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危機的言語サミット、道内開催打診 文化庁 道は受け入れ検討

2016-11-12 | アイヌ民族関連
北海道新聞 11/12 05:00
 文化庁が、「危機的な状況にある言語・方言 サミット 」の来年度の道内開催を道に打診をしていることが11日、分かった。サミットは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が消滅の危機にあると認定したアイヌ語など国内8言語・方言の継承方法などを発表し合う場で、道は受け入れに向けて検討を進めている。
 ユネスコは2009年、消滅の危機にある言語・方言を公表。言語のアイヌ語は5段階評価で最も危機的な「極めて深刻」と位置付けた。他の七つはすべて方言で、沖縄の八重山と与那国は2番目に危機的な「重大な危機」とした。
 こうした言語・方言が残る地域でのサミットは、14年度に東京・八丈島で初めて開かれた。15年度は那覇市であり、本年度は13日に鹿児島・与論島で開催される。各言語・方言の語り手たちの聞き比べのほか、調査研究の報告などを行う。言葉の役割や価値について多角的に考えることで、危機的な状況の改善につなげることを目指している。
 サミットでは毎回、開催地の言語・方言で宣言文を取りまとめている。道内開催については、アイヌ民族関係者から「アイヌ語に対する社会的な注目度が増し、理解が深まる」と期待が膨らんでいる。
 開催費は文化庁の負担だが、運営などで地元都道府県や市町村の協力が不可欠だ。道内での開催地は未定だが、文化庁は「道と相談したい」としている。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/society/society/1-0337289.html

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札幌・古代アシ船で太平洋航海を目指す探検家トーク トンコリライブも

2016-11-12 | アイヌ民族関連
札幌経済新聞-2016年11月11日

2005年に高知県土佐清水市から東京・神津島へ航海したアシ船
北海道立道民活動センター「かでる2・7」(札幌市中央区北2西7)で11月12日、長崎県長崎市を拠点に活動する海の探検家・石川仁さんがトークライブを開く。
石川さんは1995年に行った旅の途中、スペイン人の冒険家キティンムノスさんと出会い、古代民族がアシ船で大陸間を渡った可能性を実証する国連公式プロジェクトに参加。翌年から同プロジェクトで「アシ船マタランギI~III」の製作に関わっている。1999年にはチリからポリネシアのマルケサス諸島まで、88日間8000キロの航海に参加した。
 2002年に帰国後、日本のアシを使って小型の草舟を作る独自のメソッドを考案し、日本各地でワークショップを開催。これまでにワークショップを含め、計178艇の草舟を製作している。
 今夏は国立科学博物館のチームが実施した「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」で草舟の設計・製造監督を担当、沖縄で草舟作りを指導した。
 トークライブでは、石川さんが再現プロジェクトの今後の計画など海の冒険で学んだ太古からの知恵について紹介する。アイヌアートプロジェクトの結城幸司さん、環境活動家として木を植える活動をしている三笠市の中渓(なかたに)宏一さんをゲストに「自然との対話」をテーマに意見交換する。結城さんのトンコリ弾き語りライブも行う。
 石川さんは「僕が体感してきたアシ船からの学びをみなさんと考えてみたい。そこには太古から続く知恵があり、現代から未来に伝える大きな目的があると思う」と話す。
 トークライブは札幌を皮切りに12月まで全国11カ所で展開する。
 開催時間は18時~20時(開場17時30分)。料金は1,500円、小学生以下無料。
http://sapporo.keizai.biz/headline/2511/

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会員の力作一堂に とかち文化まつり始まる 帯広

2016-11-12 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞社ニュース2016年11月11日 13時49分

1階アトリウムで作品鑑賞を楽しむ親子連れ
 総合芸術祭「第14回とかち文化まつり」(NPO十勝文化会議主催)が11日、帯広市内のとかちプラザで開幕した。今年のテーマは「地史思考」。同会議5部会の会員95人の作品が並び、来場者の目を引いている。16日まで。
 展示部門は1階のアトリウム、ギャラリー、大集会室で開催。このうちアトリウムでは縦1.7メートル、横4.5メートルのビッグスケールで描かれた壁画や、大小を含む四角柱、岩のモニュメントなど約40点の造形物が並ぶ。「地史思考」を反映させ、昔の十勝をイメージした展示となっている。
 ギャラリーでは美術、書道、華道の会員たちの力作を展示。大集会室では同会議の元副理事長で9月に死去した写真家関口哲也さんの遺作展や、文芸では初の本格展示となった川柳なども関心を集めている。
 文芸作品を見た音更町の鎌田匡さん(82)は「読み応えがある。心がこもっている」と話していた。
 12日は郷土史講演会「十勝のあけぼの」(午後1時半)、13日は料理講習会「アイヌ料理・文化体験会」(午前10時)や芸術発表会(午後0時半)、教育フォーラム「地域に刻む学校教育と支援活動」(同1時半)が開かれる。
開会式盛大に
 「第14回とかち文化まつり」の開会式が10日午後6時半から、とかちプラザのアトリウムで開かれた。
 NPO十勝文化会議の林浩史副理事長(十勝毎日新聞社社長)があいさつ。「文化の振興は不安な気持ちを吹き飛ばす。まつりを通して皆が笑顔になれば」と語った。十勝総合振興局の永田英美くらし・子育て担当部長、帯広市教委の嶋崎隆則教育長が祝辞を述べた。
 テープカットに続き、帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)が伝統楽器ムックリの演奏やアイヌ古式舞踊を披露。最後に鈴木八駛郎実行委員長が、岩を模したオブジェにはけで「地史思考」と力強く書いた。
http://www.tokachi.co.jp/news/201611/20161111-0025171.php

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松浦武四郎 メモリアルイヤー推進へ 北海道9市町村議長ら松阪市議会を表敬訪問 /三重

2016-11-12 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年11月11日 地方版

松浦武四郎記念館で山本主任学芸員(左)から武四郎の説明を聞く北海道の上川北部市町村議長会の一行=松阪市小野江町で
 「北海道」の名付け親で知られる探検家・松浦武四郎(1818~88年)のメモリアルイヤー作りを進めている北海道上川北部9市町村の議長会(会長=塚崎正・和寒町議長)の一行11人が10日、松阪市議会を表敬訪問。同市小野江町の松浦武四郎記念館を視察した。
 2018年は武四郎の生誕200年に当たり、蝦夷地が北海道と改称されて150年となる。松阪市と北海道で記念事業の開催に向けた取り組みを模索している。一行は松阪市の西村友志議長、植松泰之副議長との懇談で「武四郎の大河ドラマ化をNHKに働きかける」ことなど互いに連携を深め、武四郎の偉業の全国発信を推進することなどを申し合わせた。
 松浦武四郎記念館では、山本命主任学芸員の案内で館内を視察。6回にわたる北海道調査の資料や手紙、愛用品などを1時間にわたり熱心に見学した。
 説明によると、武四郎は1857(安政4)年に5回目の蝦夷地調査で、天塩川流域を訪ね詳細な記録を残した。アイヌ民族の古老から「カイ」とは「この国に生まれた人」と聞いたことをヒントに「北加伊道」と提案し、蝦夷地が「北海道」と改称されたという。
 塚崎会長は取材に「初めて訪れた松阪市に親しみを覚える。北海道の天塩川流域では武四郎のドラマ化を目指し、署名集めが始まっている。松阪市と歩調をそろえて、メモリアルイヤーを成功させたい」と意欲を示した。【橋本明】 〔三重版〕
http://mainichi.jp/articles/20161111/ddl/k24/040/022000c


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刑務所の読書会が受刑者たちにもたらした変化 本格派ノンフィクション

2016-11-12 | 先住民族関連
Book Bang 11/12(土) 8:00配信
 刑務所での読書会なんて、いかにも涙をさそうストーリーが用意されていそうだが、これは感動ポルノではない。ボランティアとしてカナダの刑務所の読書会にかかわったフリーランス編集者が、受刑者たちや自分自身の身に起こったささやかな変化を静かな文章で書いた、本格派のノンフィクションである。
 著者は友人に誘われて参加したのだが、それには高いハードルを越えなければならなかった。過去に路上で強盗に襲われ、首を締められたまま宙づりになって意識を失うという体験をしていたのだ。立ち直るには長い時間とさまざまな努力が必要だった。刑務所で全身タトゥーの男たちに囲まれたら、あの恐怖がよみがえるだろう。
 しかし著者は勇気を出して刑務所に行ってみる。受刑者たちに会い、話を聞くうちに、偏見と恐怖が融けていく可能性に賭けたのである。
 刑務所では、たいてい派閥同士が対立している。ムスリム、先住民族、ヒスパニックなどなどのグループはどれも排他的だ。しかし、課題本をみんなが読み全員が感想を発表しあう読書会では、派閥の壁がゆるみ、「素の自分」が出やすい。少数派の意見を口にして集中攻撃を受けても、ひるまずに個人的な感想を説明できるようになれば、受刑者は自信と尊厳を取り戻せる。
 教養など一生無縁みたいに見えた受刑者たちは、小説家にするどい質問を書き送ってまじめな返事をもらったり、「その場しのぎの、ただおもしろいだけの小説にはもう興味がない。著者がなにを考えてるか、どんな言葉を使ってるか、どんな語り口で表現してるかを知りたいんだ」と言うまでになる。本から収穫を得るすべを知ったのである。
 刑期を終えれば彼らは、差別と不運に満ちたもとの日常に帰っていくだろう。でも、彼らはすでに「本を読む人」となった。それはドラマティックな救いではないが、心のともしびではありうると思う。
[評者]――渡邊十絲子(詩人)
※「週刊新潮」2016年11月10日号掲載
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161112-00010001-bookbang-soci



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パラグアイ 「日本祭り」が大盛況

2016-11-12 | 先住民族関連
岐阜新聞-2016年11月11日
 「¡Hola! ¿Qué tal?(親しみを込めたこんにちは!元気ですか?)」。パラグアイで青年海外協力隊コミュニティ開発隊員として活動中の田口ともみです。
 パラグアイは周りをボリビア、ブラジル、アルゼンチンに囲まれた内陸国です。日本との時差はマイナス13時間(サマータイム実施時は12時間)、南半球に位置し、日本のほぼ真裏にあるパラグアイはこれから本格的な夏を迎えようとしています。
 パラグアイはスペイン語を公用語としていますが、南米では唯一、先住民族の言語であるグアラニー語も公用語として採用するバイリンガル国家で、学校教育の中にもグアラニー語の授業が取り入れられています。80%以上の人がバイリンガルであると言われていますが、地方ではグアラニー語が生活言語として多く使われています。
 また、パラグアイには日本からの集団移住地もあり、そこでは日本語もしっかり残っています。2016年は、パラグアイへの日本人移住開始から80年の記念の年ということで、9月には秋篠宮家の眞子さまがパラグアイを公式訪問され、日本人移住80周年式典にご出席されました。また先日は「日本祭り」が首都アスンシオンで開催され、1万5000人以上の来場者で大いに盛り上がりました。
 さて、私の配属先である「Casa del Niño:子どもの家」は首都アスンシオン市から東に50キロほど離れたコルディジェラ県カアクペ市にあります。パラグアイのNGOデケニ財団と児童労働の削減を目指す国家プロジェクトPrograma ABRAZOが共同で運営する主に貧困層の子ども達やその家族を対象とした学童保育所のようなところです。ここで私は同僚職員のサポートをしながら、子どもたちに対して手洗いやごみ捨て、後片付けなどの基本的生活習慣の獲得を目指した活動をしています。
 早いもので、気が付けば帰国までもう半年を切ってしまいました。子どもたちにどれほどのものを残せたかはまだ分かりません。それでも、この国の未来を担う子どもたちに何か少しでも多くの可能性の種をまくべく、残りの任期を精いっぱい全うしたいと思っています。
【田口ともみさん】
 田口ともみ(たぐち・ともみ) 児童養護施設での児童指導員を経て、2015年3月から青年海外協力隊としてパラグアイに派遣。「子どもの家」にてコミュニティ開発隊員として活動中。中津川市出身。31歳。
https://www.gifu-np.co.jp/tokusyu/2011/furusato_letter/fl20161111.shtml

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「世界のお墓」ネイチャー&サイエンス構成・文

2016-11-12 | 先住民族関連
日刊ゲンダイ-2016年11月11日

 民族や宗教が異なる他国には、日本人の常識では計り知れない弔いの文化が存在している。本書は、特筆すべき世界各地のお墓を紹介する異色のビジュアルブック。
 厳粛な空間である日本のお墓は、墓石に使われる石の色のせいか、全体的にモノトーンな印象で、ややもすれば陰気くさい場所に感じられてしまう。しかし、世界に目を転じてみると、なんとも陽気なお墓があるのだ。
 ルーマニア北西部の小さな村・サプンツァのそれは、世界一陽気だ。
 80年前、親しい人を失った悲しみを癒やすような明るい墓標をと思い立った青年パトラシュが、故人の肖像画とその人生をつづった詩を刻み、色鮮やかに塗った木製の墓標を作り始めた。以来、彼の死後もその思いが受け継がれ、村の伝統になったという。墓標に描かれている肖像画はトラクターを運転している農民や、料理をしている女性、子供に勉強を教える教師など、ひと目で故人の人生がしのばれるものとなっている。
 対照的に、堂内が4万人分もの人骨で埋め尽くされているのはチェコ共和国のセドレツ納骨堂。シャンデリアやろうそく立て、そしてこの地にあった教会を買い取り、管理をするシュバルツェンベルク家のチェロのような形をした紋章(表紙)まで、すべて人骨で作られているそうだ。
 かと思えば、リトアニア共和国には、死者が葬られていない墓がある。5万本もの十字架が埋め尽くす「十字架の丘」と呼ばれるその場所は、1831年、ロシア帝国の支配からの独立を求めて蜂起して失敗した際に、処刑されたり、流刑された人々の遺体が戻らなかったため、遺族たちが墓の代わりに立てた十字架が始まりだった。ソビエト連邦統治時代に何度も破壊され撤去されたが、そのたびに瞬く間に再生したという。
 エジプトの「死者の町」は、居間や寝室、台所など本物同然の家の地下に遺体を納めた棺を安置する。そうした家型のお墓が並ぶ場所はまさに町そのものであり、現在ではこうした墓に貧困層が住み着き、死者と生者が共存をしているのだとか。
 その他、墓標と棺を兼ねた特別なトーテムポール「墓棺柱」が森の中に屹立するカナダの先住民族・ハイダ族のお墓、切り立った崖に棺桶をつるすフィリピン共和国・サガダ村のお墓、そしてオットセイたちが墓標のそばでくつろいでいる、南極海に浮かぶローリー島の気象観測基地「オルカダス」の隊員たちが埋葬された墓など。
 墓にはそれぞれの文化が持つ死生観が如実に表れている。観光旅行ではめったに訪ねることがないこうした墓を紙上散策する読者は、改めて自らの死と向き合うことになるだろう。(幻冬舎 1600円+税
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/193557

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