20日の法要祭では、来賓の関係者からも事態の行方を憂慮する声が出た。金岩武吉道議(75)は「(亡くなった)先代らは協力して法要祭を執り行ったのに。何とか次世代に良い形でつなげてほしい」。白老アイヌ協会の山丸和幸理事長(71)も「町内にアイヌ民族の協会が二つも三つもある今の状況はどうなのか。早く正常な状態に戻ってほしい」と苦渋の表情を浮かべた。(升田一憲)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/356799

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪メトロの歴史を学ぶなら奈良にGO! なぜ隣県で“大阪の鉄道”の歩みを紹介してるの?

2019-10-23 | アイヌ民族関連
まいどなニュース 10/22(火) 15:30配信
 大阪メトロ(OsakaMetro/大阪市高速電気軌道株式会社)の開業から約1年。前身となる大阪市営交通局の歩みをたどる企画展「大阪市営交通114年の軌跡」が、大阪ではなく、お隣の奈良県にある「天理大学附属 天理参考館」(天理市守目堂町250)で開催されている。それにしても…大阪の鉄道に関する企画展が、なぜ奈良の博物館で開催されているのだろうか?
 実は天理参考館は、国内外の旅や交通に関する資料を多数収集、専門の学芸員が在籍して整理・研究をしている。特に日本の鉄道開業期の貴重な乗車券などが揃っており、これまでも鉄道に関する数々の企画展が開催されてきた。
 今回取り上げられた大阪メトロは、大都市の公営交通として初めて「完全民営化」されたが、皮肉なことにその歴史は「市営主義」を掲げて計画的な都市整備を推進した大阪市電気局(のちの大阪市営交通局)に始まる。企画展では、日本初の公営路面電車としてスタートした大阪市電の切符や絵葉書、路線案内図、鉄道部品などを展示。ほかにもHOゲージ等の模型による各種路線や、かつての町並みをジオラマで再現している。
 市民の足としてだけではなく、大阪の街を形づくったといえる市営交通が与えた影響と意義についての紹介。大大阪と呼ばれた大阪の黄金時代を象徴する御堂筋線心斎橋駅の改修案が浮上する今、今後の大阪メトロのあり方を考えるきっかけにもなりそうだ。12月2日までの期間中には、専門家による講演会や市営地下鉄OBによるミニトークのほか、鉄道模型走行実演や記念硬券キップの配布など、さまざまなイベントが行われる。
 ところで、天理参考館は、天理市の名前の由来にもなった「天理教」の海外布教を目的に、天理外国語学校(のちの天理大学)の「海外事情参考品室」として1930年創設された。「海外布教のためには、その土地で使われているものや考え方を知る必要がある」という方針のもと集められた膨大なコレクションは、世界の生活文化と考古美術資料をあわせて約30万点。1階から3階まである展示室には、アイヌをはじめ世界の先住民族の貴重な資料、縄文土器や中国の青銅器、エジプトのミイラの仮面、冒頭の交通資料など日本の資料も合わせて約3,000点が常設されている。
 パプアニューギニアの森の中で実際に使われていた仮面群など、国立民族学博物館にも劣らないようなド迫力のコレクションもずらり、フラッシュを使わなければ撮影も自由、大人400円の入館料でたっぷり楽しめる。一般に公開されている学術機関なので、もちろん天理教への勧誘などは一切ない。
 JR・近鉄天理駅から天理参考館までのレトロな商店街には、天理教関係のグッズや書籍を売るお店も多く、奈良町と雰囲気の異なるまち歩きを楽しめる。一足のばせば石上神宮や「山の辺の道」など古代史エリアもある。鉄成分が高めの人も、そうでない人も、今年は天理エリアでひと味違った文化の秋を満喫してみてはいかがだろうか。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191022-11001381-maidonans-life

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JR花咲線100周年記念 旧標津線を巡るツアーに24人参加

2019-10-23 | アイヌ民族関連
毎日新聞 10/22(火) 11:21配信
 北海道のJR花咲線の厚岸―厚床間が11月で開業100周年を迎えるのに先立ち、「花咲線絶景と開業100周年駅と旧標津線を巡るツアー」(花咲線を盛り上げる会主催)が行われた。日本最東端の鉄路で知られる花咲線に乗って車窓の風景を楽しみ、地域の開拓を支えた旧標津線沿線の魅力を味わうツアーで、12日に実施され、釧路や根室などから24人が参加した。
 1989年に廃線となった旧標津線の終点の名残をとどめる「標津転車台」では、地元の保存会が蒸気機関車を転車台まで移動し、標津線が地域を支えていた当時の情景を再現。第二次世界大戦の日本敗戦で、色丹島から引き揚げてきた千島アイヌが移住後に心の支えとしていた「上武佐ハリストス教会」では、信者の男性から一般的な十字架とは形が異なる十字架の意味などの説明を受けた。
 岡山市から参加した会社員、畠瀬容子さんは「開拓当時の情景をひしひしと感じ、昔の人はすごいなと思いました」と往時をしのんでいた。【本間浩昭】
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191022-00000021-mai-soci

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌ文化 興味津々 「集い」で儀式や舞踊【帯広】

2019-10-23 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞2019.10.21
集いでは、伝統儀式のカムイノミなどが披露された
 第10回アイヌ文化にふれあう集いとアイヌ生活文化展が20日、帯広市生活館(ふくろうの館)で開かれた。アイヌの伝統儀式である「カムイノミ」などを間近で見られるイベントに市民ら約230人が来場した。
 帯広アイヌ協会が主催。生活文化展は帯広市と同協会、とかちエテケカンパの会、帯広カムイトウウポポ保存会で構成する実行委員会が企画した。昨年の来場者は170人程度だったが、「アニメや漫画などの効果もあって、訪れる人が増えている」(市保健福祉部の今智幸さん)という。
 この日はカムイノミのほか、アイヌの古式舞踊、伝統楽器であるムックリの演奏などが披露され、アイヌ文様の刺しゅうを体験するコーナーにも多くの人が集まった。エテケカンパの会との国際交流で来勝していた台湾の先住民族ブヌン族の青年合唱団もゲスト出演し、歌声を披露した。
 祖母、母親と遊びに来た女子児童(8)=開西小2年=は「歌と踊りがきれいだった」とにっこり。アイヌ文様を作る切り絵に夢中になっていた。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/14210

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイヌの人々との10年!! 無知(純粋さ)という名の狂気でコミュニティーへ。ー池田宏『AINU』ー

2019-10-23 | アイヌ民族関連
VICE 21 October 2019, 4:00pm by Yuichi Abiko

アイヌには和人から差別を受けてきた歴史がある。そんな社会に和人として入り込むのは、想像を絶する難しさがあるはずだ。ただ、池田宏は、無知のまま飛び込み、その純粋さという名の狂気によって、和人でありながら、アイヌとの壁を強引とも思えるような勢いでこじ開け、仲良くなってしまう。10年以上かけてまとめあげた写真集『AINU』には、池田宏の目を通したアイヌの人々の今がおさめられている。
池田宏の写真集『AINU』を手にし、ページをめくると、やはりというか、目を背けたくなる気持ちにさせられた。寄りの写真が多く、しかも人物を真っ正面に捉えたポートレートが中心。あまりにも堂々と純粋に迫ってくる力強い写真の連続。アイヌについて、差別があることは、ぼんやりとは知っていたものの、ほぼ、まともに考えたことも触れたこともない自分を戒めるだけの充分すぎるパワーが写真から伝わってくる。
無知/無関心は、差別を産み出し、解決できないひとつの原因でもあるだろう。
池田宏も、アイヌについて無知のまま進入し、悪気がなくとも、知らず知らず傷つけたり、結果として差別だと感じられたこともあったかもしれない。それでも、怒られ、しがみつき、コミュニティーに受け入れられていく。その痕跡によって得た考え方によって、写真表現も、恐ろしく変化していく。
池田宏がアイヌを求め北海道に通い出した2008年から、今年写真集を出版するまでの11年間について話を聞いた。
改めて、アイヌの人々を撮ろうと思ったきっかけを教えてください。
当時、スタジオマンとして働いていたときに、休みをとって台湾に撮影にいったんですけど、結果として、何も撮れてなかったんです。言語ができないからコミュニケーションがとれなくて、こっちの思い込みで撮ってるだけで「ひとを撮れてねえな」ってはじめて気づいたんです。それならばと、国内で、なおかつ自分が見たことのない、全く知らない世界を撮りたくて、それでアイヌにいきつきました。
では、台湾から帰国後、アイヌの人々を撮影するまでに、どのようなテーマの物事を撮っていたのですか?
例えば、新大久保の外国人を撮っていた時期もあります。でも「なんか違う」みたいな感じで、続けられなくて。
言語は通じますよね?他に満足できない理由があったのですか?
大した苦労をしなくても撮影はできるんですけど、結局、表面的なものしか撮れない、みたいな感じになっちゃって。ちょっと物珍しさで撮ってるだけっていうか。
台湾で撮影した写真と大差がなかったんですね。
そうですね。そっから、もう少し考えるようになり、大学のころに興味があった民族を掘ってみようと。日本には、どういう民族や文化があるのか調べ始めたら、アイヌを思い出して。
アイヌを撮影しにいったときは、アイヌに対しての知識は、どのくらいあったんですか?
ほぼ、なかったですね。
アイヌの人々が、差別されてきた歴史があるのは知ってたんですか?
それも知らなかったです。北海道に先住している民族ってことしかわかってなかったです。
それで、いきなり写真を撮りにいったんですね(笑)。
高校のときに、修学旅行で白老(しらおい)のアイヌ民族博物館にいったので、そこにいけば撮れるだろうと思ったんです。夜行バスで向かう直前に友達に「北海道にアイヌのひとを撮影しにいくわ」ってメールしたら「二風谷(にぶたに)に山道康子さんというアイヌのひとがいるから、訪ねてみたら?」って返事がきて。急遽、二風谷にいきました。
なるほど。では、二風谷に着いてから山道さんやアイヌのひとを、どのように探したのですか?
チセっていうアイヌの伝統家屋が何個かあって、そこにいけば、アイヌのひとに出会えるだろうと。今考えると完全に僕が悪いんですけど、そこで働いている女のひとに話しかけられて、一言二言会話をして、それで「純粋なアイヌのひとっているんですか?」みたいなことを僕が聞いたら、すごい嫌そうな顔をされて、突然、観光客を受け入れるムードじゃなくなったんです。
そうなることもあるでしょうね(笑)。
そもそも、アイヌのひとのイメージすらなかったわけですよ。高校の修学旅行で、シヌイェっていう刺青をしたひとだったか、でかい肖像画みたいな写真があったのは覚えてたんです。明らかに異質だっていう記憶だけはあったんですけど、アイヌのひとの顔の特徴すら、わかってなかったです。
じゃあ、刺青を入れてるひとが、純粋なアイヌだと思ってたんですか?
さすがにそこまで思ってませんが、昔ながらの暮らしをしている集落があるのでは、と勝手な先入観はありました。それくらい無知だったんです。その会話の返答で言われたのが「じゃあ、純粋な日本人って、なんですか?」って。
ネイティブアメリカンとかアボリジニを想像していたんですね。
それに近かったかもしれません。
では、1回目の撮影では、山道さんには辿り着けなかったのですか?
その後、山道さんを探してたら、旅人っぽいひとが、何をするでもなくブラブラいて、話しかけたら、山道さんのところに泊まってたひとで連れていってもらったんです。それで、怒られた数時間後ですが、山道さんにも同じ質問をするわけです。「純粋なアイヌのひとっていますか?」と。そしたら「私がそうですよ」って言われて。
懲りないですね(笑)。山道さんとは、他にどのような会話をするのですか。
自分の目的を伝えると、アイヌの昔話や、カムイ(神様)、宗教観、現代にいたるアイヌの歴史的な背景を丁寧に教えてくれました。
しかし、いきなり、ずいぶん踏み込んだ質問をしましたね(笑)。
無知だった僕を、ここまで受け入れてくれてありがたかったです。山道さんは、家にいったら「とりあえず腹減ってるだろうから飯食え」みたいな、つくったものがテーブルに置いてあって、宿泊しているひとが各々勝手に晩御飯を食べれるようになってるんです。「とりあえず、腹一杯になれば、イライラせんから」みたいなことを言う肝っ玉母ちゃんなんです。
では、山道さんのところには、多くの旅人が集まっていたんですね。
ナチュラル思考の強いひとたちが多く来ていた印象です。都会の生活に疲れて、ちょっと心を病んでしまったひとや、何年もそこで暮らして仕事をしているひともいました。山道さんが毎年夏におこなっている〈アイヌモシリ一万年祭〉というお祭りがあるんですけど、「1万年前は平和な時代があった」みたいなコンセプトで、それがフェス化してるんです。そのお祭りには、全国各地からいろんな人が集まってくるようです。
山道さんと出会ったときは、どのくらい滞在したんですか?
そのときは山道さんのところのチセに1泊させてもらって帰りました。
写真は撮れたんですか?
撮れました。上の写真がそうなのですが、彼女は撮られ慣れてるっていうのもあったんですけど、こっちもひとを撮る経験が少なかったので、撮りたいっていう目的に対して、初めて受け入れてもらえたっていう関係性みたいなものができて。だから、思い出に残ってますね。
山道さん以外も撮ったんですよね?
時間がなさすぎて、撮れなかったです。
では、東京に戻って、再びアイヌを撮りたいと思ったのは、山道さんを撮った写真が大きかったのですね。
そうですね。また、1日のうちに、拒絶するひともいれば、受け入れてくれるひともいる、という両極端な体験をしたので、東京に戻ってからも、そのことがずっと気になっていたんです。それで、もう1回いってみたんです。
では、2回目はどこにいったんですか?
1度受け入れてくれ、居場所ができたと思ったんで、同じ場所にいきます。当時mixiで、山道さんがチセを自分たちで建て替えようとしていて、その手伝いを募集してたんです。それをみて、他のアイヌのひとたちとも出会えるだろうと期待していきました。実際、アイヌのひとが敷地の奥の方に住んでいたから、チセの建て替えを手伝いながら、その人の写真を撮りました。
1年に1回の撮影で、1、2枚しか撮れないわけですよね。焦りはなかったんですか?
まだ、なかったですね。コミュニティーに溶け込もうって意識でいったのが2回目です。
3回目は?
3回目はもっと広げたかったんですが、何人かしか広がらなかったんですよね。3人紹介してもらったんですが、全員の写真を撮ったわけではないです。
池田さんのなかに芽生えたアイヌのイメージと違ったからですか?
そういうところもあったのかもしれません。だから、最初は、もっと凝り固まった絵になりやすいアイヌのひとを追いかけていたんです。
4回目は?
2011年なんですが、東京の八重洲にアイヌの交流センターがあって、そこで「この新聞で取材されているひとに会いたいんです」と手紙と連絡先を置いて帰ったら、すぐ連絡がきて会いにいったんです。神奈川に住んでいるアイヌの女性だったんですが、その翌月に札幌でイベントがあり、そのあと静内(しずない)に里帰りもするからってことで、一緒についていくことになったんです。
札幌では、どのようなひとと知り合うのですか?
はじめていろんな地域のアイヌのひとに出会えました。それで札幌でのイベントが終わったあとに、その女性の里帰りに同行させてもらい静内にいったんです。そこで地元のひとたちが先祖供養の儀式をやってて。
写真は当然撮れたんですよね?
いや撮れてないです。
なんで撮れなかったんですか?
最初はカメラマンっていう感じでしか見られないじゃないですか。例えば新聞記者が出入りするのは、よくある話だと思うんですけど、東京のカメラマンが、わざわざ来るってなったら「何者だべ、あいつ」って感じになるんですよね。そんなに簡単に受け入れてくれないって、すごく感じますから。仮に、写真を撮らせてもらったとしても「何に使うんだ」ってなって、写真集にまとめたいって気持ちはあっても、その時点では出せるかわからないし、ウヤムヤにするしかない。だから、最初は撮れなかったですね。
なるほど。5回目は?
その年の秋に、もう1回、神奈川のアイヌの女性と一緒に大きな催事にいきました。〈シャクシャイン法要祭〉っていう静内でやってる催事で、それは北海道の各地域のアイヌのひとたちが集まって、踊りを披露したり供養するっていう儀式が1日あるんです。そこにいったときに、自分と年の近い連中と一気に出会うんです。それで連絡先を聞いて、仲良くなっていったんです。
ようやく光が見えてきた感じですね。
その催事で、釧路でスナックをやってるひとを紹介してもらって、そのときはもう出会いが欲しくて仕方がなかったんで「遊びにおいで」って言われたら全部いってたわけです。釧路に遊びにいき、お店でちょっと飲んで、そこの娘さんが「来月は、別の場所で儀式があるから」と誘ってくれて、そしたらもう無理してでもいくしかない。
ペースが早くなってきましたね。
実際に上手くいってる感覚だったんです。それで次いった場所が、釧路の隣町の白糠(しらぬか)の〈ししゃも祭〉です。そこで、また怒られました。
上手くいってたから調子に乗ってしまったんですか?
そうなんです。知ってるひとがいると思ってるんで、おそらく客人扱いされるだろうと勝手な思い込みでいくじゃないですか。お土産と、静内の〈シャクシャイン法要祭〉で撮影させていただいた白糠のひとを撮った写真も持って会場にいって、「東京から来たカメラマンが、今回来てるよ」みたいに受け入れられたんです。前夜祭から入って、その日の夜は、スナックにいって飲みながらカラオケしてるところを写真に撮って帰ったら、カラオケにはいかず、残ってたおばちゃんから、どん叱られたんすよ。「お前会長にも挨拶してねーべや」みたいな。
またまた、やっちゃいましたね(笑)。
挨拶したつもりだったんですけど、厳しく注意をされて。実は会長が2人いたんです。片方は踊りの、もう片方は地域の会長。それで踊りの会長は僕を誘ってくれたひとで、もう片方の会長はスーツ着てたから、役場のひとかなと思ってて。紹介もされかったから、大丈夫でしょって。今だったら、とにかく全員に挨拶を必ずするんですけどね。それが、わけのわかんないヤツが、飯だけタダ食いしやがってってなっちゃって、一気に酔いが冷めて。
その噂が広まるんですか?
ダメなヤツの印象になってしまったと思います。
でもカラオケにいった人々とは仲が良いんですよね?
仲は良いですけど、そのときはまだ、助け舟を出してくれるほどの関係ではなかったので。翌日に会長に改めて挨拶にいって、平謝りして、一通りまわったんですけど、取り返しのつかないことになったひともいます。今はもう仲良くなったんですけどね。
難しい問題ですよね。これは、和人がアイヌを差別してきた歴史がそうさせるのか、土地柄によるものなのか、はたまた池田さんが悪いのか(笑)、ぶっちゃけ、わかりきれない部分はありますよね。
他と比較したわけではないので、断言はできないですけど、差別の歴史があったっていうのも多分に影響していると思います。例えば、話したこともないアイヌのひとが、僕をよく思ってない、とか聞いたことがあります。要するに、アイヌのコミュニティーには、人間関係も含めて、自分じゃわからない複雑なことがあるっていうのが、このあたりで、なんとなくわかってくるんです。仲良くなったとしても、僕はどうしてもずっと和人なわけです。
やはり、和人とアイヌのあいだに壁を感じるのですね?
例えば、和人のことをアイヌ語で〈シサム〉って言うんですが、〈シャモ〉と言うこともあるんです。アイヌのひとたちと一緒にいるときに「シャモ」と聞こえると、あんまり良い話ではないだろうな、と少し気まずくなります。決して、シャモという言葉自体が悪い言葉ではないんですが、叱られたときに「シャモ」と言われたこともあり、強い言葉だなと。ただ、友人たちは、僕の前では、その言葉を意識して避けてくれたり、気遣ってくれるひとも、今では多いです。歴史的に差別があったというのは事実で、僕がアイヌのひとたちを差別したことはないけど、だからといって「お前はOK」とはならないって感覚があるんです。
根深い問題ですよね。
要は他人事ではないっていうか、僕ではないシャモの話になったとしても、どっかで僕も加害者側の意識になってしまって。
アイヌのひとたちには、和人に対しての複雑な感情が、残ってるってことですか?
ゼロではないと思います。いや、結局僕が会ったアイヌのひとたちは、アイヌの血を引いてるひとたちのなかの、ごく僅かで、出自を公言せず、アイヌの活動に関わらないひともたくさんいるんです。その全体図のなかでいうと、ほとんどのアイヌのひとが、どう考えているのかはわからないですね。
なるほど。
ただ、やっぱり、アイヌの儀式や木彫、刺繍、踊りをやるとか、アイヌのことに関わって生きていくと決めたひとたちは、自分がアイヌだってことをオープンにする覚悟があって。なおかつ、自分がオープンにすることで、親兄弟、親戚まで、血の繋がってるひとたちまでが、アイヌだとわかってしまう。だから、背負ってるものの重さが違う印象があるんです。受けてきたいろんな辛いことも、跳ね返してでも自分たちでやっていこうって強い意志があるので、和人に対する感情もあって当然だと思います。でも、それも言えない、言わないひともいるんで、そのひとたちが和人に対してどう思ってるかは聞けないんでわからないです。
ちなみに、今でも和人がアイヌに対して差別している話(アイヌとわかったら連絡がつかなくなった、結婚を反対された)が、写真集の巻末のインタビューにもあります。そういうのは、北海道にいると目の当たりにするのでしょうか? 東京にいると、しかも、多様性を受け入れようとする現代社会の流れのなかで、いまいちリアリティーが持てない部分もあります。
アイヌを理由にしていると、はっきりとはわからない形で差別や嫌がらせは残っていると思います。
池田さん自身、アイヌのひとたちといて、差別されている現場に立ち会ったこともあるんですか?
土地柄みたいなものかもしれないけど、僕がアイヌの友人とチェーンの居酒屋に5、6人で飲みにいって、飲み放題コースを頼んだんです。店員さんを呼んで注文してるときに、露骨にめちゃめちゃ嫌な顔をされたことがあって。ただ、はっきりと言葉に出すわけではないし、注文しすぎたから怒ってる可能性もあるわけです。だから、それが差別かどうかはわかんないです。ただ、これが日常的に続いたら、相当なストレスで嫌な気分になるよなって。
一緒にいると、差別体験の話にも、当然なるかと思います。
ある日、いつから差別されてきたかって話題になって、幼稚園のときからって言ったアイヌの友人がいて、それって異常じゃないですか。やっぱり、幼稚園児が、自発的に、アイヌだからとは、ならないと思うんです。つまり、差別する子の親の影響が大きいってことですよね。
一般的には、アイヌへの差別や搾取は明治時代から始まるのですよね?
もちろん、江戸時代から搾取されてきましたが、アイヌの人たちの生活を一変させてしまった〈北海道旧土人保護法〉というのが、明治に制定されたんですが、その法律にはアイヌの文化・風習を禁じてしまう内容が多く含まれていました。アイヌの子供が通う、旧土人小学校の設立など、いわゆる同化政策が本格化していきました。
また〈土人〉って言葉もすごいですよね。
北海道旧土人保護法も1997年まで、その法律は残ったままでしたから、古い話ではありません。一方で、北海道に住んでいても、アイヌの存在自体を知らないひとも結構いるんです。だから北海道に単純に旅行にいっても、意識しない限り、アイヌに触れる機会って少ないと思います。
なるほど。池田さんもアイヌの人々と触れ合うようになって、アイヌの問題を理解していくんですね。写真を撮るうえで、まずコミュニティーに入り込むのが難しい。それは、アイヌのひとたちが、和人から受けてきた差別が潜在的にある、という原因も関係しているのですね。
実はこのインタビューは「アイヌを撮ろうと思ったきっかけを教えてください」と池田宏に投げかけると、大学のときにスワヒリ語やヨルバ語を勉強していたから、民族に興味があった。沢木耕太郎を読んで、海外への憧れを抱いた。高校のときにヴィンテージにハマり、高校を辞めてバイヤーとして古着屋になりたかった。だけど、ネイティブアメリカンにはハマらなかったから、その後の民族とは繋がらなく、単純に海外の興味を抱いた最初の趣味だった。大学1年のときに、古着が好きだった影響で、米国西海岸に住んでいる友達のところに遊びにいこうと思ったら、とったチケットがトランジットで韓国を経由し、はじめていった外国がアメリカでなかったことにショックを受ける。戦争カメラマンの一ノ瀬泰造さんに憧れ、大学4年のときにカメラを持ってバックパックに出る。『アジアンジャパニーズ』をみていた。旅に出て、中国に留学していた彼女のところにいったら、浮気を発見して、相手の男をボコボコにした。その日彼女とセックスしようとしたが、ショックでたたなかった。そのショックを引きずったままタイにいき、1ヶ月以上毎晩ゴーゴーバーで遊びまくる。トルコのイスタンブールで、革ジャンを着たモヒカン野郎に、キャッシュカードを取られ40万盗まれる。お金がなくなり西アフリカへいけなくなった。海外から帰ってきたあと、なんとなく写真関係の仕事につきたいと思う。写真関係の企業の就職試験を受けるが落ちる。コーヒー関係の会社の内定をとる。就職直前に嫌になりコーヒー関係の会社の内定を辞退する。やはり、写真関係の仕事につきたく、スタジオに就職する。
とまあ、1時間以上、アイヌとは、ほぼ関係ないように思われる話を聞き続けた。1990年代後半から2000年代前半にかけて、思春期を過ごした若者の王道というか、極々一般的な体験を積み重ね、写真の世界に飛び込んでいく。
ちなみに、池田宏の話とは別だが、この時代、自分探しの旅と題し、バックパックにいったひとから最もよく聞いた話が、インドは最初絶対嫌になる。体を壊し2週間くらい寝込むが、そこを乗り越え、1ヶ月以上過ごすと大好きになるといった、根も葉もない自慢話。またハードなものだと、ルーマニアのマンホールチルドレンを撮影しにいったら10歳の子供に足を刺された、といったものまで、話の大小はあれど、この時代の若者の象徴でもある。いわゆる一人旅はトレンドでありムーブメントであった。
これまでのインタビューでもわかるように、池田宏もアイヌに通い始めたころは、当時の極々一般的なフワフワした若者のまま、アイヌに飛び込んでいき、怒られまくるのだが、通い続けることによって、外側の事象を追いかけるだけのトレンドから、彼だからこそ見れた世界を導き出していく。
アイヌの人々と接することで、差別の問題やアイヌないでの人間関係の複雑さを理解しながら、彼らとの距離感を徐々に縮め、コミュニティーに入り込んだことで、写真はどう変わっていったんですか?
写真が撮れたってはじめて思ったのが、この写真です。この男のひとは神奈川の女性の弟さんなんです。元々ジョッキーだったのかな。一緒にいったときに、目鼻立ちもくっきりしてて、目もきりっとした感じで絵になるって思って、すごく撮りたいって思ったんです。牧場で普通に仕事してる、そういう日常がいいなって。
民族に興味を持ったことが、アイヌを撮影するきっかけだった、と先ほど伺いました。なぜ、民族衣装を着るような場面よりも、日常を撮りたいって思ったのですか?
最初に紹介してもらった昔話を聞かせてくれたひとは、撮影をするのに着物を着てくれたり、僕もそこで着物着てもらったり、なんかお互いに、そういう関係だったんですよ。
要するに、この写真が撮れるまでは、過剰にセットアップした写真ばかりだったんですね。
そうなんです。いろんなアイヌの人たちと出会うようになって、そのまま撮りたいって思うようになったんです。アイヌの民族衣装を着て撮ったら、和人がイメージするステレオタイプのアイヌを表現してるだけっていうか。そうやって出来レースというか、合意のもとで撮れる写真って、奥の方までいけないですよね。そういうことにも気付けるようになっていくんです。
なるほど。
ただ、この撮影のときは、そこまで論理的に整理できてなかったです。やっぱり怒られてますから。スナックに飲みにいって、ママに何を撮りにきたのか聞かれて「アイヌのひとたちです」って答えて。それは、ママがどういう返答をするのか知りたくて、そしたら、言葉を濁されるっていうか。その後もアイヌのひとを撮りたくてみたいなことを話し続けたら、横で飲んでいた牧場で働いている彼が「アイヌ、アイヌって言うな。俺はアイヌって言葉が嫌いだから」って怒鳴ったんです。
でも、最初のころとは、コミュニケーションのとり方に変化がありますよね。
弟さんを撮影したときも、彼は半信半疑だったのかもしれないですね。「こんな、ほうきなんか持ってさ、レレレのおじさんじゃねぇんだから」って言ってましたから。ただ、後日、写真を渡しにいって、このあいだ久々に会って家に泊まったら、そのときの写真が、飾られてたんです。それは嬉しかったですね。
また、最初は、アイヌの人々の彫りの深さや目の鋭さにも惹かれていましたよね。しかし、アイヌの人々は、それがコンプレックスだったり、差別されてきた歴史がありました。つまり、池田さんとの信頼関係が築けていないと、なかなか写真を撮らせてもらえないとも思います。
白糠で叱られたあとに、帯広に通うようになるんですが、年が近いひとたちが多くて、東京でのイベントで踊りに来るひともいて、そのイベントを見にいき、打ち上げにまで参加させてもらったんです。そうやって帯広のひとたちと飲んで、カラオケにいって、連絡先を交換して、帯広にも遊びにいくようになって。僕が東京にいながらも、日々、彼らと連絡をとるようになっていったんです。そうやって、徐々にコミュニティーに溶け込んでいくようになってから、写真が撮れるようになっていきました。山道さんを撮ったのが2008年、神奈川の弟さんを撮ったのが2012年です。自分の写真が撮れるようになるのは、その後通い続けて、アイヌを撮影しはじめてから、5年経ったあとくらいからですね。ただ、コンプレックスの件は、あまり気にしてなかったんです。もちろん、体の悩みとか聞いたこともありました。ただ、僕がヒゲが全然なくて、それがコンプレックスだったから、逆に濃くてカッコいいなって思ったんで。
写真だと、表面的な特徴が自然と写りますからね。
やっぱり撮られたくないと思うひとが多いと感じます。カメラマンは僕だけでないので「またか」と思うひともいると思います。写真が嫌いで、なんで嫌いか聞くと、自分の顔が好きじゃないからってひともいて。だけど、僕はそのひとがカッコいいと思ったんです。それに、写真を撮って絵にする自信がなんとなく何故かあったんです。カッコいいと思ってるから、カッコよく写るに決まってるだろ、みたいな。
なるほど。
ただ、最初は表面的な部分に興味があり、そこに捉われていたんですけど、それがドンドン離れていったというか。全然見た目が和人と区別がつかなくても、アイヌのひともいるわけです。そのギャップもまた重要っていうか、撮りたいって思うようになりました。
写真集にも、一見アイヌのひとかどうか、わからないひとも登場します。
そうですね。アイヌのことを全く知らないひとが写真を見たときに「すごくアイヌっぽいね」って言うひともいるんです。実際に会ったことがないのに、それを言えるのは変だなって。おそらく何かしらの思い込みがあると思うんです。逆に見た目が和人っぽいひとの写真を見た途端「このひともアイヌなの?」みたいな感じになる。それを表現することも、すごく重要じゃないかって。
それは何がきっかけで気づくのですか?
やっぱり、アイヌのひとがアイヌとして生きていく覚悟を聞いたり、友達が涙流しながら話してくれた差別の話だったり、そういう話を聞くと、精神的なことに入っていくっていうか。見た目だけでアイヌって言われて、嫌な思いをしてきたひともいれば、見た目がアイヌっぽくないから、そういう体験をしてないひともいるわけです。でも同じアイヌとして活動していて、いろんな個人体験がバラバラにあるわけで、そういうのも全部表現したくなったんです。
では、最初は一般的なイメージの民族を撮りたくてアイヌを撮り始めて、そしたら、最初に考えていた民族としての写真は違うと気づき、そこにいるアイヌのひとりひとりに寄りそった体験を積み重ね撮影していったら、個人だけでなく集団としてのアイヌ、今のありのままの民族としてのアイヌも写したいって思うようになったってことですね。
そうですね。また、2016年に、八谷麻衣さんとの出会いも大きかったです。八谷さんは写真がすごく好きで、アイヌの〈ウポポ(伝承歌)〉を歌う女性ボーカル四人組のMAREWREW(マレウレウ)のメンバーなんですが「見た目がアイヌってわからないかもしれないけど、アイヌとして生きてるひとも撮りたい」と相談したんです。そしたら何人も紹介してくれて、撮影する機会ができて。この成人式の写真の彼女は、二風谷出身のアイヌのひとなんですが、いわゆる、みんなが想像するアイヌっぽくないひとですよね。この彼女は大学でアイヌの勉強してました。このときは、時間が限られていたので、がっつりコミュニケーションがとれなくて、これまでのルールを、ちょっと破ってはいるんです。
でも、写真を撮るタイミングは、それぞれで良いですよね。
そうなんです。写真を撮るポイントがコミュニケーションのMAXかっていうと、それはちょっと違うことにも気づいていって。例えば、仲良くなりすぎると、逆に写真が撮れなくなったりもするんです。写真集の表紙の写真にしても、徐々に仲良くなったときに、こういうアップの写真を撮りたいと自分の考えをはっきり伝えて、撮らせてもらったんです。一方で、弓の舞で、改めてポージングをとって撮らせてもらった写真があるんですが、それをお願いするのは、最初は失礼だなって思っちゃうから、いきなりは撮れないし。
そういう意味では、池田さんの写真家としての技量も、ドンドン変化していったんですね。アイヌに見えるひとも見えないひとも同じようにアイヌであることには変わりがない。それが現実ですもんね。だからこそ、いろんなアイヌのひとたちを写したいって話ですよね。
当然、お互いの関係性や繋がりがないひともたくさんいるわけです。ただ、アイヌをこれまで撮ってきたひとたちって、繋がりのある人たちだけを撮っている印象で。自分は、それが嫌だったっていうか。和人がそんなことをするのは失礼かもしれないけど、複雑な人間関係も、ごちゃまぜにしちゃえみたいな感じはありました。
それが、池田さんがみたアイヌですからね。
そうなんです。それは、どうしても表現したかったことなんです。また、面白かったのは、写真集をみたアイヌのひとから、知らないアイヌがいるって言われて。これは、僕のなかでは、結構名誉なことだなって思ってて、そう言ってもらえたのが、本当に良かったって思います。
https://www.vice.com/jp/article/9ke88p/10-years-with-ainu-hiroshi-iked

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京五輪施設建設の「目に見えない部分」に、21万畳分の熱帯材が使われている!?

2019-10-23 | 先住民族関連
ハーバー・ビジネス・オンライン2019/10/22 08:32
◆「目に見える部分」には国産材、「目に見えない部分」には熱帯材
 東京五輪開催まで1年を切った。それとともに、大会中の猛暑対策など、さまざまな問題が現実味を帯びてきている。そのような中、東京五輪で使われた木材と、東南アジアの森林破壊とのつながりが問題視され続けている。
「新国立競技場には国産材がたくさん使われているのでは?」と思う人も多いだろう。しかし、47都道府県から提供される国産材は屋根やひさしで使われるだけで、土台のコンクリートを成形する型枠用合板(コンクリートパネル=コンパネ)には、東南アジアからの熱帯材が使われた。
 いわば「目に見えるお化粧部分」には国産材が、「目に見えない」基礎工事には熱帯材が使われたという形だ。しかもコンパネは何度か利用されるが、基本的には使い捨てとなる。
 筆者ら環境NGOの調査では、木材供給のために伐採された森林の中にマレーシア・サラワク州の先住民族の土地や、絶滅が危惧されているボルネオ・オランウータンの生息地も含まれることがわかっている。
◆「持続可能ではない木材が使われている」と「オランウータン」が“通報”
 2017年5月、「熱帯材の使用を直ちに中止してほしい」と声をあげたのが、ボルネオ島の先住民族プナンの人々だった。世界中から14万件以上の賛同署名が集まり、支援団体によってスイスとドイツの日本大使館に届けられた。
 また2018年11月には「オランウータン」が、持続可能ではないインドネシア産の木材が東京五輪施設の建設に使われたことを理由に、大会当局に通報した。
 実際に通報したのはオランウータンではなく、筆者の属するNGO「レインフォレスト・アクション・ネットワーク」(RAN)だ。この行動には、「人間と同じように、動物や森林にも反対する権利がある」というメッセージが込められている。
 日本は世界最大の熱帯材合板輸入国で、貴重な熱帯林の破壊によって作られたコンパネも輸入している。東京五輪の「持続可能性に配慮した木材調達基準」は一定の改善があったものの、リスクの高い企業からの調達が防ぎ切れていない。東京五輪開幕まであと数か月、これまでの経緯をまとめた。
◆五輪施設建設のため、21万畳分のコンパネに熱帯材が使われた
 これまでRANほか環境NGOは、東京五輪施設の建設現場で調査を行ってきた。その結果、インドネシアとマレーシア企業の熱帯材合板が、新国立競技場や有明アリーナなどほぼすべての新施設の建設で使用されていることが判明した。
 現地では環境・森林破壊、先住民族や地域コミュニティの権利侵害に加え、企業による木材の伐採や流通での違法行為などの問題も指摘されている。東京五輪は「持続可能な大会」の開催を掲げ、国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)への貢献も約束している。しかし、その約束は守られていない。
 大会組織委員会がNGOの要請で公表した情報によると、インドネシアとマレーシアからのコンパネが21万枚以上も五輪施設建設に使われ、そのうち約12万枚は新国立競技場で使われた(2019年5月時点)。一般的なコンパネの大きさは、畳1畳分に相当する。「21万畳分」と考えると、いかに膨大な量の熱帯材が使われたかがわかるだろう。
 実は、建設工事が本格化する前の2015年から、環境NGOは熱帯材合板が工事に使われることを懸念してきた。2016年6月に木材調達基準が制定されてもNGOの懸念は消えず、同年12月には国内外44団体が国際オリンピック委員会(IOC)に書簡を渡した。そのような中、新国立競技場と有明アリーナで熱帯材のコンパネがNGOの調査で見つかったのだ。
◆熱帯材伐採が、先住民の生活も破壊している
 2017年4月、新国立競技場の建設現場で、マレーシアの伐採企業シンヤン社製のコンパネが使われていることが明らかになった。同社は以前、サラワク州で違法かつ持続可能でない熱帯林伐採を行い、先住民族の権利侵害に関与したことが発覚している。
 新国立競技場を管轄する日本スポーツ振興センターは「森林認証品であるため問題ない」とした。しかしNGOの調査によると、日本に輸出されているシンヤン社の認証木材(PEFC認証)は現地の労働者虐待と結びついている。
 さらに「ハート・オブ・ボルネオ(ボルネオの心臓)」と呼ばれる、マレーシア、インドネシア、ブルネイが共同で進める森林保全地域での伐採への関与も指摘されている。
 冒頭で紹介したプナン族のビロン・オヨイ氏(サラワク州ロング・サイート村の村長)は「サラワクでは私たちの森林は伐採され続け、木はほとんど残っていません。熱帯林に残っている木々を守る私たちを、どうか助けてください」と訴えた。
 ちなみに、マレーシアには「ビッグ6」と呼ばれる木材大手6社がある。シンヤン社もその一つだ。サラワク州の土地面積の半分以上で伐採や大規模農園開発の許可が出されているが、その多くがこの「ビッグ6」に牛耳られている。今年7月にもその一つ、タ・アン社のコンパネが国立代々木競技場の建設現場で使われていたことがNGOの調査でわかった。
◆森林認証なし、違法に「皆伐」された木材が有明アリーナや新国立競技場建設に使われた!?
 2018年5月、今度は有明アリーナでインドネシア・コリンド社のコンパネが見つかった。大会組織委員会が公開した情報によると、この木材は森林認証を取得せず、住友林業によって供給されていた。
 コリンド社はインドネシアで木材、パーム油、紙パルプなどの事業を展開する韓国系複合企業だ。違法伐採に加え、樹木を全て伐採して生態系を破壊する「森林皆伐」、農園開発のための火入れ、人権侵害、脱税への関与が指摘され、東京五輪に供給された木材が違法かつ問題あるものだったリスクが高い。
 RANはインドネシアの現地団体と共同で、コリンド社の木材供給網について調査を行った。その結果、世界で最も豊かな生物多様性を誇る熱帯林で同社が伐採を行ない、地域コミュニティの土地を違法に強奪していたことが明らかになった。
 また、同社がボルネオ島のオランウータンの生息地から木材を調達していたことも突き止めた。インドネシア産コンパネが有明アリーナで約1万枚使われ、新国立競技場では12万枚近くも使われたことを考えると、コリンド社製の森林認証のないコンパネが新国立競技場の建設にも提供された可能性は高い。
https://www.youtube.com/watch?v=4GgIP6Hkwgw
◆2017年の1年間だけで日本の面積の4割に当たる熱帯林が消失
「オランウータン」による通報は、昨年11月の通報から11か月が経過した。しかし、いまだに進展がない。そこでRANは今年7月、国際オリンピック委員会(IOC)に「東京五輪の通報制度が機能しているか調査してほしい」と手紙を送った。
 世界では国連「ビジネスと人権に関する指導原則」がスタンダードとなっていて、東京五輪当局の対応には透明性や説明責任などが不足しているという点を指摘した。
 熱帯林には陸上生物の半分が生息し、先住民族や地域住民は食料や水などをそこから得ている。熱帯林は地球の気候と降雨パターンを調節し、炭素を吸収・貯蔵することで気候変動の緩和にも重要な役割を果たしている。
 しかし木材伐採や大規模農園開発のために更地にされ、熱帯林は急速に劣化・破壊されている。森林減少を監視する国際的なプラットフォーム「グローバルフォレストウォッチ」によると、2017年の1年間だけでも日本の面積の4割に相当する熱帯林が失われたという。
 東京五輪関連の建設工事はほぼ終わっている。この五輪で定められた基準や体制は、今後の自治体や企業にとって「モデルケース」となることが期待されている。今は持続可能な社会を次世代に残すために、「ポスト東京2020」に向けて真のレガシーを作っていく過程にあることも忘れてはならない。
<文/関本幸 写真/レインフォレスト・アクション・ネットワーク(RAN)>
https://news.infoseek.co.jp/article/harborbusinessonline_20191022_00204678/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やらせ発覚の「クレイジージャーニー」終了 TBS「継続困難」と判断

2019-10-23 | 先住民族関連
KAI-YOU 10/21(月) 17:01配信
番組制作陣による仕込みが発覚し放送休止となっていた「クレイジージャーニー」を終了すると、放送局のTBSが番組公式サイトで明かした。
きっかけは爬虫類ハンター・加藤英明さんが出演する企画で、計15種類の生物を事前に準備し捕獲シーンを撮影していた仕込み(いわゆる「やらせ」)が明るみに出たこと。
なお、番組スタッフによると、加藤さんはこの事実を知らされていなかった。
大人気番組だった「クレイジージャーニー」
「クレイジージャーニー」は世界を舞台に活躍するクレイジージャーニーたちが、その唯一無二の体験を語る伝聞型紀行バラエティー番組。ダウンタウンの松本人志さん、バナナマンの設楽統さん、女優の小池栄子さんがMCを担当。
前述の加藤英明さんをはじめ、フォトグラファーの佐藤健寿さん、危険地帯ジャーナリストの丸山ゴンザレスさん、少数民族や先住民族を撮影する写真家のヨシダナギさんなどが出演。
彼ら奇想天外なクレイジージャーニーたちの姿が反響を呼び、これまでにDVDを8本発売するTBSの人気番組だった。
最近では注目のヒップホップクルー・BAD HOPを特集するなど多方面で注目を集めていたが、今回の発表により番組は終了となった。
新たな仕込みはなしも継続は困難と判断
番組の公式サイトに掲載された文言よれば、発覚していたもの以外に仕込みは確認されなかったという。
しかし、「これらの不適切な手法で視聴者の皆様の信頼を損なったことを重く受け止め、番組の継続は困難と判断し、放送を終了することを決めました。」とのことで、番組の終了を決断したと説明している。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191021-00010008-kaiyou-ent

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボリビア大統領選、現職モラレス氏が優勢も決選投票に

2019-10-23 | 先住民族関連
JIJI.COM 10/21(月) 12:08配信
【AFP=時事】南米ボリビアで20日、任期満了に伴う大統領選の投票が行われた。選挙当局が発表した一部の集計結果によると、現職のエボ・モラレス(Evo Morales)大統領が優勢である一方、対抗馬のカルロス・メサ(Carlos Mesa)元大統領との歴史的な決選投票に持ち込まれる公算が大きい。
 最高選挙裁判所(TSE)による集計の結果(開票率84%)、4期目を狙うモラレス氏の得票率は45%で、メサ氏は38%だった。
 2005年に大統領に選出されたモラレス氏は、ボリビア初となる先住民族出身の大統領。過去の選挙では全て1回目の投票で勝利しており、決選投票に持ち込まれるのは初めて。【翻訳編集】 AFPBB News
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191021-00000010-jij_afp-int

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニュースワード「ボリビア」

2019-10-23 | 先住民族関連
JIJI.COM 10/21(月) 8:35配信
 ボリビア 南米中央部に位置する内陸国で、西のアンデス高地から東のアマゾン熱帯低地まで多様な気候を有する。日本の約3倍の国土に約1135万人が暮らし、国民の4割が先住民族。憲法上の首都はスクレだが、事実上は富士山頂の標高に匹敵する高山都市ラパス。1人当たりGDPは3670ドル(IMF)で、経済破綻したベネズエラに次ぐ南米最貧国。
 1899年に始まった日本人移住は今年が120周年。日系人口は約1万3000人で、農業の発展に多大に貢献。6世まで存在するとされる。(時事)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191021-00000000-jijnb_he-bus_all

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする