PEN 2019.10.07
写真:永井泰史 文:牧野容子
セレクトショップ「BEAMS」の「フェニカ」が釧路市の阿寒湖温泉在住のつくり手とコラボレートして、アイヌ伝統のクラフトを現代の暮らしに活かすプロジェクトが進行中。ディレクターの北村恵子さんとともに、阿寒湖温泉のつくり手たちを訪ねる旅をレポートします。
阿寒湖畔は多くの著名な木彫家が拠点にしたことでも知られる。アイヌコタンではいまも新しい木彫作品が次々と生み出されている。
セレクトショップBEAMSで、“デザインとクラフトの橋渡し”をテーマに、衣食住をトータルで展開するレーベル「フェニカ」。企画やバイイングを手がけるのは、ディレクターのテリー・エリスさんと北村恵子さん。日本各地の伝統的な手仕事と世界の新旧デザインを融合させたスタイルを提案し、常に話題を呼んでいます。今回、二人が注目したのは北の大地、北海道。釧路市阿寒町阿寒湖温泉に暮らすつくり手たちとコラボレートして、アイヌの伝統を継ぐクラフト アイテムをつくっています。Pen Onlineではこのプロジェクトを2回に分けて紹介。第1回は北村さんと北海道阿寒湖温泉のアイヌコタンへ向かい、つくり手を訪ねる旅をレポート。続く第2回では、気になるアイヌ クラフトの詳細をご紹介します。
山と湖と森と川、大自然とともに生きるアイヌコタンの人々。
火山活動が続く雄阿寒岳の麓に広がる阿寒湖。春から秋、観光客には湖をゆったりと巡る遊覧船が人気で、早朝の湖面がうっすらと霧に包まれるシーンは幻想的。
北海道東部にある阿寒摩周国立公園は、原始の姿を残している国内でも貴重な公園の一つ。阿寒湖・屈斜路湖・摩周湖の3つの湖を擁し、区域内の約9割以上に手つかずの自然が保護されています。なかでも西側に位置する阿寒湖は緑のマリモが生育することで知られ、湖畔の小さな温泉街には阿寒湖アイヌコタンがあります。アイヌコタンとは、先住民族のアイヌの人々が暮らす集落のこと。阿寒湖アイヌコタンには現在、36世帯・約120人が生活し、街のメインストリートの両脇には民芸品店や土産店、飲食店などが並んでいます。
阿寒湖アイヌコタン。メインストリートではアイヌの人々にとっての守り神であるフクロウが迎え入れてくれる。坂道の両側にびっしりと店が立ち並ぶ。
三角屋根の木造の店が軒を連ねる。観光地らしく、多くの店でアイヌの民芸品が売られている。
20数軒の店舗がひしめくアイヌコタンの中心地。民芸品店にはクマやフクロウの置物を始め、アクセサリーや小物などの木彫作品、美しい文様の刺繍作品、楽器など、アイヌの工芸品が賑やかに並び、飲食店では伝統的なアイヌ料理や北海道の味覚を味わうことができます。民芸品店や土産店の中には、工房スペースを設け、そこで実際に制作を行うつくり手がいるところもあります。アイヌの人々にとって、工芸はお土産として売るためだけのものではなく、本来は暮らしの中で必要な技術として代々、継承されてきたもの。男性は彫刻を、女性は刺繍や機織り、ゴザの編み方などを親や祖父母から習い、身につけてきました。今回のプロジェクトのつくり手も、多くがそのような人たちです。
作品のラインナップが最終的に決まったのは約1年前。そこから本格的に制作がスタートした。仕上がりの状態をチェックする北村さん(左)と、木彫を手がける瀧口健吾さん(右)。
今回の「アイヌ クラフツ」プロジェクトがスタートするきっかけは、2年前のこと。「アイヌの文化に興味があって、以前から北海道に足を運んでいましたが、阿寒湖アイヌコタンを訪れたのは、その時が2回目でした」と話す北村さん。
「現地で伝統を守りつつ独自の感性を取り入れて作品をつくっている若手のアーティストたちと出会い、その作品に魅了されたことが、今回の企画の立ち上げにつながりました」
以来、北村さんとエリスさんは2年間で十数回、時にはプライベートでも阿寒湖を訪れて、つくり手たちとのやり取りを続けながら制作を見守ってきました。木彫作品を手がける瀧口健吾さんも、その若き担い手の一人です。
店内に所狭しと飾られた木彫作品。その中には父、政満さんの作品も。木彫りのクマはかつて北海道土産の定番だったが、近年、再び新たなブームを呼んでいる。
店を営業する傍ら、木彫に打ち込む瀧口さん。中学を卒業後いったん日本を離れ、オーストラリアに留学。現地でバードカービングなどの彫刻を学んだ。
瀧口さんは、亡き父・政満さんが遺した「イチンゲの店」を切り盛りしながら木彫作品をつくっています。
「父の瀧口政満さんは阿寒湖を代表する木彫作家の一人でした。後を継いだ息子の健吾さんは若手とはいえ、クラフトコンテストで賞を受賞するなど実力もあり、小さい頃からお父さんの仕事をそばで見て育っているせいか、作品になんともいえない素朴さと温かみを感じます」と北村さん。
瀧口さんは今回の企画でクマの置物やサラダサーバーセット、バターナイフ、チシポ(アイヌの針入れ)などをつくっています。
白いバターナイフはシラカバの木からつくる。持ち手部分には伝統的なアイヌ文様をもとにした模様を彫った。「渦のような模様は力が宿るようなイメージ」と話す瀧口さん。
炭のみで着色する瀧口さんの木彫りのクマは、3タイプが完成する予定。なんともいえない愛くるしい表情も印象的だ。
「お店を初めて訪ねた時、柱に飾られた木製のスプーンやヘラを見つけ、心を惹かれました」と北村さんが振り返ります。
「ヴィンテージ感のあるデンマークのカトラリーかと思ったら、昔、お父さんがつくったものだとわかりました。素朴さの中に実用性と芸術性を兼ね備え、インテリアとしても楽しめる」。そんな作品を今回はサラダサーバーとして、瀧口さんに依頼したそうです。
「あれは父が母のためにつくったものでした。母は左利きなので、ヘラの反り具合が左利き仕様になっているのです。僕も今回、使ってくださる人たちのことを考えながら1本1本、つくりました」と瀧口さん。今回はもともとアイヌの人たちが使うことのなかったバターナイフにも挑戦。デザインはシンプルですが、持ち手の部分にアイヌの文様が彫られています。
アイヌの刀下げ帯・エムシアツを原型に、ブレスレットを手がける。
本格的な料理が楽しめる、アイヌ料理の店民芸喫茶「ポロンノ」を夫婦で経営する郷右近富貴子(右)さんと北村さん(左)。壁にはガマでつくった敷物「チタラペ」や楽器「トンコリ」などアイヌの民芸品がたくさん飾られている。
富貴子さんが二十代の頃に、初めて自分一人でつくってみたという「エムシアッ」。男性が儀礼の際に刀を身につけるための帯だ。これをもとに今回のブレスレットが生まれた。
郷右近富貴子さんは、祖母の遠山サキさんからアイヌの手仕事を受け継ぎました。サキさんはアイヌ文化伝承者として、各地で手仕事の講座を開くなど、熱心な活動でも知られていた女性です。
「子供の頃から祖母の家に行くといつも、“ほら私がやっているのを見て、手仕事覚えなさい”と言われ、姉と一緒に習っていました。アイヌだからというよりも、女性の仕事として覚えておけ、という感じでしたね」と富貴子さん。
二十代の頃に初めて自分で完成させたというエムシアッ(刀下げ帯)は、アイヌの男性が儀礼の際に刀を身につけるための帯。オヒョウという木の内皮やイラクサという草などを材料にして糸をつくる作業から始めるので、完成までかなりの時間を要します。
オヒョウの木の内皮を乾燥させて細長く裂いたもの。これを紡いで糸にして、ブレスレットのタテ糸として使う。
エゾシカの革を両脇に縫いつけていく。
「せっかくエムシアッのつくり方を覚えたので、次は同じ手法でもっと普段から使えるものをつくってみたいと思いました。それでブレスレットをつくってアイヌの作品展に出品したら、入賞して……。ばーちゃんに報告したら、よくやったなと、すごく喜んでくれました」と富貴子さん。
その後も幾つかブレスレットをつくり、自分の作品として店のショーケースに展示していたところ、2年前に北村さんとエリスさんの目に留まったのです。
「地元の山に材料を採りに行き、長い時間と手間をかけてつくられる富貴子さんのブレスレットは、まさに阿寒の大自然の営みがそのまま編み込まれているようです」と北村さん。
「ブルーだけを使うパターンで進めていましたが、編んでいるうちにちょっとだけ赤を入れたくなって、入れてみました」という富貴子さん。エムシアッの柄をそのまま生かしたパターンもできあがった。
オヒョウの木の皮やイラクサ、ツルウメモドキなどの植物からつくった糸をベースに、草木染めの木綿糸を加えて編みあげる富貴子さんのブレスレット。祖母のサキさんが好んで使う伝統的アイヌ文様を含めて、数種類の柄が完成しました。
「苦心したのは留めの部分です。自分自身でつくっている段階でも、どうすればスマートにかっこよくできるかというのが悩みの種でした。それが今回、北村さんとエリスさんと話し合いを重ねながら試行錯誤した結果、シカの角をボタンにして使うことで見た目も良く、とても留めやすくなりました」。
「シカの角を使うのは北方民族のサーミ族のブレスレットがヒントになっています。エゾシカを素材とすることで、北海道らしさもさらに加わりました」と北村さんが続けます。
まるで運命に導かれるようにアイヌと阿寒湖に惹き寄せられたというAgueさん。まさに“事実は小説よりも奇なり”。
99年に最初につくって以来、年々、進化を遂げているクマのリング。リアルなほどの毛並みを描き、トルコ石を嵌め込んだこのバージョンは、かなり重厚なつくり。
阿寒湖アイヌコタンから国道240号線を東にクルマで約2分。木々の緑を背にしたウッドハウスが見えてきます。シルバージュエリー作家のAgueこと下倉洋之さんは、アイヌに魅了されて阿寒湖に通い詰め、6年前に東京から家族と一緒に移住してきました。
「アイヌ文様をもとにしたデザインのシルバーアクセサリーは、自然とともに暮らすアイヌの人たちの豊かな精神性を感じさせます」と北村さん。
「アイヌの文化に惹かれて毎年のように北海道に遊びに来るうち、阿寒湖にすごいクマの木彫家がいると聞いて、初めてここに来たのが1999年。それが藤戸竹喜さんとの出会いでした。彼の木彫りのクマに衝撃を受けて、なぜか僕は“いつかこの作品を倒す”と思ってしまった。それで1年間、自分の作品づくりを頑張って、翌年また藤戸さんの作品を見に阿寒湖に来て、また打ちのめされて帰って作品をつくって……ということを毎年やっていたんです」とAgueさんが振り返ります。
アトリエ兼カフェ・ギャラリーのウッドハウスで制作中のAgueさん。銀板を打ち出して球状にしたものに、さまざまなアイヌの文様を刻印していく。
今回の「アイヌ クラフツ」のために考案されたニュー・バージョンのクマのリング。
奇しくも藤戸さんに出会う前から、オリジナルのクマのリングをつくっていたAgueさん。藤戸さんに挑むべく毎年、それをブラッシュアップさせながら、他の作品づくりにも励んでいったそうです。また、99年にはさらなる出会いも。
「東京で知り合った女性がアイヌの人で、なんと阿寒湖アイヌコタンの出身だったのです。それがいまの妻……。やっぱり僕は導かれていたのかもしれません(笑)」
20年間、節目節目でつくっているクマのリングは、Agueさん自身の思い入れもひとしおです。
「今回は、カジュアルに普段づかいいしやすいように、毛並みを抽象化した、面取りのような仕上げにしていただきました。クマはアイヌの人々にとって偉大な神のひとつ。Agueさんはそれを意識的に表現しているわけではないけれど、大切に思う心がしっかり宿っているように思いますね」と北村さん。
作品が展示されているAgueさんのアトリエ兼カフェ・ギャラリーにて。
つくり手、そしてアイヌの伝承者として。
祖母と母からアイヌの手仕事と歌と踊りを継承した下倉絵美さん(左)と郷右近富貴子さん(右)。富貴子さんはムックリ(竹製口琴)という楽器の名人でもある。「お二人の歌声は、心地よく心に響いてきますね」と北村さん。
今回のプロジェクトに参加している阿寒湖のつくり手の中に、ひと組の姉妹がいます。それが下倉絵美さんと、先ほど登場した妹の郷右近富貴子さんです。富貴子さんも話していたように、二人は子どもの頃から祖母の遠山サキさんにさまざまな手仕事を教わりました。さらに、アイヌの舞踊や民謡も。絵美さんと富貴子さんはカピウ&アパッポというユニットを組み、アイヌのウポポ(民謡)を歌う活動も続けています。カピウはアイヌ語で「カモメ」、アパッポは「花」を意味しています。また、今回、絵美さんはアイヌに伝わる「チタラペ」(儀礼用のゴザ)の手法を使って新たにバッグを制作しました。
絵美さんの制作現場。木製の素朴な織り機を使い、石を重しにしてガマの茎を1本ずつ並べながら編んでいく
ガマの編み目をベースに布を編み込んで模様をつくる。赤と紺のコントラストは伝統的なアイヌの色の組み合わせの一つ。
チタラペは水辺に生える植物、ガマの茎を編んで作るゴザで、主に敷物として使われます。染めた木の皮などを編み込んだ模様入りのチタラペは、「チセノミ」(家の竣工祝い)や「イオマンテ」(クマの霊送り)などの儀礼に使われてきました。
「もともとフラットな平面のものを、バッグのような四角い立体にしてもらうのにいろいろと工夫が必要で、絵美さんにはいくつもサンプルをつくっていただきました。おかげさまでとても美しいものが出来上がりました」と北村さんも大満足。
「ガマを編んで立体にするということでは、アイヌでは昔から枕がつくられていましたが、自立して置くことができるバッグは初めての試みでした」と絵美さん。
「千島や樺太を除くアイヌの人たちには、カゴを手で持って使う習慣はなく、肩から掛けるタイプばかりでした。だから今回、持ち手のあるカゴをつくったら面白いのではないかと思った」と北村さん。絵美さんもガマでバッグの持ち手をつくったのは初めての経験だった。
今回は阿寒湖に来ることができなかったロンドンのエリスさんに、スマホからメールで完成品の写真を送信すると、すぐに「ビューティフル!」と感激の電話が。
実は絵美さんはジュエリー作家Agueさんの妻であり、Agueさんの作品のアイヌ文様のデザインなども手がけています。
「日常的に家事や子育てに追われる中で、今回のバッグ制作にも挑戦していただいて、時間のやりくりは本当に大変だったと思います」と北村さん。
かたや絵美さんは、とても新鮮で楽しい時間だった、といいます。
「一番悩んだのは、持ち手をどうするかということ。お二人が阿寒にいらっしゃるたびにああしよう、こうしようと話し合って……。手にした時のちょうどいいサイズ感なども教えていただいて、とても勉強になりました。また、材料のガマを自分で調達するところから始めたので、植物が育つ環境がものづくりにいかに大切かということを、改めて真剣に考えるようになりました。今回の仕事を通していろいろな気づきをいただいたと思っています」
阿寒湖畔の緑の森を散策する鰹屋エリカさんと北村恵子さん。アイヌ舞踊の踊り手でもあるエリカさんは、自然の中で踊ることが大好きだという。
アイヌの伝統的な衣服にはさまざまな文様が刺繍されています。刺繍は代々、女性の仕事として継承されてきました。鰹屋エリカさんも、子どもの頃から祖母や母が刺繍をする姿を見てきたといいます。
「私の母は踊り手として舞台に立つことも多かったのですが、控室でもよく刺繍をしていました。私の着物にもよく刺繍をしてくれました。きれいだなと思って自分でもやってみたのは、17歳〜18歳の頃でしたね」と話すエリカさん。
北村さんは初めてエリカさんの刺繍を見たとき、その色づかいに魅了されたそうです。
「小さな小物入れでしたが、優しいけど力強い色合いがとてもいいなあと思いました。今回はライナーコートと巾着袋に刺繍をしていただきました」
巾着袋には写真の2色と古い風呂敷の布の3種類を用意。刺繍は「フクロウ」や「花」の文様を採用した。裏側にもお楽しみが。
「ライナーコートはテープの長さに合わせて刺繍文様のサイズを決めていきました」とエリカさん。
巾着袋は、フェニカのイメージカラーであるインディゴと藍色、さらに生成りの古い風呂敷、という3種類の生地に刺繍を施したもの。ライナーコートはアイヌのアットゥシ(オヒョウの木の皮から作った糸で織り上げた着物)からインスピレーションを得て、刺繍入りのテープ飾りが付いています。
「コートに使うテープの生地は初めて経験する固さで、針を通すのがなかなか大変でした。指を保護する指貫を使うことも考えましたが、そうすると普段の指の感覚ではなくなってしまうので、それはしたくなかった」とエリカさん。北村さんも「まさにひと針ひと針、思いを込めてつくっていただきました」と話します。エリカさんの小学生の娘さんも、最近、刺繍に興味を持ち始めたのだそうです。
「私も祖母や母に教えられたように、自分の子どもにも教えていきたいと思っています。祖母や母がよく使った模様に自分のアイディアを組み合わせて新しい模様をつくったりすることもあるのですが、娘もそうやって自分の刺繍をつくってくれたらいいなと思ったり……まだちょっと早いかな(笑)」
阿寒湖アイヌコタンの若きアーティストたち。それぞれの作品を持って集まってくれた。
刺繍の鰹屋エリカさんも、下倉絵美さんや郷右近富貴子さんのように、アイヌ舞踊の伝承者として、地元の小学生に指導をしたり、イベントに出演するなどして活躍しています。
「阿寒湖のつくり手さんは、みなさん本来の仕事をもちながら、今回の作品づくりに時間を捻出していただいて、そのなかでこれほどクオリティの高いものをつくり上げていただいたことに心から感謝です」という北村さん。こうして完成したアイヌのクラフトが、10月12日(土)から東京・新宿のビームスジャパン 5F「fennica STUDIO」に勢揃いします。会場で、それぞれの作品をぜひ手にとって、アイヌの手仕事の技術の高さ、奥深さを感じてください。
※続く後編(10 月10日公開予定)では、完成したアイヌクラフトのアイテムを詳しく紹介します。
https://www.pen-online.jp/feature/culture/ainu_cfafts/4