東洋経済オンライン-2015年05月02日
奈良美智氏と石川直樹氏が見た「北方」
仲宇佐 ゆり
アーティストの奈良美智さんと探検家で写真家の石川直樹さんは、2014年に青森、北海道、サハリンを旅した。そのとき2人が撮った写真を中心に、地図、それぞれの蔵書、レコードなどを集めた展覧会が、外苑前のワタリウム美術館で5月24日まで開かれている。プレスビューとトークショーでの2人の話から、旅と展示作品の一部を紹介する。
なぜ彼らは北方へ?
ロシア領のサハリン島は、北海道のすぐ北にある大きな島だ。日露戦争から第二次世界大戦までは、日本がその南部を統治していた。北海道の最北端の都市である稚内から、サハリンのコルサコフという町までフェリーで5時間30分。4万円で往復できる外国だ。
そもそも、なぜこの2人が北方を旅することになったのだろう。
北海道にアイヌ語の地名が多いことは知られている。奈良美智さんは、自分が生まれ育った青森県にもアイヌ語の地名や言葉が残されていることに気がついた。例えば、アイヌ語で「川が2つに分かれているところ」を意味する「オコッペ」は、北海道では「興部」、青森県では「奥戸」という漢字を当てて地名になっている。
また、奈良さんは青森で猫のことを「チャペ」と呼んでいたが、アイヌ語辞典にも同じ言葉が載っている。これはアイヌの人が青森で覚えて使った言葉だという。
「江戸時代まではアイヌの人たちが青森県にも住んでいて、いろいろな痕跡が残っています。それを知って、青森のアイヌ語地名の土地を訪ねたいと思っていました。それとは別に、母方の祖父が樺太(現在のサハリン)とか千島列島で働いていたことを最近知り、ルーツをたどってみたくなったんです」(奈良さん)
そんなことをツイッターでつぶやいたら、編集者から「石川直樹さんと行ってみませんか」と言われた。石川さんは以前から北方の文化に関心を持ち、北海道やサハリンを訪ねていた。こうして、青森、北海道、サハリンと、3回にわたる2人旅が始まった。
おかっぱ頭の先住民の子ども
奈良美智「ニヴフの子 おかっぱ 」photo:Yoshitomo Nara (C)Yoshitomo Nara
とくに鮮烈な印象を残すのがサハリンの写真だ。サハリンには、ニヴフ、ウイルタ、ナナイなどの先住民が暮らしている。
「ニヴフの子 おかっぱ 」は、ニヴフ族のトナカイ祭りで会った女の子だ。
「ノグリキという町から車で2時間ぐらいのところに広い草原があって、トナカイ祭りが開かれていました。トナカイが点々といて、その近くにテントを張っている人たち、野宿してここまで来たという人たちもいました。みんな本当に楽しそうでした。トナカイに感謝し、親しむ祭りなんだけど、食べるわけね」(石川さん)
ニヴフの人たちはトナカイを飼育し、食用にもするし、冬は凍った道でも動ける交通手段としても利用する。祭りでは、子供をトナカイに乗せたり、少女たちが歌や踊りを披露したり、トナカイのレースで転げ落ちる人がいたり。いちばん盛り上がったのは相撲大会だったそうだ。
見張り役はお昼寝中
トナカイはこんなふうに放牧される。見張り役は昼寝中のようだ。空が広い。
2人の意向で、会場の写真には、どちらが撮ったのか示されていない。
「どれが奈良さんで、どれが石川さんの写真なの?と、よくきかれますけど、そういう見方ではなくて、2人の視点の中に自分も入っているような見方で、全体を見てくれたらいいなと僕たちは思っています」(奈良さん)
2人の目を通して、北方の人々の暮らしや、あまり知られていないサハリンと日本の歴史が見えてくる。
王子製紙の工場跡に放牧
サハリンには日本統治時代の遺物があちこちに残されている。住宅、役所、鳥居、線路など、廃墟になっているものもあれば、使われているものもある。これはポロナイスクにある王子製紙の工場跡だ。牛が草を食み、崩れた建物の中では子供たちが遊んでいた。
「戦争のときは日本領だった南サハリンでも地上戦が行われて、たくさんの人が亡くなりました。僕が知っている話では、日本が降伏してから逃げた人は、ソ連の人が住めないように、自分の家に火をつけてから逃げろと言われたそうです。この廃墟は王子製紙の工場の跡で、ソ連に使われないように、機械を破壊して逃げた。戦争でボロボロになったんじゃなくて、そこで働いていた人が自ら壊し、住んでいた人が自分の家に火をつけた。それがすごく悲しかったという話が、本などを探すと見つかると思います」(奈良さん)
狩猟後の儀式
会場には2人旅の写真以外にも、石川さんがこれまでに北海道やサハリンを訪れて撮った写真が展示されている。石川さんは北方の人々の動物や自然に対する考え方に敬意を持ち、以前から旅をしていた。
この写真は、北海道の釧路の北の弟子屈(てしかが)で、アイヌの人たちが猟をしたときに撮影したもの。祭壇のようなものを立て、鹿を撃ってきてナイフで解体した。
「儀式を行ってから肉を分割するんだけど、最後に肉の端切れみたいなものを山に返すんです。そういう考え方は北の方の人たちと同じ。アラスカでも、秋にベリーをいっぱい摘む。だけど摘み切らないで少し残しておく。木の実を拾うけど、ちょっとだけリスの巣穴に入れていく。北方には自然と付き合ってきた人がいて、それと同じような考え方で目の前の世界と向き合っている人たちが僕は好きなんです」(石川さん)
奈良さんは北への旅を通して、シャイで無口で助け合って生きる人々のメンタリティ、自然信仰などに、故郷の青森と共通するものを感じたという。北方に少しでも興味を持ってくれればと語る。
「僕たちにとって大切なのは、そこに行くこと。行って空気を感じること。調べることじゃなくて感じることじゃないかなと、改めて思った」(奈良さん)
一方、石川さんは、奈良さんと旅することで頭の中に別の回路が開き、一度行ったところが全然違って見えるのに驚いたという。そして、今回訪ねた土地が北との連なりの中にあることを明確に感じたそうだ。
「沖縄も東南アジアとのつながりが深いし、サハリン、北海道、青森も、日本の中央とのつながりというより、北とのつながりの中で考えたほうが腑に落ちることが多い。旅を通してニュースの感じ方、世界観も変わってきました」(石川さん)
画家と探検家の旅は、未知への扉を開いてくれる。会場には2人の過去がわかる写真や愛用品、ニヴフの女性による刺繍も展示されている。
「ここより北へ」石川直樹+奈良美智展
開催中~5月24日
ワタリウム美術館
東京都渋谷区神宮前3-7-6
TEL 03-3402-3001
11:00~19:00(水曜は21:00まで)
月曜休み(5月4日は開館)
大人1000円、学生(25歳以下)800円、小・中学生500円、70歳以上700円
http://toyokeizai.net/articles/-/67759
奈良美智氏と石川直樹氏が見た「北方」
仲宇佐 ゆり
アーティストの奈良美智さんと探検家で写真家の石川直樹さんは、2014年に青森、北海道、サハリンを旅した。そのとき2人が撮った写真を中心に、地図、それぞれの蔵書、レコードなどを集めた展覧会が、外苑前のワタリウム美術館で5月24日まで開かれている。プレスビューとトークショーでの2人の話から、旅と展示作品の一部を紹介する。
なぜ彼らは北方へ?
ロシア領のサハリン島は、北海道のすぐ北にある大きな島だ。日露戦争から第二次世界大戦までは、日本がその南部を統治していた。北海道の最北端の都市である稚内から、サハリンのコルサコフという町までフェリーで5時間30分。4万円で往復できる外国だ。
そもそも、なぜこの2人が北方を旅することになったのだろう。
北海道にアイヌ語の地名が多いことは知られている。奈良美智さんは、自分が生まれ育った青森県にもアイヌ語の地名や言葉が残されていることに気がついた。例えば、アイヌ語で「川が2つに分かれているところ」を意味する「オコッペ」は、北海道では「興部」、青森県では「奥戸」という漢字を当てて地名になっている。
また、奈良さんは青森で猫のことを「チャペ」と呼んでいたが、アイヌ語辞典にも同じ言葉が載っている。これはアイヌの人が青森で覚えて使った言葉だという。
「江戸時代まではアイヌの人たちが青森県にも住んでいて、いろいろな痕跡が残っています。それを知って、青森のアイヌ語地名の土地を訪ねたいと思っていました。それとは別に、母方の祖父が樺太(現在のサハリン)とか千島列島で働いていたことを最近知り、ルーツをたどってみたくなったんです」(奈良さん)
そんなことをツイッターでつぶやいたら、編集者から「石川直樹さんと行ってみませんか」と言われた。石川さんは以前から北方の文化に関心を持ち、北海道やサハリンを訪ねていた。こうして、青森、北海道、サハリンと、3回にわたる2人旅が始まった。
おかっぱ頭の先住民の子ども
奈良美智「ニヴフの子 おかっぱ 」photo:Yoshitomo Nara (C)Yoshitomo Nara
とくに鮮烈な印象を残すのがサハリンの写真だ。サハリンには、ニヴフ、ウイルタ、ナナイなどの先住民が暮らしている。
「ニヴフの子 おかっぱ 」は、ニヴフ族のトナカイ祭りで会った女の子だ。
「ノグリキという町から車で2時間ぐらいのところに広い草原があって、トナカイ祭りが開かれていました。トナカイが点々といて、その近くにテントを張っている人たち、野宿してここまで来たという人たちもいました。みんな本当に楽しそうでした。トナカイに感謝し、親しむ祭りなんだけど、食べるわけね」(石川さん)
ニヴフの人たちはトナカイを飼育し、食用にもするし、冬は凍った道でも動ける交通手段としても利用する。祭りでは、子供をトナカイに乗せたり、少女たちが歌や踊りを披露したり、トナカイのレースで転げ落ちる人がいたり。いちばん盛り上がったのは相撲大会だったそうだ。
見張り役はお昼寝中
トナカイはこんなふうに放牧される。見張り役は昼寝中のようだ。空が広い。
2人の意向で、会場の写真には、どちらが撮ったのか示されていない。
「どれが奈良さんで、どれが石川さんの写真なの?と、よくきかれますけど、そういう見方ではなくて、2人の視点の中に自分も入っているような見方で、全体を見てくれたらいいなと僕たちは思っています」(奈良さん)
2人の目を通して、北方の人々の暮らしや、あまり知られていないサハリンと日本の歴史が見えてくる。
王子製紙の工場跡に放牧
サハリンには日本統治時代の遺物があちこちに残されている。住宅、役所、鳥居、線路など、廃墟になっているものもあれば、使われているものもある。これはポロナイスクにある王子製紙の工場跡だ。牛が草を食み、崩れた建物の中では子供たちが遊んでいた。
「戦争のときは日本領だった南サハリンでも地上戦が行われて、たくさんの人が亡くなりました。僕が知っている話では、日本が降伏してから逃げた人は、ソ連の人が住めないように、自分の家に火をつけてから逃げろと言われたそうです。この廃墟は王子製紙の工場の跡で、ソ連に使われないように、機械を破壊して逃げた。戦争でボロボロになったんじゃなくて、そこで働いていた人が自ら壊し、住んでいた人が自分の家に火をつけた。それがすごく悲しかったという話が、本などを探すと見つかると思います」(奈良さん)
狩猟後の儀式
会場には2人旅の写真以外にも、石川さんがこれまでに北海道やサハリンを訪れて撮った写真が展示されている。石川さんは北方の人々の動物や自然に対する考え方に敬意を持ち、以前から旅をしていた。
この写真は、北海道の釧路の北の弟子屈(てしかが)で、アイヌの人たちが猟をしたときに撮影したもの。祭壇のようなものを立て、鹿を撃ってきてナイフで解体した。
「儀式を行ってから肉を分割するんだけど、最後に肉の端切れみたいなものを山に返すんです。そういう考え方は北の方の人たちと同じ。アラスカでも、秋にベリーをいっぱい摘む。だけど摘み切らないで少し残しておく。木の実を拾うけど、ちょっとだけリスの巣穴に入れていく。北方には自然と付き合ってきた人がいて、それと同じような考え方で目の前の世界と向き合っている人たちが僕は好きなんです」(石川さん)
奈良さんは北への旅を通して、シャイで無口で助け合って生きる人々のメンタリティ、自然信仰などに、故郷の青森と共通するものを感じたという。北方に少しでも興味を持ってくれればと語る。
「僕たちにとって大切なのは、そこに行くこと。行って空気を感じること。調べることじゃなくて感じることじゃないかなと、改めて思った」(奈良さん)
一方、石川さんは、奈良さんと旅することで頭の中に別の回路が開き、一度行ったところが全然違って見えるのに驚いたという。そして、今回訪ねた土地が北との連なりの中にあることを明確に感じたそうだ。
「沖縄も東南アジアとのつながりが深いし、サハリン、北海道、青森も、日本の中央とのつながりというより、北とのつながりの中で考えたほうが腑に落ちることが多い。旅を通してニュースの感じ方、世界観も変わってきました」(石川さん)
画家と探検家の旅は、未知への扉を開いてくれる。会場には2人の過去がわかる写真や愛用品、ニヴフの女性による刺繍も展示されている。
「ここより北へ」石川直樹+奈良美智展
開催中~5月24日
ワタリウム美術館
東京都渋谷区神宮前3-7-6
TEL 03-3402-3001
11:00~19:00(水曜は21:00まで)
月曜休み(5月4日は開館)
大人1000円、学生(25歳以下)800円、小・中学生500円、70歳以上700円
http://toyokeizai.net/articles/-/67759