河北新報 2017/07/27
青森県南部町教委は25日、中世の南部氏の居城だった国史跡聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)から、アイヌ民族の「シロシ」と呼ばれる刻印が入った染付皿(そめつけざら)が見つかったと発表した。本州からは初の出土で、町教委は「南部氏の居城に、アイヌも居住していた可能性が高まった」と説明する。
見つかったのは15世紀後半~16世紀初めに流通していた中国産の染付皿の一部。掘立柱建物跡の東端から出土した。底に5センチと4.3センチの直線が交わったバツ印が施されており、刻印は金属で引っかいて付けられたとみられる。
聖寿寺館跡では過去の調査で、アイヌのものとみられる骨角器やガラス玉が出土していた。今回の発見について、アイヌを研究する弘前大の関根達人教授は「アイヌがいたことは分かっていたが、中世の城館で和人(アイヌ以外の日本人)と共に住んでいたことが意義深い」と言う。
本州のアイヌの実態は不明な点も多く、史跡聖寿寺館跡調査整備委員会の三浦圭介委員長は「アイヌの歴史を研究する上で非常に大きな発見」と指摘。関根教授は「本州のアイヌは影が薄かったが、生きていた証拠があった」と話した。
出土した皿は28日から同町小向の史跡聖寿寺館跡案内所で公開される。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170727_33046.html
青森県南部町教委は25日、中世の南部氏の居城だった国史跡聖寿寺館跡(しょうじゅじたてあと)から、アイヌ民族の「シロシ」と呼ばれる刻印が入った染付皿(そめつけざら)が見つかったと発表した。本州からは初の出土で、町教委は「南部氏の居城に、アイヌも居住していた可能性が高まった」と説明する。
見つかったのは15世紀後半~16世紀初めに流通していた中国産の染付皿の一部。掘立柱建物跡の東端から出土した。底に5センチと4.3センチの直線が交わったバツ印が施されており、刻印は金属で引っかいて付けられたとみられる。
聖寿寺館跡では過去の調査で、アイヌのものとみられる骨角器やガラス玉が出土していた。今回の発見について、アイヌを研究する弘前大の関根達人教授は「アイヌがいたことは分かっていたが、中世の城館で和人(アイヌ以外の日本人)と共に住んでいたことが意義深い」と言う。
本州のアイヌの実態は不明な点も多く、史跡聖寿寺館跡調査整備委員会の三浦圭介委員長は「アイヌの歴史を研究する上で非常に大きな発見」と指摘。関根教授は「本州のアイヌは影が薄かったが、生きていた証拠があった」と話した。
出土した皿は28日から同町小向の史跡聖寿寺館跡案内所で公開される。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201707/20170727_33046.html