ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

存在しないもの

2015-07-31 10:17:04 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりの更新です。どういう訳か?このところ、更新してもしなくてもアクセス数はそれほど変化していないようです。

今日は「存在しないもの」です。

ギリシアの3大作図問題の作図法、正7角形の作図法、5次方程式の代数的な解、正10面体、デルタ18面体、等々、数学の世界には「存在しないもの」が多々あります。もっとも、前提条件を広げたり、コンピュータを使って無限回数近似を繰り返す事で解けるケースもあったりして、完全に「存在しないもの」は案外少ないのかもしれません。

数学の世界から現実の世界へ目を移すと、例えば、永久機関やタイムマシーンなどは「存在しないもの」の代表と言えそうです。

「存在しないもの」の事を考える事は面白い事だと思います。そのような事を考える事は知的な遊びを伴った面白みがあり、知的好奇心を刺激されます。エッシャーの不可能絵画やSF映画等の面白さのひとつは「存在しないもの」を垣間見れる事のようにも思えます。

そもそも「存在しないもの」は存在しないのだから、そのような事を考えるのはムダな事なのかもしれません。ただ、「存在しないもの」も言葉として表現できます。「存在しないもの」として現に存在しているのですから、言葉の世界は現実の世界よりも広く深いのだろうと思います。文学の世界は人の想像力によって何でもアリなので面白いのだろうと思います。(「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」とは野暮な言葉だと思います。)

さて、このブログは石のブログです。

石の世界にも「存在しないもの」は存在します。例えば、超高層ビルサイズの水晶の結晶とか完全な正12面体の黄鉄鉱の結晶とか金の結晶を内包しているダイヤモンドの結晶をインクルージョンした水晶とか、言葉では表現できても実際には「存在しないもの」はたくさんあります。

石の世界の「存在しないもの」は非常に魅力的です。それは「存在しないもの」だからこそ、より魅力的なのだろうと思います。

もしかすると、石のコレクションとはそのような「存在しないもの」を求める事なのかもしれません。そもそもコレクションという行為には終わりはありません。持っていないものを求めるというモチベーションがコレクションの根源にあります。「存在しないもの」を求める事は究極のコレクションのような気がします。

ただし、現実的には「存在しないもの」は存在しません。コレクションという行為は永遠に完結する事はないのです。

そうならば、「存在しないもの」を永久に探し求めるよりも、偶然性に頼って、出会った石との一期一会を楽しむ事の方が賢明なのかもしれません。石のコレクションはイメージが先行するとイメージ通りの石には中々出会えません。恐らく、一生出会えない可能性が高いと言えます。そういう意味で、出会った石をすかさずゲットするという態度が望ましい姿なのだろうと思います。

「存在しないもの」は永遠にゲットできないのですから。

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