ナショナルジオグラフィック 10/20(日) 9:41配信
NYを拠点に活動する写真家、阪口悠氏と先住民団体の代表者が企画
1802年の国勢調査から記録が途絶えたカリブの先住民タイノ族の人々が、その「紙上の大量虐殺」を正すべく、民族にふさわしい衣装に身を包み、人種に「インディアン」という選択肢を加えて当時の国勢調査をやり直した。写真家の阪口悠氏とともに、この写真プロジェクトを企画したタイノ族のジョージ・バラクテイ・エステベス氏が背景を語った。
タイノ族である私たちが、クリストファー・コロンブスとスペイン人を発見したのだ。コロンブスが私たちを発見したのではない。私たちは、自分たちの土地に住んでいただけなのだから。彼らは海で迷い、私たちの海岸にたまたま漂着したに過ぎない。というのが、私たちの歴史認識だ。
ところが、私たちは歴史の上では「発見された」ことになっている。アラワク語を話すタイノ族は、南米からカリブの島々へやってきて、4000年前からここに住んでいる。スペイン人は、黄金と珍しい香辛料を求めて1492年にカリブ海へたどり着いたが、そこに黄金はほとんどなく、香辛料も見たことのないものばかりだった。そこでコロンブスが目をつけたのが、奴隷貿易だった。
金鉱やサトウキビ畑での重労働と、スペイン人が持ち込んだ伝染病のせいで、先住民の人口は見る間に激減した。タイノ族の絶滅説は、こうして生まれた。1565年の国勢調査で、イスパニョーラ島(現在のドミニカ共和国とハイチがある島)のインディアンは200人と記録され、その直後にタイノ族は絶滅したと宣言された。そして1802年以降、書類上はカリブ全域にインディアンはひとりもいないとされた。では、なぜ私たちはタイノ族であると言えるのか。
これまで国勢調査を批判的な目で深く掘り下げた歴史家はいなかったが、よく調べてみれば、植民地時代からその後にいたるまで、調査書や遺言書、結婚記録、出生記録などに、折に触れてインディアンの存在は記されている。私たちが今生存しているのは、祖先の多くが山へ逃げ込んだためだ。1478年にスペインで異端審問が始まると、多くのユダヤ人が拷問や虐殺を恐れてカトリックに改宗した。彼らは「コンベルソ(改宗者)」と呼ばれるようになった。同じことが、タイノ・インディアンにも起こった。
そして1533年以降、スペイン王室によってインディアンの奴隷に自由が与えられると、一部のスペイン人はタイノ族の奴隷を手放したくないばかりに、奴隷たちの書類をアフリカ人であると書き換えてしまった。またその間、カリブへやってきたスペイン人男性は、タイノ族の女性を妻にした。その子どもたちはタイノ族ではないのだろうか。
百科事典にはコロンブスの証言しか書かれていない
「紙上の大量虐殺」とは、書類から人々の記録を抹殺することである。1787年、プエルトリコの国勢調査には純粋なインディアンが2300人記録されていたが、次に国勢調査が行われた1802年、インディアンはひとりも記録されていなかった(その年の国勢調査をやり直したものがこの写真プロジェクトだ)。
いったん文書に書き込まれてしまったものを、後になって変更することはほぼ不可能に近い。百科事典には、コロンブスの証言しか書かれていない。彼は私たちをインディアンと呼び、カリブ海には間もなくインディアンがひとり残らずいなくなったと書かれている。どれほど先住民の顔つきをしていたとしても、自分の民族性を主張したとしても、絶滅したとみなされる。これが、紙上の大量虐殺だ。征服者によって作り上げられ、後の時代の研究者たちによって固定化された歴史だ。
私は、ドミニカ共和国のハイボンという町で生まれ、米国で育った。子どもの頃、カリブ海の島々には先住民の血が一滴も残されていないと、本で読んだ。インディアンはひとり残らず殺されたと。しかし、私たちは常に自分たちが先住民であると意識してきた。私たちには、インディアンの祖先がいることを知っていた。
90年代初め、私たちは各地で開催される先住民のイベントやフェスティバルで集まるようになった。そして、私たちの知っている言語や今も残る伝統を維持する運動を始めた。
その後、DNA検査によってカリブの人々に先住民のミトコンドリアDNAが含まれていることが確認された。全プエルトリコ人の61%、ドミニカ人の23~30%、そしてキューバ人の33%に、それは含まれていた。絶滅したとされている民族にしては、あまりに高すぎる割合である。2016年、デンマーク人の遺伝学者が、バハマで発見された1000年前の頭骨の歯からDNAを抽出したところ、タイノ族の完全なDNA鎖が見つかった。プエルトリコ人164人を調べると、全員がそのタイノ人と言えるDNAを持っていた。
歴史に復活しつつあるタイノ族
私たちは、自分たちの存在を歴史に書き入れる作業を行っている。そのために、インターネットは非常に役に立つ。現在、自分はタイノ族であると自認する多くの若者が協力して研究に携わり、新たな疑問を持ち、古い回答に疑問を呈している。こうして、タイノ族は文書に書き加えられ、歴史に復活している。一部の歴史書は、タイノ族に関して「絶滅」という言葉を削除した。
また、国勢調査の変革にも取り組んでいる。長い間、国勢調査の人種欄にはヒスパニック、白人、黒人、ミックスという選択肢しかなく、ラテンアメリカ出身者はインディアンを選択したくてもできなかった。プエルトリコの国勢調査にインディアンまたは先住民という選択肢が加えられると、3万3000人がインディアンを選択した。私たちの正体は、いつだって目に見えて明らかであったはずなのに、これまで隠されてきた。それこそが、この写真プロジェクトが伝えたいことだ。
タイノ族は完全に抹殺されてしまったのではないということを、世界に知ってもらいたい。それどころか、私たちはカリブ諸国の建国に重要な役割を果たした。この物語を知ることは、私たちにとっては長く行方不明だった親戚を見つけ出すようなものだ。これまで知らなかった自分を発見することだ。私たちの口頭伝承、物質文化、精神、そして言語の大部分がこの土地に固有のものだと気付いたとき、私はタイノ族がいかに繁栄した人々であったかに気付いた。
子どもの頃、学校でコロンブスについて習った時のことを思い出す。かっこいい冒険話に胸を弾ませ、3隻の小さな船の絵を描いた。ところが、家に帰ると母親が本当のことを話してくれた。衝撃的だった。コロンブスの黄金と名声への欲のために、何百万という人々が命を落とした。現在、カリブの人々あるいは先住民族だけでなく、広い世界で、コロンブスはさほど称賛に値するような人物ではないと考えられるようになったのは、喜ばしいことだ。
祖先の歴史を振り返り、またスペイン人の行った恐ろしい行為について考えるとき、自分の目の前で子どもや親兄弟が惨殺され、レイプされ、村が略奪されるのをただ見ているしかなかった祖母や母たちは、何を感じたのだろうかと思いを馳せることがある。彼女たちはきっと、激しく祈っていたに違いない。苦しみに遭ったすべての人々がそうするように。では、その祈りはどうなったのか。キャンプファイヤーの煙のように、空へ消えてしまったのだろうか。そして、私は気づいた。私たち子孫こそが、彼女たちの祈りへの応えなのだと。私たちが誤りを正すため、自分たちの物語を伝えるために、ここへ戻ってきたのだと。
談=Jorge Baracutei Estevez/構成=Nina Strochlic/訳=ルーバー荒井ハンナ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191020-00010000-nknatiogeo-s_ame&p=1