先住民族関連ニュース

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知られざるアイヌプリの葬儀

2019-10-12 | アイヌ民族関連
NHK 10月10日 18時54分

アイヌの伝統にのっとった葬儀はアイヌプリの葬儀と呼ばれますが、かつての同化政策の影響や作法が複雑で難しいことなどから現在ではほとんど行われなくなっています。
こうした中、アイヌプリの葬儀の伝統を引き継いでいこうとする男性が、後世に映像を残してくれるならと準備も含めて3日間にわたる葬儀の撮影を今回、特別に許可してくれました。
【なぜアイヌプリで】
ことし8月、新ひだか町で平成14年以来となるアイヌプリの葬儀が行われました。
葬儀を取りしきったのは、葛野次雄さん(65)です。
アイヌプリで行うのは、前回、父の辰次郎さんを送ったとき以来です。
亡くなったいとこのタナヨさん(88)は、同じ地区で長年、家族のように暮らしてきたといいます。
葛野さんは、「いとこのお父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんは全員、アイヌプリの葬儀で送られている。アイヌにはアイヌの風習があることを伝えたい」と話します。
【手作りの葬儀】
葬儀にはさまざまな段取りがありすべてを手作りします。
まずは墓標をつくるための木を選ぶところから始まります。
アイヌプリでは火葬ではなく土葬が本来の形です。
自治体によっては土葬を禁じているところもありますが、新ひだか町では土葬ができ、葛野さんは事前に許可を得て実現しました。
葛野さんは、「母なる大地の恩恵を得て、私たちの肉体がある。その肉体を土にかえす、母なる大地に戻して循環するということがアイヌの人たちの精神には宿っている」と話します。
【伝統を引き継ぐ】
葛野さんが、今回、アイヌプリの葬儀を行った理由はもう一つあります。
息子の大喜さん(22)に伝統を引き継ぎたいという強い思いです。
大喜さんは、大学ではアイヌ文化を学んでいますが、墓標のつくり方までは教わっていません。
墓標の形は地域で異なり、葛野さんの家系では、女性の墓標はかんざしの形です。
父の協力を受けながら、なんとか作り上げました。
大喜さんは、「教科書や写真を見るだけでは分からないことがあります。葬儀はない方がいいけれども、やり方を覚えていれば、いつか自分が手伝いをできると思っています」と話します。
【葬儀】
葬儀には、町内外のアイヌの人たちも駆けつけ、葛野さんは、火の神に祈りをささげ、先祖の待っている世界に向かうことができるようにアイヌ語で言葉をおくりました。
翌朝、タナヨさんの亡きがらを葛野さんの両親や兄も埋葬されている墓地に運びました。
そして、タナヨさんが、先祖たちの世界で住むための家を焼き、3日間かけた葬儀を終えました。
葛野さんは、葬儀をアイヌのひとたちの精神性が宿る文化として、多くの人に理解して欲しいと考えています。
葛野さんは、「アイヌでも和人でも、生まれて亡くなるまでが文化だと思う。葬儀というアイヌの文化を残し、後世に伝えていきたい」と話します。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20191010/7000014312.html?fbclid=IwAR01s1dEdaYJi3WGfk9tLeOXg5KLfRvQv-Av2eQdniFrlkRmQlqapU1wMl0

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<金曜カフェ>女優・神野三鈴さん 井上ひさし「組曲虐殺」に出演

2019-10-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/11 09:39
 劇作家の故井上ひさしさんの舞台に欠かせない女優、神野三鈴さん。6日から東京の天王洲銀河劇場で上演中の井上作品「組曲虐殺」に、特高警察によって拷問死したプロレタリア文学作家小林多喜二の同志で妻の伊藤ふじ子役として出演している。2009年の初演、12年の再演に続く3回目の上演だが、稽古場にはこれまでにない緊迫感があったという。「時代を覆う空気が多喜二の晩年と似てきている。こんな時だからこそ井上先生の言葉を届けたい」と話す。
■珠玉の言葉 伝えたい
 本作は、1933年(昭和8年)に治安維持法違反容疑で逮捕された多喜二が築地署で拷問を受け、29歳で早すぎる死を迎えるまでの数年間を描く。
 神野さんは、初日の4日前に台本が完成したという初演について、「ぎりぎり精いっぱいやった」と振り返る。3年後の再演は2年前に井上さんを失った直後で「遺作を演じるという気負い」があり、「観客も役者も喪失感を払うことができないように感じた」。
 実際の伊藤ふじ子は、澤地久枝の著作「続 昭和史のおんな」に詳しい。多喜二の遺体が家に戻った時、地下生活に入っていたふじ子が駆けつけた。ひと目もはばからず、多喜二の髪や頬、拷問の傷痕をさすり、頬を押しつけたという。
 その後、ふじ子は夕張出身の漫画家森熊猛と結婚したが、自宅の仏壇の隅には多喜二の分骨をずっと置いていた。1981年、70歳で亡くなり、多喜二の分骨とともに納骨された。
 神野さんは、初めはふじ子への同情があったが、次第に「生きざまがあっぱれ」と思うようになったという。「多喜二の命と思想を守るためなら、死んでもいいと。男女の関係を超えた、(貧しい人など)すべての人への愛で結ばれていた」
 多喜二の晩年は、言いたいことが言えない世の中になっていた。軍人たちはさらに横柄になり、中国で「満州事変」を引き起こし、国内では「五・一五事件」などのテロに走った。
 公演前の稽古場には張り詰めた空気があったという。演出の栗山民也さんは今の時代も言論弾圧が繰り返されかねない危機感を語り、役者たちも同じ思いを共有した。「貧富の差は広がり、国、官僚が企業と結びつく構図など、芝居で扱っている問題とびっくりするぐらい重なります」
 ただ、作品は人間へのいとおしさや特高の刑事にさえ漂う人間味などを描き、闇の中にも光が見える。多喜二役の井上芳雄さんは「伏せ字ソング」を特高の前で歌うなど、検閲もユーモラスに吹き飛ばす。
 初演時、稽古場に少しずつ届く脚本を受け取るたびに「余りにも真っすぐでピュアなせりふが多く、まるで少年のような井上先生が書いているよう」と感じた。「役者一人一人に先生が残した珠玉(しゅぎょく)の言葉が生き続けています。本人も気がつかない、先生の魂が書かせたんじゃないかな」
 プライベートでも井上さんと親交があった。「芝居の持つ力や人間の豊かさを教えていただき、私は自分が進むべき道を決めました。一番の教えは弱者への愛。ちょっとでもおごったり、傲慢(ごうまん)な自分に気がつくと、先生を思い出すんです」
 今回はある思いを胸に舞台に立つ。「先生を知らない世代もたくさん見に来ると思う。作品が面白ければ、シェークスピアのように『井上ひさし』は何百年も生きます。その覚悟を持ってやっています」
 生前、井上さんは多喜二ゆかりの地・小樽での公演を望んでいた。舞台の最初と最後には、小樽の荒々しい海の映像が流れる。(東京報道編集委員 伴野昭人)

 「組曲虐殺」は27日(日)までの東京公演後、福岡、大阪、松本、富山、名古屋で上演される。
<略歴>かんの・みすず 1966年、神奈川県生まれ。幼稚園から小学1年までの2年間、札幌市豊平区平岸で過ごす。これまで井上作品には「太鼓たたいて笛吹いて」「兄おとうと」など5作に出演。2012年、「組曲虐殺」と三谷幸喜版「桜の園」の演技で紀伊国屋演劇賞個人賞。来年2月にはベルリン国際映画祭で観客賞と国際アートシアター連盟賞を受賞した「サーティセブンセカンズ」が公開される。夫のジャズピアニスト小曽根真さんは「組曲虐殺」初演から音楽・演奏を担当。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/353701

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先住民族の食文化、一堂に 札幌で祭典

2019-10-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 10/11 19:56
 世界の先住民族が食を通して環境を考えるイベント「先住民族テッラマードレ アジア・環太平洋inアイヌモシリ」が11日、札幌市南区の市アイヌ文化交流センターで4日間の日程で開幕した。アイヌ民族をはじめ、インドや米国など27カ国の先住民族の農業者や料理人ら約150人が参加している。
 アイヌ民族の女性でつくる「アイヌ女性会議―メノコモシモシ」(札幌)などが主催。初日は先住民族の権利に詳しい北大の吉田邦彦教授や、イランで遊牧民のコミュニティーの回復に取り組むナヒデ・ナギザデさんら4人がステージに上がり、気候変動や食糧危機をテーマに議論した。
 吉田教授は、水産資源の減少について「人と魚の適切な関係が失われた結果だ」と指摘。食の恵みに感謝するアイヌ民族の精神性に触れ「アイヌの漁業権の回復は生態系の安定の足がかり」とした。ナヒデさんは「遊牧民の英知は環境を保全し、変化に適応する鍵だ」と強調した。議論の後は、各地の先住民族がインドネシアの音楽に合わせて踊り出す場面もあった。
 12、13日は一般向けの食のワークショップ(イベントのホームページから要予約)や、アイヌ民族の伝統食材を取り入れた軽食販売などを予定。14日は閉会式を行う。(斉藤千絵)
※アイヌモシリの「リ」、メノコモシモシの「シ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/353960

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アイヌ料理を各先住民族に披露 札幌で食文化の体感イベント

2019-10-12 | アイヌ民族関連
佐賀新聞 10/11 18:12(共同通信)
 アイヌ民族など世界の先住民族の食文化を体感する祭典「先住民族テッラマードレ アジア・環太平洋inアイヌモシリ」が11日、札幌市で開かれた。同市でアイヌ料理専門店を営む今博明さん(51)夫妻が、米国やインドなど、日本を含め世界27カ国から集まった先住民族らに料理をふるまった。
 当日は、アイヌ語でキハダの実の意味の「シケレペ」とカボチャなどをまぜて煮た料理や、オハウと呼ばれる汁物など8品を提供した。
 インドの少数民族、イースワラン・ラマチャンデュランさん(38)は、エゾシカのサッカム(干し肉)をほおばり、「本当においしい」と絶賛した。
>> もっとくわしく読む
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/439114

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室蘭でプラットフォーム、着地型観光の可能性を探る

2019-10-12 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2019年10月11日(金)朝刊】
 白老町の民族共生象徴空間(愛称ウポポイ)の来年4月開設を控え、オール胆振によるアイヌ文化の創造発展と、地域経済活性化などを目的とした「いぶりウポポイ活用促進プラットフォーム」(胆振総合振興局主催)が10日、室蘭市海岸町の同局で開かれ、関係者がウポポイを生かした「着地型観光」の可能性について理解を深めた。
 国、胆振管内の自治体、アイヌ協会、アイヌ民族文化財団、経済団体、マスコミなどの関係者約60人が出席。花岡祐志局長は「地域の中で認知度を上げるためには引き続き、PRなどが必要」と呼び掛けた。
 北海道中央バスの旅行子会社・シィービーツアーズの嶋田浩彦取締役企画本部長が、「地域資源を活用したツアー展開~着地型観光を目指して」をテーマに解説。「自治体と連携して、地域の優れたものを観(み)る」といった視点で、歴史文化や自然景観、社会インフラなどを用いた「着地型観光ツアー」を展開する現状を紹介した。
 その上で嶋田本部長は、ウポポイを地域資源として活用するためには「JR、高速道路、公共バスの利便性を生かし、観光客にストレスを感じさせない乗り継ぎを広域圏で進める」などと提言。
 さらに、観光客の本物志向に応えながら、潜在顧客、初来客、リピーター、常連客などの種別ごとに「地域の応援団」になってもらう態勢づくりの大切さ―なども説いた。
 このほか、関係機関がウポポイの開業準備状況、アイヌ文化を核とした西胆振への旅客誘致活動、ウポポイのアクセス関連事業などについて説明した。
 「いぶりウポポイ活用促進プラットフォーム」は、「ウポポイの年間来場者数100万人」の目標達成に向けて、関係者の情報共有と意見交換を進める場―として、今年7月に初会合が開かれた。次回の会合は年内を予定している。(松岡秀宜)
http://www.muromin.co.jp/murominn-web/back/2019/10/11/20191011m_03.html

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「ハカ」のルールをオールブラックスの 若きエースが教えてくれた

2019-10-12 | 先住民族関連
Sportiva 2019.10.11
 アジアで初の開催となるラグビーワールドカップ日本大会で、前人未到の3連覇がかかる「オールブラックス」ことニュージーランド代表。前回のボーデン・バレット選手に続いて、今大会のトライ王候補との呼び声も高い22歳の若きエースWTB(ウィング)、リーコ・イオアネ選手にインタビュー。
──オールブラックスで一番オシャレだというイオアネ選手ですが、今大会で着用するジャージーは日本のヨウジヤマモトさんのデザインです。印象を聞かせてください。
すごく素敵だと思っています! 僕らの(ニュージーランドの先住民族の)マオリの文化も織り交ぜられていますし、何と言ってもジャージーとしてプレーをするうえでの機能性を兼ね備えつつ、ストリートファッションとしてもかっこいいデザインなので、とても気に入っています!
──リーコという名前は、かつて日本でプレーしていたお父様のエディーさんが所属されていたクラブ名(日本のリコーに在籍していた)と、お世話になった方のお子さんのお名前(元日本代表WTB水谷 眞さん)の娘さんにちなんでつけられたというのは本当ですか?
そうです。兄のアキラは東京生まれですし、僕たちにとって日本は特別な国です。日本の文化も好きです。それに、何度も来日していますが、いつも温かく迎えてくれますし、本当に感謝しています。
──日本の文化で好きなものってなんですか? 今回、ラグビー以外で楽しみにしていることはありますか。
そうですね、実はアニメとか漫画はあまりわからないんですけど、ゲームが好きなので、休みの日はプレイステーションをよくやっています。それと、日本のファッションには最近、興味を持っているので、時間があったら見てみたいですね。ですから、今回の「#CreatorsUnite」プロジェクトのような、日本のアーティストとのコラボレーションもすごく面白いですよね!
──他には何か日本で好きなものはありますか?
もちろん、日本食も大好きですよ! 今回もラーメンを食べに行きました。それから、ホテルに温泉があって入りました。体にいいものだし、気持ちよかったですけど、温度が42度だったかな? いつものシャワーの温度よりだいぶ熱いので、あまり長くは入れませんでしたね(苦笑)。
──日本代表のSH(スクラムハーフ)の茂野海人選手とはオークランド代表で一緒にプレーしていました。
カイトですね! もちろんよく知っていますよ。カイトとはオークランドで一緒にプレーしていて、トーナメント(ITMカップ=現Mitre10カップと呼ばれる州代表選手権)を戦いました。僕たちのチームは最後に負けてしまったけど、2015年に決勝戦まで進みました。カイトはいつもハードワークしていて、ひたむきで見習うべき選手でした。今年のスーパーラグビーの(自分が所属する)ブルーズ対(茂野選手の)サンウルブズ戦で久しぶりに会って話したんですけど、彼が日本代表としてワールドカップに出場するのをうれしく思います。半年前はまだ代表に選ばれるかどうかという状況でしたが、スーパーラグビーで実力を証明して、今や日本のナンバーワンのSHです。彼が努力の人だということを知っているので、それに値すると思います。
──セブンズ(7人制ラグビー)のニュージーランド代表で2016年リオオリンピックにも出場しました。実は今回の日本代表にもオリンピックで対戦した3人の選手(FL徳永祥尭選手、WTB福岡堅樹選手、レメキ・ロマノ・ラヴァ選手)がいるんですよ。
そうなんですか? それは知らなかったけど、もし日本代表と対戦することがあれば楽しみですね!
──ラグビーはいつから始めたのですか。ずっと同じポジションをしていたのでしょうか。
ラグビーは8歳の頃、はじめました。最初はSO(スタンドオフ)をやっていたんですけど、10代の頃からWTB(ウィング)もやるようになって、だんだん自分がWTBの方が面白いと思うようになりました。多分、走るのが好きなんだと思います。
──オールブラックスは試合の前に戦いの踊りである「ハカ」を披露しますよね。選手にとってハカとはどういう意味がありますか。
とても特別で大切なものです。ハカには僕たちのマオリの文化であったり、家族であったり、色々な意味が込められています。もちろん、オールブラックスとしてハカを踊ることは名誉でもあります。トレーニングの時にチームのみんなで練習をしますし、キックオフの前にハカを披露することで、僕たちオールブラックスがチームとしての団結力がさらに高まるような気持ちがして、気合いが入ります。観客の皆さんには、僕たちの文化を知ってもらうという意味でも、最初から最後まで注目してみてほしいなと思います。
──ところで、オールブラックスが踊るハカには「カ・マテ」と「カパ・オ・パンゴ」の2種類があるそうですが、どちらを踊るかは誰がどうやって決めるのですか?
ハカにはリーダーというのがいて、その人がコールをしたり他の選手たちを先導したりします。リーダーになる人は、基本的にマオリの血を引いていて、もちろん試合に出る23人のメンバーに入っていないといけません。今のオールブラックスで言えば、SH(スクラムハーフ)のTJペレナラです。ですからどちらを踊るかは、TJと、もちろんチームのキャプテンであるNo.8(ナンバーエイト)のキアラン・リードの2人が試合の前日に決めます。
──最後に、日本のファンもそして世界中からやってくるファンも、イオアネ選手のクリエイティブなプレー、とくにトライを期待していると思います。ファンに一言メッセージをいただけますか。
日本ではニュージーランドにいる時と同じくらいの声援をいつも皆さんが送ってくれるので、とても勇気づけられています。ワールドカップでもベストなパフォーマンスを皆さんの前でお見せできたらいいなと思っています。ありがとうございます。
【プロフィール】
リーコ・イオアネ
1997年生まれ。ニュージーランド・オークランド出身。スピードも突破力も兼ね備え、決定力も高い。2016年のリオデジャネイロ五輪にも出場。2017年からはオールブラックスの主力として活躍し、ワールドラグビーの新人賞に輝いた。今大会、ブレイクが期待されている若きエースWTB。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/rugby/2019/10/11/___split_48/

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ロヒンギャ若者ら サッカーチーム活動 館林の2世高校生中心、ビルマ民族と近く対戦

2019-10-12 | 先住民族関連
東京新聞 2019年10月11日
チームで練習する水野さん(右から2人目)=館林市で
 館林市などに住むミャンマーのイスラム教徒の少数民族、ロヒンギャの若者らでつくるサッカーチーム「サラマットFC」が、ほかの国や民族のチームと試合を続けている。ミャンマーでは、ロヒンギャは不法移民とされ、迫害を受けている人たちだ。サラマットFCは近く、ミャンマーの多数派ビルマ民族と対戦し、スポーツを通じた交流を図る予定だ。 (池田知之)
 チームを中心となってつくったのは、在日ロヒンギャ二世で館林市在住の高校一年水野守さん(16)だ。水野さんは館林生まれで国籍は日本。栃木県佐野市の青藍泰斗高に通っている。
 チームができたのは、ミャンマーでロヒンギャと治安部隊の衝突があった直後の二〇一七年秋だ。多数のロヒンギャが殺された事件に衝撃を受け、館林市内のモスクでは、大人たちは深刻そうに顔を突き合わせるばかりだった。中学一年でサッカーを始めていた水野さんは、皆に元気になってもらおうとチーム結成を決心。チーム名はアラビア語で「平和」の意味の「サラマット」から命名した。
 チームは週二回ほど市内のグラウンドで練習を続け、今では小学生から二十代の社会人までの約二十人が参加している。うち十五人がロヒンギャで、日本人やスリランカ人もいる。
 今年夏には初めての交流試合として、ミャンマーの別の少数民族やベトナム人チームと対戦した。近くビルマ民族や、在日コリアンのチームとも試合をする。
 水野さんを応援している会社経営の父アウンティンさん(51)は「アメリカやカナダなどにもロヒンギャがいる。チームが海外に行って、現地のロヒンギャのチームと対戦して輪が広がれば」と話す。
 水野さんは「サッカーをすればお互い知り合えるし、仲良くもできる」と確信する。「ロヒンギャとビルマ民族が試合をしたことを、ミャンマー政府にも知ってもらいたい」と、和平のために期待している。
<ロヒンギャ> 仏教徒が9割を占めるミャンマーで、西部ラカイン州に住むイスラム教徒少数民族。州全体の3分の1に相当する約100万人がいるとされる。大半が仏教徒の同国では、ロヒンギャは先住民族とされず、隣国バングラデシュなどからの不法移民とされ、国籍を持たない。2017年8月には同州でロヒンギャ武装勢力と治安部隊が衝突。ロヒンギャは殺人や性暴力など深刻な迫害を受け、70万人以上がバングラデシュに避難した。館林市には日本にいる約300人のロヒンギャのうち、9割の約260人が生活。もともと同市には、バングラデシュ人やパキスタン人による、イスラム教徒のコミュニティーがあったため、1990年代、ロヒンギャが定住を始めたという。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201910/CK2019101102000167.html

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Supreme 2019年秋冬コレクション発売アイテム - Week 7

2019-10-12 | 先住民族関連
HYPEBEAST 2019/10/11
10月12日(土)に日本展開を迎える〈Supreme〉2019年秋冬コレクション第3弾発売アイテムにクローズアップ

1994年にニューヨークでJames Jebbia(ジェームス・ジェビア)によって設立されたスケートショップのオリジナルブランドとしてスタートした〈Supreme(シュプリーム)〉。その後の〈Supreme〉の飛躍の軌跡は割愛させてもらうが、スケートボードカルチャーやストリートカルチャーの枠組みを超えて現在の様々なカルチャーシーンにおける最重要ブランドであることは言うまでもないだろう。
そしてつい先日、2019年2月~7月の19週にかけて展開された2019年春夏コレクションに次ぐ最新シーズンとして発表された2019年秋冬コレクション。8月24日(土)に日本立ち上げを迎えた同コレクションより第7弾発売アイテムの数々をご紹介。
今週のラインアップは、〈Vans(ヴァンズ)〉との最新コラボフットウェアと全9型展開となるTシャツコレクションをはじめ、Delta(デルタ)のグラフィックをあしらったフーディ、ビーニー、スケートボード、先住民族をオマージュした柄を全面採用したジャケット、パンツ、各種ヘッドウェアなどが並ぶ。
海外展開のみとなるアイテムも毎シーズンいくつか見受けられるために、全てが日本国内で展開されるのかは蓋を開けてみれば分からず、もしくは上のフォトギャラリーに写っていないアイテムが突如姿を現すことも考えられるが、まずはその最新アイテムの数々を確認してみてほしい。『HYPEBEAST』がお届けするその他の最新〈Supreme〉関連ニュースの数々もお見逃しなく。
https://hypebeast.com/jp/2019/10/supreme-2019-fall-winter-drops-week-7

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アイヌ クラフトを探して、ビームス「フェニカ」と北海道・阿寒湖へ。

2019-10-12 | アイヌ民族関連
PEN 2019.10.07
写真:永井泰史 文:牧野容子
セレクトショップ「BEAMS」の「フェニカ」が釧路市の阿寒湖温泉在住のつくり手とコラボレートして、アイヌ伝統のクラフトを現代の暮らしに活かすプロジェクトが進行中。ディレクターの北村恵子さんとともに、阿寒湖温泉のつくり手たちを訪ねる旅をレポートします。

阿寒湖畔は多くの著名な木彫家が拠点にしたことでも知られる。アイヌコタンではいまも新しい木彫作品が次々と生み出されている。
セレクトショップBEAMSで、“デザインとクラフトの橋渡し”をテーマに、衣食住をトータルで展開するレーベル「フェニカ」。企画やバイイングを手がけるのは、ディレクターのテリー・エリスさんと北村恵子さん。日本各地の伝統的な手仕事と世界の新旧デザインを融合させたスタイルを提案し、常に話題を呼んでいます。今回、二人が注目したのは北の大地、北海道。釧路市阿寒町阿寒湖温泉に暮らすつくり手たちとコラボレートして、アイヌの伝統を継ぐクラフト アイテムをつくっています。Pen Onlineではこのプロジェクトを2回に分けて紹介。第1回は北村さんと北海道阿寒湖温泉のアイヌコタンへ向かい、つくり手を訪ねる旅をレポート。続く第2回では、気になるアイヌ クラフトの詳細をご紹介します。
山と湖と森と川、大自然とともに生きるアイヌコタンの人々。
火山活動が続く雄阿寒岳の麓に広がる阿寒湖。春から秋、観光客には湖をゆったりと巡る遊覧船が人気で、早朝の湖面がうっすらと霧に包まれるシーンは幻想的。
北海道東部にある阿寒摩周国立公園は、原始の姿を残している国内でも貴重な公園の一つ。阿寒湖・屈斜路湖・摩周湖の3つの湖を擁し、区域内の約9割以上に手つかずの自然が保護されています。なかでも西側に位置する阿寒湖は緑のマリモが生育することで知られ、湖畔の小さな温泉街には阿寒湖アイヌコタンがあります。アイヌコタンとは、先住民族のアイヌの人々が暮らす集落のこと。阿寒湖アイヌコタンには現在、36世帯・約120人が生活し、街のメインストリートの両脇には民芸品店や土産店、飲食店などが並んでいます。
阿寒湖アイヌコタン。メインストリートではアイヌの人々にとっての守り神であるフクロウが迎え入れてくれる。坂道の両側にびっしりと店が立ち並ぶ。
三角屋根の木造の店が軒を連ねる。観光地らしく、多くの店でアイヌの民芸品が売られている。
20数軒の店舗がひしめくアイヌコタンの中心地。民芸品店にはクマやフクロウの置物を始め、アクセサリーや小物などの木彫作品、美しい文様の刺繍作品、楽器など、アイヌの工芸品が賑やかに並び、飲食店では伝統的なアイヌ料理や北海道の味覚を味わうことができます。民芸品店や土産店の中には、工房スペースを設け、そこで実際に制作を行うつくり手がいるところもあります。アイヌの人々にとって、工芸はお土産として売るためだけのものではなく、本来は暮らしの中で必要な技術として代々、継承されてきたもの。男性は彫刻を、女性は刺繍や機織り、ゴザの編み方などを親や祖父母から習い、身につけてきました。今回のプロジェクトのつくり手も、多くがそのような人たちです。
作品のラインナップが最終的に決まったのは約1年前。そこから本格的に制作がスタートした。仕上がりの状態をチェックする北村さん(左)と、木彫を手がける瀧口健吾さん(右)。
今回の「アイヌ クラフツ」プロジェクトがスタートするきっかけは、2年前のこと。「アイヌの文化に興味があって、以前から北海道に足を運んでいましたが、阿寒湖アイヌコタンを訪れたのは、その時が2回目でした」と話す北村さん。
「現地で伝統を守りつつ独自の感性を取り入れて作品をつくっている若手のアーティストたちと出会い、その作品に魅了されたことが、今回の企画の立ち上げにつながりました」
以来、北村さんとエリスさんは2年間で十数回、時にはプライベートでも阿寒湖を訪れて、つくり手たちとのやり取りを続けながら制作を見守ってきました。木彫作品を手がける瀧口健吾さんも、その若き担い手の一人です。
店内に所狭しと飾られた木彫作品。その中には父、政満さんの作品も。木彫りのクマはかつて北海道土産の定番だったが、近年、再び新たなブームを呼んでいる。
店を営業する傍ら、木彫に打ち込む瀧口さん。中学を卒業後いったん日本を離れ、オーストラリアに留学。現地でバードカービングなどの彫刻を学んだ。
瀧口さんは、亡き父・政満さんが遺した「イチンゲの店」を切り盛りしながら木彫作品をつくっています。
「父の瀧口政満さんは阿寒湖を代表する木彫作家の一人でした。後を継いだ息子の健吾さんは若手とはいえ、クラフトコンテストで賞を受賞するなど実力もあり、小さい頃からお父さんの仕事をそばで見て育っているせいか、作品になんともいえない素朴さと温かみを感じます」と北村さん。
瀧口さんは今回の企画でクマの置物やサラダサーバーセット、バターナイフ、チシポ(アイヌの針入れ)などをつくっています。
白いバターナイフはシラカバの木からつくる。持ち手部分には伝統的なアイヌ文様をもとにした模様を彫った。「渦のような模様は力が宿るようなイメージ」と話す瀧口さん。
炭のみで着色する瀧口さんの木彫りのクマは、3タイプが完成する予定。なんともいえない愛くるしい表情も印象的だ。
「お店を初めて訪ねた時、柱に飾られた木製のスプーンやヘラを見つけ、心を惹かれました」と北村さんが振り返ります。
「ヴィンテージ感のあるデンマークのカトラリーかと思ったら、昔、お父さんがつくったものだとわかりました。素朴さの中に実用性と芸術性を兼ね備え、インテリアとしても楽しめる」。そんな作品を今回はサラダサーバーとして、瀧口さんに依頼したそうです。
「あれは父が母のためにつくったものでした。母は左利きなので、ヘラの反り具合が左利き仕様になっているのです。僕も今回、使ってくださる人たちのことを考えながら1本1本、つくりました」と瀧口さん。今回はもともとアイヌの人たちが使うことのなかったバターナイフにも挑戦。デザインはシンプルですが、持ち手の部分にアイヌの文様が彫られています。
アイヌの刀下げ帯・エムシアツを原型に、ブレスレットを手がける。
本格的な料理が楽しめる、アイヌ料理の店民芸喫茶「ポロンノ」を夫婦で経営する郷右近富貴子(右)さんと北村さん(左)。壁にはガマでつくった敷物「チタラペ」や楽器「トンコリ」などアイヌの民芸品がたくさん飾られている。
富貴子さんが二十代の頃に、初めて自分一人でつくってみたという「エムシアッ」。男性が儀礼の際に刀を身につけるための帯だ。これをもとに今回のブレスレットが生まれた。
郷右近富貴子さんは、祖母の遠山サキさんからアイヌの手仕事を受け継ぎました。サキさんはアイヌ文化伝承者として、各地で手仕事の講座を開くなど、熱心な活動でも知られていた女性です。
「子供の頃から祖母の家に行くといつも、“ほら私がやっているのを見て、手仕事覚えなさい”と言われ、姉と一緒に習っていました。アイヌだからというよりも、女性の仕事として覚えておけ、という感じでしたね」と富貴子さん。
二十代の頃に初めて自分で完成させたというエムシアッ(刀下げ帯)は、アイヌの男性が儀礼の際に刀を身につけるための帯。オヒョウという木の内皮やイラクサという草などを材料にして糸をつくる作業から始めるので、完成までかなりの時間を要します。
オヒョウの木の内皮を乾燥させて細長く裂いたもの。これを紡いで糸にして、ブレスレットのタテ糸として使う。
エゾシカの革を両脇に縫いつけていく。
「せっかくエムシアッのつくり方を覚えたので、次は同じ手法でもっと普段から使えるものをつくってみたいと思いました。それでブレスレットをつくってアイヌの作品展に出品したら、入賞して……。ばーちゃんに報告したら、よくやったなと、すごく喜んでくれました」と富貴子さん。
その後も幾つかブレスレットをつくり、自分の作品として店のショーケースに展示していたところ、2年前に北村さんとエリスさんの目に留まったのです。
「地元の山に材料を採りに行き、長い時間と手間をかけてつくられる富貴子さんのブレスレットは、まさに阿寒の大自然の営みがそのまま編み込まれているようです」と北村さん。
「ブルーだけを使うパターンで進めていましたが、編んでいるうちにちょっとだけ赤を入れたくなって、入れてみました」という富貴子さん。エムシアッの柄をそのまま生かしたパターンもできあがった。
オヒョウの木の皮やイラクサ、ツルウメモドキなどの植物からつくった糸をベースに、草木染めの木綿糸を加えて編みあげる富貴子さんのブレスレット。祖母のサキさんが好んで使う伝統的アイヌ文様を含めて、数種類の柄が完成しました。
「苦心したのは留めの部分です。自分自身でつくっている段階でも、どうすればスマートにかっこよくできるかというのが悩みの種でした。それが今回、北村さんとエリスさんと話し合いを重ねながら試行錯誤した結果、シカの角をボタンにして使うことで見た目も良く、とても留めやすくなりました」。
「シカの角を使うのは北方民族のサーミ族のブレスレットがヒントになっています。エゾシカを素材とすることで、北海道らしさもさらに加わりました」と北村さんが続けます。
まるで運命に導かれるようにアイヌと阿寒湖に惹き寄せられたというAgueさん。まさに“事実は小説よりも奇なり”。
99年に最初につくって以来、年々、進化を遂げているクマのリング。リアルなほどの毛並みを描き、トルコ石を嵌め込んだこのバージョンは、かなり重厚なつくり。
阿寒湖アイヌコタンから国道240号線を東にクルマで約2分。木々の緑を背にしたウッドハウスが見えてきます。シルバージュエリー作家のAgueこと下倉洋之さんは、アイヌに魅了されて阿寒湖に通い詰め、6年前に東京から家族と一緒に移住してきました。
「アイヌ文様をもとにしたデザインのシルバーアクセサリーは、自然とともに暮らすアイヌの人たちの豊かな精神性を感じさせます」と北村さん。
「アイヌの文化に惹かれて毎年のように北海道に遊びに来るうち、阿寒湖にすごいクマの木彫家がいると聞いて、初めてここに来たのが1999年。それが藤戸竹喜さんとの出会いでした。彼の木彫りのクマに衝撃を受けて、なぜか僕は“いつかこの作品を倒す”と思ってしまった。それで1年間、自分の作品づくりを頑張って、翌年また藤戸さんの作品を見に阿寒湖に来て、また打ちのめされて帰って作品をつくって……ということを毎年やっていたんです」とAgueさんが振り返ります。
アトリエ兼カフェ・ギャラリーのウッドハウスで制作中のAgueさん。銀板を打ち出して球状にしたものに、さまざまなアイヌの文様を刻印していく。
今回の「アイヌ クラフツ」のために考案されたニュー・バージョンのクマのリング。
奇しくも藤戸さんに出会う前から、オリジナルのクマのリングをつくっていたAgueさん。藤戸さんに挑むべく毎年、それをブラッシュアップさせながら、他の作品づくりにも励んでいったそうです。また、99年にはさらなる出会いも。
「東京で知り合った女性がアイヌの人で、なんと阿寒湖アイヌコタンの出身だったのです。それがいまの妻……。やっぱり僕は導かれていたのかもしれません(笑)」
20年間、節目節目でつくっているクマのリングは、Agueさん自身の思い入れもひとしおです。
「今回は、カジュアルに普段づかいいしやすいように、毛並みを抽象化した、面取りのような仕上げにしていただきました。クマはアイヌの人々にとって偉大な神のひとつ。Agueさんはそれを意識的に表現しているわけではないけれど、大切に思う心がしっかり宿っているように思いますね」と北村さん。
作品が展示されているAgueさんのアトリエ兼カフェ・ギャラリーにて。
つくり手、そしてアイヌの伝承者として。
祖母と母からアイヌの手仕事と歌と踊りを継承した下倉絵美さん(左)と郷右近富貴子さん(右)。富貴子さんはムックリ(竹製口琴)という楽器の名人でもある。「お二人の歌声は、心地よく心に響いてきますね」と北村さん。
今回のプロジェクトに参加している阿寒湖のつくり手の中に、ひと組の姉妹がいます。それが下倉絵美さんと、先ほど登場した妹の郷右近富貴子さんです。富貴子さんも話していたように、二人は子どもの頃から祖母の遠山サキさんにさまざまな手仕事を教わりました。さらに、アイヌの舞踊や民謡も。絵美さんと富貴子さんはカピウ&アパッポというユニットを組み、アイヌのウポポ(民謡)を歌う活動も続けています。カピウはアイヌ語で「カモメ」、アパッポは「花」を意味しています。また、今回、絵美さんはアイヌに伝わる「チタラペ」(儀礼用のゴザ)の手法を使って新たにバッグを制作しました。
絵美さんの制作現場。木製の素朴な織り機を使い、石を重しにしてガマの茎を1本ずつ並べながら編んでいく
ガマの編み目をベースに布を編み込んで模様をつくる。赤と紺のコントラストは伝統的なアイヌの色の組み合わせの一つ。
チタラペは水辺に生える植物、ガマの茎を編んで作るゴザで、主に敷物として使われます。染めた木の皮などを編み込んだ模様入りのチタラペは、「チセノミ」(家の竣工祝い)や「イオマンテ」(クマの霊送り)などの儀礼に使われてきました。
「もともとフラットな平面のものを、バッグのような四角い立体にしてもらうのにいろいろと工夫が必要で、絵美さんにはいくつもサンプルをつくっていただきました。おかげさまでとても美しいものが出来上がりました」と北村さんも大満足。
「ガマを編んで立体にするということでは、アイヌでは昔から枕がつくられていましたが、自立して置くことができるバッグは初めての試みでした」と絵美さん。
「千島や樺太を除くアイヌの人たちには、カゴを手で持って使う習慣はなく、肩から掛けるタイプばかりでした。だから今回、持ち手のあるカゴをつくったら面白いのではないかと思った」と北村さん。絵美さんもガマでバッグの持ち手をつくったのは初めての経験だった。
今回は阿寒湖に来ることができなかったロンドンのエリスさんに、スマホからメールで完成品の写真を送信すると、すぐに「ビューティフル!」と感激の電話が。
実は絵美さんはジュエリー作家Agueさんの妻であり、Agueさんの作品のアイヌ文様のデザインなども手がけています。
「日常的に家事や子育てに追われる中で、今回のバッグ制作にも挑戦していただいて、時間のやりくりは本当に大変だったと思います」と北村さん。
かたや絵美さんは、とても新鮮で楽しい時間だった、といいます。
「一番悩んだのは、持ち手をどうするかということ。お二人が阿寒にいらっしゃるたびにああしよう、こうしようと話し合って……。手にした時のちょうどいいサイズ感なども教えていただいて、とても勉強になりました。また、材料のガマを自分で調達するところから始めたので、植物が育つ環境がものづくりにいかに大切かということを、改めて真剣に考えるようになりました。今回の仕事を通していろいろな気づきをいただいたと思っています」
阿寒湖畔の緑の森を散策する鰹屋エリカさんと北村恵子さん。アイヌ舞踊の踊り手でもあるエリカさんは、自然の中で踊ることが大好きだという。
アイヌの伝統的な衣服にはさまざまな文様が刺繍されています。刺繍は代々、女性の仕事として継承されてきました。鰹屋エリカさんも、子どもの頃から祖母や母が刺繍をする姿を見てきたといいます。
「私の母は踊り手として舞台に立つことも多かったのですが、控室でもよく刺繍をしていました。私の着物にもよく刺繍をしてくれました。きれいだなと思って自分でもやってみたのは、17歳〜18歳の頃でしたね」と話すエリカさん。
北村さんは初めてエリカさんの刺繍を見たとき、その色づかいに魅了されたそうです。
「小さな小物入れでしたが、優しいけど力強い色合いがとてもいいなあと思いました。今回はライナーコートと巾着袋に刺繍をしていただきました」
巾着袋には写真の2色と古い風呂敷の布の3種類を用意。刺繍は「フクロウ」や「花」の文様を採用した。裏側にもお楽しみが。
「ライナーコートはテープの長さに合わせて刺繍文様のサイズを決めていきました」とエリカさん。
巾着袋は、フェニカのイメージカラーであるインディゴと藍色、さらに生成りの古い風呂敷、という3種類の生地に刺繍を施したもの。ライナーコートはアイヌのアットゥシ(オヒョウの木の皮から作った糸で織り上げた着物)からインスピレーションを得て、刺繍入りのテープ飾りが付いています。
「コートに使うテープの生地は初めて経験する固さで、針を通すのがなかなか大変でした。指を保護する指貫を使うことも考えましたが、そうすると普段の指の感覚ではなくなってしまうので、それはしたくなかった」とエリカさん。北村さんも「まさにひと針ひと針、思いを込めてつくっていただきました」と話します。エリカさんの小学生の娘さんも、最近、刺繍に興味を持ち始めたのだそうです。
「私も祖母や母に教えられたように、自分の子どもにも教えていきたいと思っています。祖母や母がよく使った模様に自分のアイディアを組み合わせて新しい模様をつくったりすることもあるのですが、娘もそうやって自分の刺繍をつくってくれたらいいなと思ったり……まだちょっと早いかな(笑)」
阿寒湖アイヌコタンの若きアーティストたち。それぞれの作品を持って集まってくれた。
刺繍の鰹屋エリカさんも、下倉絵美さんや郷右近富貴子さんのように、アイヌ舞踊の伝承者として、地元の小学生に指導をしたり、イベントに出演するなどして活躍しています。
「阿寒湖のつくり手さんは、みなさん本来の仕事をもちながら、今回の作品づくりに時間を捻出していただいて、そのなかでこれほどクオリティの高いものをつくり上げていただいたことに心から感謝です」という北村さん。こうして完成したアイヌのクラフトが、10月12日(土)から東京・新宿のビームスジャパン 5F「fennica STUDIO」に勢揃いします。会場で、それぞれの作品をぜひ手にとって、アイヌの手仕事の技術の高さ、奥深さを感じてください。
※続く後編(10 月10日公開予定)では、完成したアイヌクラフトのアイテムを詳しく紹介します。
https://www.pen-online.jp/feature/culture/ainu_cfafts/4

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