先住民族関連ニュース

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クリス・ヘムズワース、パーティーでの北米先住民族の衣装を謝罪 「愚かなほど無知でした」

2016-11-03 | 先住民族関連

TVグルーヴ・ドット・コム 2016年11月2
パーティーをするクリス・ヘムズワースたち
NY Daily Newsより
「マイティ・ソー」などで知られる豪俳優のクリス・ヘムズワース(33)が、昨年の大みそかパーティーで北米先住民族のコスプレをした「無知」を謝罪した。
クリスは家族と共にパーティーに参加し、問題の衣装を披露した。それから約1年が経つとはいえ、クリスはインスタグラムであの衣装が「しばらく前から」気になっていたと告白する長文のメッセージをインスタグラムで公開した。
「去年の大みそかに、自分を含む何人かが『ローン・レンジャー』をテーマにしたパーティーで先住民の民族衣装を着て出席しました」とクリスは10月27日に書き込んだ。「このことが引き起こしかねない侮辱と敏感な問題について愚かなほど無知でした。自分の不注意な行動について、すべての先住民族に心から率直に謝罪します」
「先住民族のみなさんが直面する、複雑で大きな問題を深く理解するという大きな必要性があることを痛感しました。僕自身の無知を強調することで、小さな形で役に立てればと思っています」
クリスはノースダコタ州で建設中の「ダコタ・アクセス・パイプライン」建設に抗議する人たちへのサポートを表明する写真を公開し、この長文の謝罪を添えた。「マイティ・ソー」シリーズ最新作「Thor: Ragnarok(原題)」のタイカ・ワイティティ監督と並んで立っている写真で、2人はパイプライン建設に反対を唱えるプラカードを持っている。
「自分たちの聖なる土地と水を守るために闘う人たちと共に立つ」とクリスはキャプションを添えた。
ノースダコタ州からイリノイ州へ原油を輸送するダコタ・アクセス・パイプラインの建設には、クリスをはじめ大勢の有名人も反対しており、「ダイバージェント」などで知られる女優のシャイリーン・ウッドリーは10月、約100人の抗議者による平和的なデモに参加した際に逮捕された。シャイリーンは逮捕後、デモに参加した理由を明かし、自然資源を守るという緊急の必要性に注目してほしかったと語った。
「私はダコタ・アクセス・パイプラインに反対し、水を守るために闘う200人以上の人たちとノースダコタで連帯し、共に立っていました」とシャイリーンは先日、米TIME誌に寄せた力強いエッセイで語っている。「この人たちは肌に虹色をまとっています。貴重な資源である土と水という必要不可欠な要素を守るために誠実な行動を起こさなければ、次の世代に健康的で繁栄する惑星を手渡すことができないことに気づき、集まった人たちなのです」
© Cover Media/amanaimages
http://www.tvgroove.com/news/article/ctg/1/nid/31358.html

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熱血!与良政談 差別の歴史を知らない罪=与良正男

2016-11-03 | ウチナー・沖縄
毎日新聞2016年11月2日 東京夕刊
 100年以上前の1903年。大阪で開かれた博覧会に便乗して、民族衣装姿の朝鮮人や台湾先住民、アイヌなどと並んで沖縄県民(琉球人)が「7種の土人」として見せ物扱いで「展示」されたことがあった。沖縄では差別や蔑視の象徴だと今も語られる「人類館事件」だ。
 当時、沖縄の地元紙などは「アイヌや台湾と同一視されるのは侮辱」と抗議したそうだ。明治政府が進めた同化政策の中で、差別される側もまた差別的になっていく。そんなより悲しく深刻な事件としてとらえるべきかもしれない。
 米軍北部訓練場(沖縄県東村・国頭村)のヘリパッド建設に反対する人たちに対し、大阪府警の2人の機動隊員が「ぼけ、土人が」「黙れ、こら、シナ人」と暴言を吐いたのを目の当たりにして、「100年以上たっても、沖縄への差別意識や構造は変わっていない」と怒り、悲しんだ沖縄県民は多かったろう。
 2人の隊員はそれぞれ謝罪したうえで、「言葉の差別的意味を知らなかった」と説明したという。政府が閣議で決めた答弁書でも発言は「極めて遺憾」としながらも、隊員には「『沖縄の人を見下していた』との認識はなかった」とある。
 だが、差別意識はなかったで済ませてはならない。あえて言えば、この隊員のみならず、知らないこともまた罪だと私は思う。
 1879年の琉球処分から終戦直前の沖縄戦、そして戦後の米軍基地集中に至る沖縄の歴史を私たちはどれだけ知っているだろう。他の民族に対する差別も同じ。街頭でのヘイトスピーチだけではない。ネット上にはどれだけ差別的な言葉があふれていることか。それにどう対処するか。結局教育の問題だと私は思っている。
 大阪府の松井一郎知事が「出張ご苦労様」と隊員をねぎらい、「混乱を引き起こしているのはどちらか」と語ったのも看過できない。現場では反対派も激しい言葉を警官に浴びせているということなのだろう。確かに反対派も人格攻撃のような言葉は慎むべきだ。
 だが「売り言葉に買い言葉」「どっちもどっちだ」と総括してしまうと本質は何も解決しない。いや、そうした決着を狙っている人たちもいるということだ。それを忘れてはいけない。(専門編集委員)
http://mainichi.jp/articles/20161102/dde/012/070/006000c

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我々は皆「土人」である 【金平茂紀の新・ワジワジー通信(20)】

2016-11-03 | ウチナー・沖縄
沖縄タイムス 2016年11月2日 13:30

土砂を積んだダンプカーの進入に抗議する市民ら=10月25日午前、東村高江・N1ゲート前
 あまりにも理不尽なことが堂々と持続的に行われていると、いつのまにか感覚が麻痺(まひ)してきて、ああこれは当たり前の出来事なのだと、「思考停止」の状態に陥ってしまうということが、僕らの国の歴史では繰り返されてきた。沖縄にまつわる最近の出来事を思い返してみてほしい。「やりたい放題」という言葉はまさに高江の状況を言い当てるためにある。だが「言いたい放題」まで到来するとは思ってもみなかった。
 高江で警備にあたっていた大阪府警の機動隊員が、抗議活動に参加していた作家の目取真俊氏らに対して暴言を吐いた。「触るなくそ。どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」。別の隊員も「黙れ、こら、シナ人」。発言はカメラで動画撮影されていた。映像はインターネットを通じて瞬く間に拡散した。「土人」「シナ人」という語が侮蔑的な意味合いで使われているのは明らかだ。まるでヘイトスピーチではないか。それが公務中の警察官の口から出たのだから根が深い。
 本来ならば、戒めるべき立場の松井一郎・大阪府知事がまるで機動隊員を擁護するような見解を示した。「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様」。「売り言葉に買い言葉で言ってしまうんでしょ。相手もむちゃくちゃ言っている。相手は全て許されるのか。それをもって一人の警官が日本中からたたかれるのはちょっと違うと思う」。前者はツイッターでのつぶやき、後者は報道陣の質問への回答だ。暗澹(あんたん)たる思いがする。
 僕自身も高江の抗議行動の現場で何度か取材をしてきているが、機動隊の警備のありようには大きな問題がある。実施されている交通規制の法的な根拠も曖昧だ。地元紙の記者が取材中に拘束されたこともある。過剰警備の指摘がたびたびなされている。けが人も出ている。どうみても過剰な力が振るわれるのを目撃もしてきた。
 機動隊員も、きびしい緊張のなかで、感情的になることもあるだろう。だからといって「売り言葉に買い言葉」などと居直るとは何を考えているのか。大体、機動隊員は逮捕権を持ち、警備のために武器を使用することもあり得るのだ。座り込みなどの直接行動に出ている反対派の市民と「対等」ではない。公権力の行使は違法なものであってはならないのだ。
 それにしても、「土人」「シナ人」という「死語になったと思っていた」(翁長雄志知事)言葉が、侮蔑的な文脈で、若い機動隊員の口から飛び出したことは深刻だ。日本の近現代史の中で「土人」という言葉が使われていた例で僕が思い出すのは、1899年に制定された「北海道旧土人保護法」という法律だ。アイヌ民族についての「旧土人」という表現および法律の内容が差別的であるとの批判が高まり、1997年、アイヌ文化振興法施行に伴って廃止された。アイヌ保護を名目とはしていたが、アイヌの土地の没収、アイヌ語使用の禁止、アイヌ固有の風習の禁止などが含まれていた。
 もう一つ、僕が記憶しているのは、戦争中に日本軍が南方戦線のインドネシア・ダバオに兵士のための慰安所を開設する際に日本軍が作成した公文書に次のような記載があったことだ。「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設 気持ちの緩和に非常に効果ありたり」。ここに記されている主計長とは、戦後日本の首相になった中曽根康弘氏である。「土人女」が何のために集められたのかはここでは記さないことにする。
 さらに想起されるのは、人類館事件だ。1903年、大阪で開かれた内国勧業博覧会の学術人類館なるパビリオンに、アイヌ、台湾高砂族(生蕃)、清国(当時は「支那」と表記されていた)、朝鮮、インド、トルコ、アフリカなどと並んで琉球人(女性2人)が民族衣装をまとって生きたまま展示されていた。沖縄県と清国から激しい抗議があり、関係部分の展示が中止された。沖縄県からの抗議には非常に屈折した要素が含まれていた。
 実際に展示されていたのが辻遊郭の女性であったこと、さらには当時の日本政府の強烈な同化政策の下で、「我を生蕃アイヌ視したるものなり」(当時の沖縄紙)、つまり「沖縄の人間を台湾のネーティブやアイヌと一緒にするな」と怒っていたのである。だが、当時の日本という国が、自分たちとは「異なる」人々だとしてそれらの人々を生きたまま展示する行為に現れている「植民地主義のまなざし」は、今に通じるものがないか。
 「シナ人」という表現について言えば、翁長知事が那覇市長時代の2013年1月にオスプレイ配備反対を訴えた41市町村首長ら連名の建白書を携えて上京し、銀座をデモ行進した際に、路上にいた一群の連中から「中国のスパイ」「売国奴」「琉球人は日本から出て行け」などのヘイトの罵声が浴びせられたことがあった。そんな言葉の悪意が2016年の機動隊員にまで伝染したとは思いたくないが。
 黒船のペリー提督は浦賀に現れる前の1853年5月、琉球王朝時代の沖縄本島を訪れていた。『ペリー提督日本遠征記』に初上陸で目にした沖縄の町の様子が記されている。ペリー一行の冷静な観察眼には今読んでも驚かされるが、こんな記述がある。「土人」などと見下す発想と比べながら僕はこれを読んだ。
 「数群の琉球人が、われわれが上陸するのを見守っていたが、こちらが近づくにしたがってそろそろあとずさりした。髪にさした銀色のかんざしから比較的身分がいいと見分けられる者たちは、こちらに向かって丁寧なおじぎをした。身分の低い者たちは、茶色い木綿か芭蕉布の着物を一枚着ているきりで、子供たちは素裸だった。彼らの住居は、きわめて貧しい家でもよく整頓され、こざっぱりしている」「群集のなかには風格のある老人たちが大勢いて、顎鬚を豊かに垂らし、威厳と落ち着きをそなえていた」「彼らが心から平和を愛する人々であることは間違いない」。
 「植民地主義のまなざし」に対して、礼節と平和をもって接する沖縄の人々の姿が浮かんでこないだろうか。
 もちろん、ペリー一行のまなざしの中にも、異世界の人々=「土人」観が全くなかったとはいえまい。
 もともとアメリカは、ネイティブ・アメリカン(先住民)を大量に殺りくした暗い過去がある。だが、アメリカは根深い人種差別の歴史を乗り越えて、オバマ大統領が選ばれるまでの国になった。あえて言おう。私たちは差別する側も、差別される側も、皆「土人」なのだと。「土人」という言葉を無化するためにそのようにあえて言うのだ。(テレビ報道記者・キャスター)=随時掲載
金平 茂紀(かねひら しげのり)
TBS報道記者、キャスター、ディレクター
1953年北海道生まれ。TBS報道記者、キャスター、ディレクター。2004年ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に「ホワイトハウスから徒歩5分」ほか。
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/69400

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アイヌ民族 100家族を撮影 中標津の写真家、前沢卓さん 過去、現在、未来伝える /北海道

2016-11-03 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年11月2日 地方版
 中標津町の写真家、前沢卓さん(69)が、アイヌ民族の家族をテーマにした写真集「命の継承」(仮題)の出版を目指し、道内で撮影を続けている。2014年10月に撮り始めた家族は、目標としていた100組に達し、「未来に生きるアイヌに、今を生きるアイヌのことを伝えたい」と意気込む。
 「雨が降る前にもう1枚だけ」。幕別町の「蝦夷文化考古館」の玄関先で、前沢さんが札幌市東区のアイヌ文化伝承者、川上恵さん(32)と会社員の夫裕之さん(32)、生後6カ月の長男諒ちゃんの3人家族にレンズを向けた。「モレウ」(アイヌ語で渦巻き)、「アイウシ」(とげ)などのアイヌ文様で彩られた木綿衣や鉢巻きを身に着けた3人は、穏やかな表情でカメラを見つめた。
 かつてコタン(集落)があった場所に立つ同館は、近くに実家がある川上さんの幼少期の遊び場。前沢さんは「1枚の写真で過去、現在、未来を伝えたい」と撮影にこの地を選んだ。「子どもを撮ってほしかった。大人になって写真集を見た時、『アイヌって悪いもんじゃないな』と思える力が前沢さんの写真にはある」と話す川上さんは、わが子にアイヌ文化を絶えず伝えてほしいと願う。
 前沢さんは36歳の時、阿寒湖温泉のコタンで開かれた祭りで、民族衣装や飾りを身に着けたアイヌの美しさに衝撃を受けた。写真家として歩み始めていた前沢さんは記録を残すことが重要と考え、アイヌの撮影を始めた。
 今回の写真集は、全てモノクロ。前沢さんは「色彩の情報がない分、笑顔の人や遠くを見つめる人の気持ちがストレートに伝えやすい。その人の歩んできた人生、アイヌとしてつらかったことまでも写し出したい」と話している。
http://mainichi.jp/articles/20161102/ddl/k01/040/009000c


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