今日も先日発掘した私の古い写真の1枚の話題です。
上の写真は十数年前に愛知県稲沢市の「小菱屋」というお豆腐屋さんの応接室に置いてあった「小菱」という文字が見える石です。当時、私は「小菱屋」のテレビCMの仕事をしており、そのCM製作の打ち合わせの為に「小菱屋」の応接室に入りました。そこですぐに目に付いたのがこの石でした。それは大切そうに座布団の上に乗せられておりました。私はすぐにその石の表面に「小菱」という文字が見える事に気づきました。一瞬で「小菱屋」ならではの名石だと思いました。「小菱屋」の社長にその石の事を尋ねると何年か前に石の業者の売り込みがあったらしく、半信半疑で購入された、というようなお話でした。この写真はその後日の打ち合わせの際に撮らせてもらったものです。
そう言えば、この石の事は過去に一度写真なしで書いておりました。その記事は「石が書いた字」(2013.08.11)です。今日のタイトルは「石が書いた字2」となります。
「石が書いた字」は他にも見た事があります。それらは「一」とか「人」とか「石」とか、画数の少ない比較的簡単な字が多かったと思います。「小菱」の「菱」のように画数の多い複雑な字は存在確率が少ないと思われます。その文字は「石が書いた字」なので正確な書体になっている訳ではありませんが、不思議な事にいったんその文字のように見えるとその後はどう見てもそのような文字に見えてしまいます。これは人間の錯覚の一種なのだろうと思います。錯覚も面白いと思います。
そうそう、このブログでは初期に「土佐の菊花石」(2012.01.02)でも「寿」という「石が書いた字」の事を書いておりました。どうも私自身がそのような「石が書いた字」が好きだったようです。
字というと書道も芸術です。私はそれほど書道に関心がある訳ではありませんが、なぜか「石が書いた字」には無条件に魅かれます。字だけではありません。先日の「風景画」のような「石が描く絵」にも魅かれるものを感じます。それはそこには人が介在しない自然の業のようなものがあるからです。それは人が介在する技とは別次元の「わざ」なのだろうと思います。よく「自然のつくった芸術」という言葉が使われる事がありますが、「芸」という字が相応しいと思われるほどに自然が修練ともいうべき長い時間をかけてつくったものなのだろうと思います。
誤解のないように書いておきますが、石には意志などありません。「石が書く」も「石が書いた字」も「石が描く」もこちら側が勝手に解釈しているだけの事です。そのような事実をしっかりと認識しつつもそのような希な現象を楽しんでいるだけです。それ以上でも以下でもありません。決してスピリチュアルなものではありません。